幸せは足元に転がっているのに、僕たちは上を見上げ続けるのだろう

6月も半ばになってきましたがいかがお過ごしですか?梅雨の長雨や、僕が日本に住んでいた時には無かった言葉「ゲリラ豪雨」などこの季節は自然災害も起こりやすく、また湿気の高さやスッキリしないお天気のために気分も落ち込みがちになりがちですよね。みなさん、元気になさっていらっしゃいますか?

僕はいつものように毎朝の散歩に出かけて楽しい朝のスタートで1日を始めています。そういえばその散歩で藤の素敵なバスケットを数個、無料で手に入れることができたんです。早起きは三文の得ですね。

実はドイツには面白い習慣があります。家の中でいらなくなったものってありますよね。「まだ使えるんだけど、あっても使わないんだよね。」そのようなもの、皆さんはどうしていますか?ドイツの人はそれを段ボールとかに入れて「ご自由にどうぞ」という紙を張って自分の家の前に置きます。

通行人はその箱の中に自分が欲しいものがあれば、ただそこから欲しいものを取って家に持って帰ればそれでおしまい。物を減らしたい人はごみとして処分しないでいいし、何か欲しいものが入っていればまた誰かが有効利用をしてくれる。とってもいいシステムだなって僕は思っています。なので今回の藤のバスケットももういらなくなったのである家の前に並べて置いてあったので無料で手に入れることができたというわけ。

この「お家前リサイクル」本当に色々なものを手に入れようとすれば手に入れることができます。僕がこれまで半年間の中で目撃をしたものの例を挙げると、机、ダイニング椅子、オフィスチェアー、レトロな人形、鏡、小ぶりな食器棚、トマトの苗、ソファー(これは外に置けないので張り紙が家の前にありました)、芝刈り機、スプリンクラー。ね、本当にありとあらゆる物があるでしょ。

自分の欲しいものが道の横に落ちているなんてなんて幸運なことでしょう。そして、そんな日は何となく自分の人生が良いものに思えるんですよね。

そこで思ったんです。僕たちの「幸せだ」とか「不幸」だって気持ちは自分の物の見方で変わってくるのではないかって。

僕は自分の人生がとても好きですし、この人生で本当に良かったなって思えます。誰かに「あなたは幸せですか?」と聞かれたら、「はい、幸せです。」と答えると思うんですよね。

では僕の人生というのはそんなにもバラ色の人生なのかなって思われた方います?僕にとってはバラ色の様にも見えるんですけれど、ネガティブな個所がゼロかというと絶対にそうではない。例えば僕にはキャリアというものはありません。収入だって同年代の人に比べれば遥かに少ないし、フリーの仕事なのでいつ失業をしてもおかしくない。アメリカ、イギリス、そして今ドイツに住んでいる。もしかしたら将来は違う国にいるかもしれないし、そもそもドイツに残れるのかも分からない。これってかなり不安要素大きい人生ですよね。

けれど、キャリアがない分、僕は自分の時間が多く取れてその時間にYouTubeの動画を企画、撮影、編集出来たり、こんな風にブログを書いたり、ベランダのガーデニングをしたり、写真アートを作ったり、「人生を楽しく生きるにはどうしたらいいのだろう?」と考えることもできる。この自分の時間が僕にとってはお金よりも大事なものなのです。

キャリアや大きな収入はないけれど、毎月生き延びることができるお金は稼げているし、少しだけども貯金もできてる。それでいいじゃないかって思うんです。フリーの仕事も確かに先行きが見えないので不安ですが、そんなことを気にしていたら生きていくのは辛くなるだけ。それならば「この人生の長い間、フリーで生きてこれたのだから、これからもそうなる可能性が高いよね。」と自分に励ましてをかけたほうが精神的にもいいですよね。

4つの国に住んできた中で、どこの国に住もうが結局は自分なりの生き方を探して、好きなように生きてきた。だからドイツであろうがそれが他の国であろうが僕にとっては多分さほど関係はないはず。

確かに楽観的に見すぎるのは危険かもしれません。だけど、ネガティブな気持ちっていつか自分を蝕んでいくので、もしネガティブな所を心の中で思うのであればそれに対処できる自分なりの説得法を考えておくことが必要だと思うんです。これが上記に書いたようなものですね。これをちゃんと不安になっている自分に言い聞かせてあげること。その時はただ言うのではなくて、子供に言い聞かせるようにちゃんと納得をさせる話し方で喋るのが良いかもしれません。

僕たちがどうしてこんなにも自分の置かれている状況の「不幸」に目を向けてしまうのかを考えてみるともしかしたら学校で学んだことが起因しているのかもしれないなと思いました。

ほら学校では「テストの点数は高いほうがよい」、「スポーツをするならば勝つこと、優勝することを念頭に練習しよう」とか、全ては今あるところよりももっと上に「良いものがある」と僕たちは教えられてきたように思うんです。

ではそのベースにある考えって何だろうかと考えると「今のあなたは不完全で、そこに幸せを感じるなんて無意味」とか「幸せはここには無くて、向上心をもってこの壁を上り上げたものだけが持てる特別なもの」という事ではないかと思うんです。つまりは、「自分の現状は不幸であると感じること」ですよね。

これならば自分の人生に幸せを感じる人が少ないのも納得できます。だって僕たちが届かない目標設定をして、そこに頑張ってよじ登ろうとしているのだから。

しかも、そこにたどり着いても、気がつくとまた高いゴールを設定してたりするんですよね。

お金であれば、収入が300万だった次は500万、その次は700万。または、インスタのフォロワー数なんかもそうですよね。最初は200人で「うわーたくさん!」とか思っていたのに段々と「500人ほしい!!」「次は1000人!!」どちらも上を見たらきりがないですよね。そして上に行けば行くほどにそのハードルが高くなっていく。

幸せのハードルが高いと、それに届かない自分の人生との差が大きすぎてそこで落胆。「僕の人生なんて、、、、」と不幸な気持ちに浸る。

けどね、思うんです。どんなに名声を得ようが、お金持ちになろうが、彼らが幸せであるかどうかは本人次第だって。それはニュースを見ていれば分かりますよね。傍から見たら幸せそうな人が自分の命を絶ったり、薬物やアルコールに依存していたり。僕たちが思う幸せの象徴であるはずの、名誉的地位や、お金があるからと言って決してそれが幸せと結びついているわけではない。

それならばその届くか分からない高いハードルに挑戦するのではなくて自分の足元を見てみませんか?

今自分が持っているも物、自分の周りにいる人々、生きている環境。この中に無くしてしまったら後悔するような大事なものが数多くあるのではないでしょうか?そしてそんな素敵なものがある自分の人生って幸福ですよね。

だからね、始めてみましょうよ。自分の人生に何があるのか、そしてどれだけ自分の人生は幸せに満ちているのか、自分の足元をしっかりと見てみること。

そうすればもう、「自分の人生は不幸である」とは思えなくなるはずですよ。

寝返りを何度もしても眠れぬのならば

今年のカレンダーがいつの間にか半分までめくれてしまいました。時間のたつのは本当にあっという間ですね。日本はこの季節は梅雨の頃でしょうか?北ドイツは今が夏。ですがこの数日は風が強かったり、雨が降ったり、雨雲で空が覆われていたりとまるで日本の梅雨の様です。また、温度も下がり最高気温が15度の前後を行ったり来たりで長袖、時には薄めのニットを着ています。

布団のカバーをコットンの肌触りのよく、涼しげなものに変えたのですが時に寒さを感じてしまう夜もあります。ですがまた夏が来てくれるのではないかという期待を込めてコットンカバーのベッドに入る次第です。

皆さんはちゃんと眠れていますか?睡眠は本当に大事なものですよね。色々な研究でも睡眠の重要性が報告をされています。何時間寝るのが良いのかとか、何時までにベッドに入るのが最適かとか、寝る前にしたほうが良い習慣など様々な研究報告がされていますよね。

睡眠の重要性は分かったのだけれど、ベッドに入っても眠りが訪れない。そんな時がありますよね。

ベッドに入ったはいいものの少しうとうとしたかなと思った時に何か嫌なことを思い出して、「あー、あんなことしちゃったな。」と思って、そこで終わってくれればいいのに「そういえば似たような失敗を前にもしでかしたよな。」「あれ、自分ってこの仕事に向いていないのかも、、、、」って考え始めて気がつくと目が冴えて眠りは遥か彼方へ。

それから頑張って、無理をしてでも眠ろと努力するのに頭の中の不安とか恐怖が止められなくて、寝返りばっかりうって、時計のだけが無情にも朝へと進んでいく。

こんな夜を迎えたら皆さんはどうしていますか?

僕にもこんな夜は時にあります。「あー、このままフリーランサーで食べていけるのかな?」とか。「今している仕事も2,3年後にはないかも。その後はどうやってお金稼ぐんだろう、、、。」なんて考えてプチパニックに夜中に襲われることも。

そんな時にはまず「自分と脳を切り離す」という行為をしています。

ある研究者の中には、寝る前に人間が不安に取りつかれるのは原始の生活を関りがあるためと主張する人がいます。外敵の多い狩猟、採集時代において不安なことや恐怖心が頭の中に常にあると意識がそこに集中をするのでその障害をいかに避けるかを考えて、それにより考える力が早くつき生き延びたのではないかというのが彼らの考えだそうです。

ただ僕たちが生きている21世紀にはそのように日々外敵の攻撃に怯えるという事はないわけで、どちらかと言えば「いつも通りすごしていれば明日は自動的に来る。」と思っていますよね。なので、ゆえにこの原始的な考えのファンクションが眠れない夜を創り出しているのではないかという事なんです。

残念なことに脳の発達、進化というのは100年ぐらいではあまり変わらないのだそうです。僕たちの持っている脳が上手く適応をできるのは狩猟時代、または頑張っても農耕時代初期までだそう。という事は今の情報化社会なんて脳からすると対応できないに時代なわけなんですよね。

ですので、眠る時に不安や恐怖で頭がいっぱいになったらまずは「これは21世紀に適応をできない脳が暴走をしているのだ!」と思いましょう。そして、その感情と自分の間に距離を置く。ほら、暴走している車に乗っているから危ないのであって、その車を降りれば安全ですよね。

ではその暴走者からどのように下車をするんかなのですが、深呼吸が1番ではないかと思います。ふかーく息を吸い込むのに4秒。数を数えながら、もう吸い込めないくらいにまで吸い、そして一瞬留めて、そしてゆっくりと6秒かけてすべてを吐き出す。これを5分間くらいやってみてください。

この時に大事なことは不安なことや気になっている事が頭の中に浮かんで来たらバレーのサーブをする時の様に遠くへと打つ。この不安な考えはいつでも「もぐらたたきゲーム」の様に顔を出しますのでそのたびに自分の頭の中から遠くへと飛ばすことが大事です。

もしこれでもまだ目が覚めてしまうのであればその時は寝ることを諦めてしまいましょう。こんな時にはどんなに眠ろうとしても無理なのですから。

このように状態になった時には僕はまずベッドサイドのそんなに明るくない灯りをつけます。そしてベッドサイドにおいてある読みかけの本を手にして読み始めるのです。この時に読む本としてはあまり自分の実生活に関りのない内容のものが良いと思いますよ。ほら、実用書だと脳のスイッチが入ってしまいますからね。ファンタジーとかSF小説だと想像力が膨らんで頭がそのイメージで満たされるので不安を考えるのも困難になってきますよね。

人間の脳って先ほどお伝えしたように今の社会に適応できていないと言ったでしょう?それをどういうことかと考える時に「脳は自分の子供」だとおもうとよいのではないでしょうか?ほら子供ってすぐ感情的になるし、疲れるとぐずるし、ちゃんとお世話をしないといけないですよね。自分の脳もそれと同じだと思うと少しイメージしやすいのではないかと思うのです。

寝る前の子供に本を読んであげて眠りを助長してあげるように、大人になった自分の脳に読み聞かせをしてあげるイメージ。

本を読んでいると面白いことに物語の映像が浮かびながらも、途中で自分の見ている夢なんかが入り込んできてとても不思議な気分。そうなってきたら段々と瞼も重くなってきたりするので電気を消して、また眠るのに挑戦。そんな時、今度は何か自分の好きなことを考えるのが1番かも。しかも何かワクワクすること。

僕は家の間取りが好きなので、そんな時には自分が家を建てたらどのような間取りにするかなと考えてみます。玄関はこんな色とか、どのような窓がこの部屋にはあってとかそんな細かな部分まで頭の中で考える。こうしているといつの間にか眠っていますよ。

間取りの他にも例えばお菓子のつくり方とか、旅の予定とか、模様替えをしたらどうするだろうとか。そんなことを細かなところまでイメージしながら深呼吸して目を閉じていれば不思議と眠りは訪れてくれるでしょう。

眠れない夜は試してみてくださいね。

このお話をした動画を作っています。動画の中では3つの材料でできちゃう簡単で美味しいフローズンヨーグルトについて撮影をしていますので、遊びに来てくださいね。

怒りや、悲しみは5秒経ってから味わってみましょう

皆さん、いかがお過ごしですか?静かで、穏やかな日々が送れていますか。僕の住む北ドイツの小さな町は寒い夏の日々が続いています。

元々、北ドイツは夏でも日本の様に暑くなることはないのですが、それでも時には30度に(年に1,2度ほど)達することもあるのです。ただこの数日間は、グレーの雲が空全体を1日中覆っていて朝の気温は7-9度と一桁台。寒いです。

ただ、朝の散歩には実はこの位の気温の方が空気が美味しなとも感じるのですけれど。物は考えようですよね。同じものでも良い所、悪い所の両方を兼ね備えている。それならば良い所を見ていけば辛い気持ちになりませんものね。

という事は、自分に降りかかってくる災難も、考え方次第だという事ですよね。けれど、災難の時にはそんな気持ちになれませんよね。「なんで自分にこんなことが!!」「一生懸命にしたのに、、、。」なんて気持ちでいっぱいで、「良い所」があるなんて感じれる暇さえない。

しかも面倒なことに怒り、不安、恐怖心って考えれば考えるほどドンドン増幅してしまって、時にその重さに耐えられなくて押しつぶされそうになる時もありますよね。

けれど、世の中には問題もなく楽しそうに生きている人もいる。お金が多くあるわけでも、世の中で地位があるわけでもない。なのに、なぜ?そう思いますよね。

なぜなのだろうと思って脳について調べてみました。そして、面白いことが発見できました。

怒り、恐怖、不安と言ったあまり人間が持ちたくない感情は実は人間の本能を司る部位である大脳辺縁系が管理をしているらしいのです。そしてこれは他の動物にもあり、作りというのは動物も人間も、そして魚もあまり変わりがないと言われています。そして、この感情を起こすのは自分の生命の維持に不可欠だから。だから、これらの感情は電光石火で僕たちは感じるらしいのです。

動物の人間の脳がある部位はほぼ同じと書きましたが人間だけがとても発達を成した部位も脳の中にはあるそうなのです。それが前頭前野と言われる部分。

この部分は集中したり、記憶したり、やる気を起こしたり、コミュニケーションをしたりととても大事な脳の部位だそうです。ただこの部分は脳の中でも一番に発達が遅くて、しかも衰えていくのも早いというのです。

そしてこの部位のもう1つの働きが、「感情のコントロール」なのだそう。

つまりは感情が発生している部分と、それを上手く調整してくれる脳の部分というのが違うというわけ。

前にも書きましたように生き残りに必要な「感情」はすぐに感じるように出来ているのですが、この感情のコントロールが出動をしてくれるのには少し時間がかかってしまうらしいのです。

その時間が5-6秒。

ほら、怒り、不安などの気持ちに襲われるとすぐに罵声をあげたり、ネガティブ感情に飲み込まれたりしてそこから「しなければよかった、、、」ってあとで後悔をしてしまうよなことをしてしまったりすることあるでしょ?あれは、ちゃんと感情をコントロールしてくれる救急隊員である前頭前野の出動を待たずに行動を起こしているからなのです。

だから、ね。次に怒り、恐怖、不安を感じたのであればまずは5秒待ってみましょうよ。その時は深呼吸で待つのをお勧めします。

深呼吸のやり方はとっても簡単。大きく思いっきり空気を吸い込んで、そう、もう無理だなってくらいいなるまで。これを4秒間カウントしながら吸ってみてください。そしてそのいっぱいになった空気を今度は少し長い時間、そうですね6秒かけて吐き出してみる。この時もカウントしながら出せるところまで出してみる。これを、3回していたらどうです?そうすれば30秒。その時にはもう前頭前野が到着をしてくれていますよ。

ただ気を付けて欲しいのがこの深呼吸の間に怒りや不安の原因を考えないこと。確かにそれって難しいことなのですが、呼吸をしていてその出来事や感情を思い出して来たら、それを風船だと思ってください。そして、「飛んでってしまえー」と頭の中の空のかなたに飛ばすイメージををしてまた呼吸に集中してみましょう。これは、上手くいきますよ。

3セットの深呼吸を終えて、さあ、そこから自分がどう立ち振る舞った方が得なのかを前頭前野と一緒になって考えて、それから次の行動に移っても遅くはないのではないですか?

ネガティブな感情も人間が生きていくのには必要なもの。それならば、それとどのように共に生きていくのかを探していく方が、それを一切に退けるよりも楽ですよね。

このことを動画にしております。また動画では、今の僕が美味しいと思うコーヒーの淹れ方、そして窓辺で過ごすゆったりとした時間もお届けしていますのでどうぞ、遊びに来てくださいね。

何はともあれ、全ては自分から

皆さん、お元気に過ごしていらっしゃいますか?ドイツはこの季節は夕暮れを迎える時間が遅いです。夜の9時半でもまだ明るさが残っているそんな季節なんですよね。日本に住んでいる人にとってはびっくりかもしれませんが、この日没あと一ヶ月は遅くなります。そして、夏至の日からヨーロッパの人たちは心の片隅に「冬への準備」のサインが小さく灯るのも事実。日本は夏至の頃は梅雨真っただ中でまだ夏前という雰囲気なので世界も住む国が変われば考えることも変わってきますよね。

僕は6月の下旬生まれで、学校の誕生日カードにはいつも雨、カエル、長靴や傘の絵がのっていました。何となくじめりとした物憂げな季節。そんな空模様を6月終わりでは日本人は想像しますよね。

ところが、ヨーロッパには梅雨が6月にはなく、しかも1日で日照時間が1番長いのが6月の下旬。この頃は天気も悪くなく太陽の日差しも気持ちがいいから僕の誕生日は余裕で「夏の子」というイメージ。

この違いって大きいですよね。なのでヨーロッパに住み始めてから「ジメジメっ子」から「夏っ子」に乗り換えれた感じがあって嬉しいです。もし自分の誕生日の月に「いやだなー」と思う人がいたら世界のどこかではその誕生日月のイメージは、あなたのイメージとは違った景色かもしれませんよ。そう、南半球を考えれば真逆の季節なので自分の好きなイメージのものを勝手に選んでも問題なさそうですよね。。

すべては自分が穏やかで、幸せでいられるのであればそれでいいではないですか。

心穏やかに生きるのって、どうですか?難しくなっていません?僕も何も悲しくなる理由がないはずなのに何か落ち込んでしまったり、悲しかったりするときが時にあるんですよね。「なぜ?」って考えてみました。理由もないで悲しいっておかしいですもんね。それで気がついたんです。「あ、これちょっと前に見たニュースの女性が泣いて自分の経験を語っている雰囲気が感染してるなって。」

僕には死んだ人間が見えるとか、オーラを感じるとかの能力はないです。もちろん。けれど、僕たち人間って実は人の感情を伝染しやすい生き物なのかもしれないなって思うんです。ほら、自分の事でないのに嬉しくなったり、もらい泣きしたりすることってあるでしょう?あれって感情が伝染をしているのではないかと考えてみるとどうでしょう?ありそうな気がしません。

では、感染すると仮定してみると、確かに突然に自分の気分が今までと変わる時って他人のニュースに触れた時だと思うです。

僕が思うに、感情の感染って、ポジティブもネガティブをあると思うんですけれど、ネガティブの方がどうやら簡単に移りやすいみたい。

なぜかというとポジティブな他人のニュースは時に転覆が起きてしまうから。「転覆」っていったいどういう事?って思われてます?では例をあげますね。

インスタグラムで様々な人の写真やストーリーを見ている時に「嫉妬」とか、「自分の人生とのこの差はいった何なんだ!」なんて思ったことありませんか?

インスタグラムには基本的にはみんなが楽しい瞬間の時の写真や動画を載せていますよね。という事はポジティブが感染をするのであれば、幸せそうな姿を見れば自分も幸せになるはず。だけど、このようならないのは自分とその人の生活の充実感や、社会的地位の格差を比較してそれに引け目を感じているからなのではないでしょうか。つまりは、今の自分自身に納得できていない。

このような時にこのポジティブな感情がネガティブな感情へと変わってしまう転覆が起こってしまうように思うのです。

そんな時にはそんな情報は遮断してしまいましょう。別に他人がどこかで美味しいご飯を食べていようとも、豪華なホテルに滞在していようとも、あなたの人生がその出来事で変わることはないのですから。まずは、自分の心の余裕をもってそれから、他人の幸せ自慢を見ても心はそこまで揺らぎませんよね。

テレビやネットのニュースも同じ事。自分の心に余裕がないのに他人の悲しい話や辛い話は受け入れるのは辛すぎます。少しでも気分が重い時は何も社会のニュースには触れずに自分の生活にフォーカスを当てる。これが1番です。

最近はどのメディアもいかにアクセス数や視聴率を取るかで必死でその内容というものが過激でしかないように思うのです。「これを食べると癌なりやすい」とか、「大地震や大津波はいつ起きてもおかしくはない」とか、「斜陽の国、日本」のようなものばかりで、これを見ないとないか大切なことを見逃してしまうのではないかと言う様な不安をあおるものばかりですよね。しかもそれが1回で終わらずに数回の特集だったり、「続きはまた明日」という中途半端な所で終わってしまう。

こうなれば、「次回も見なきゃ!」というのが普通で、特に不安症の日本人の人にとってはこのような不安を煽る内容って引き付けられるので視聴率も取りやすいのでしょうね。だから、このような謳い文句が良く溢れているように思います。

けど、このようなニュースの怖いのはその内容もさることながら見た後の不安な気持ち。見る前はそこまで不安を持っていなかったのに終わった後は「もしかしたら私の人生、上手くいかないのかも」なんて思いに駆られてドンドン落ち込んでしまうってませんか?これは多分、しょうがないんですよね。脳は「今、現実の不安」と」起きてないけれどももし起きたらという妄想の不安」を区別できていないのではないかと思うからです。ですので今は何も起きていないにもかかわらず不安は本当の事のように大きくなって、そうなると何となく生きることに意味を感じずに無気力で、やる気もなく、気が滅入ってくる。けれどそんな落ち込んだ気分にどうしてなるのかハッキリした理由もないから「この生きている世界がどうしようもなく悪いからだ。」とか、「私の人生が無意味だから。」なんて言う結論に至ってしまう。これって怖いことですよね。本当はただ一方的に与えられたマスメディアのある意味で作り出された不安に飲み込まれて、自分の人生が不安定だと感じてしまっているという事なのですから。

だから、自分の心に余裕がない時には、ニュースも見る必要なんてないんです。たかが1,2日見なくたって世界が終わることはないし、自分の生活だって一気に180度変わるという事もほぼないでしょうから。だからまずは、他人の事よりも自分の事。

自分自身のニュースに耳を傾けあげましょう。

「自分自身のニュースはではそうやって聞くのか?」そんなことを思っている人はいませんか?かなり自分のニュースを聞いていなかった証拠ではないでしょうか。けど、ご心配には及びません。自分のニュースは意外と簡単に聞くことができます。

例えば自分の体が訴えているニュースのサインを聞いてみる。

まずはゆっくりと目を閉じてみて自分の全身に耳を傾けましょう。頭の先から、顔、そして肩。次は腕や胸周り、そしてお腹に移ったら次は腰と足の付け根。そして足全体を降りて行って最後は足。

どうですか?痛い所や動かすと硬い所がありませんか?多分そこは何らかの無理をして体がSOSの信号をあげているところです。でうすのでまずはなぜ痛み、または違和感を感じるのかを考えてみましょう。そしてその次にその痛みや違和感を緩和できる方法がないのかを考えてみて、答えが出たらそれを実行に移してあげましょう。これこそが自分のニュースを聞くという事だと僕は思います。

これはもちろん、肉体的なものだけでなく、感情的なものでも同じです。最近、イライラする時が多いとか、何となく気分が沈んでしまう。そんな時は、その気持ちはどんな時に、または何をした時に起きるのかを考えて、そして自分はどうしてそのような考えを持ってしまうのかという所を考えてみてみると良いかもしれません。

僕が思いますに人間というのは実はとても繊細なつくりで、いつもどこかが壊れてしまっていると思うんです。だからその体を動かしている僕たち自身がちゃんとその体や感情にしっかりと目を配らせて壊れているところ、または弱っているところに気がついて何らかの処置をする。これこそが大切なことだと思います。

それができて、少し自分の心の中に余裕ができてからでも日本のニュースや、世界のニュースに自分自身の身を投じるのは遅くないと思うのです。

ですので、まずは自分のニュースに耳を傾けて、自分の心の安定を持とうではありませんか。そこからが世界を見る始めの第1歩となるように僕は思います。

このことをお話としてYouTubeの動画にもしています。バルコニーガーデンの種まきの様子と共にお楽しみください。

常識の外へ出る準備は食卓から

皆さんいかがおすごしでしょうか? ドイツは5月に入って天気が良い日が多いのですが、太陽がない日はなぜか肌寒さを感じてしまって今日はセーターを着ています。「5月にセーター?」と日本に住まわれている方は思うかもしれませんね。そうなんです。セーター、または長袖の服はヨーロッパでは夏でも必需品なのです。だから、日本のような衣替えという事もないんですよね。

Tシャツとか、タンクトップは着れたら回数が多かったらラッキーなものであるか、旅行で暖かな地域に出かけた時の服装、そんな意味合いを持っているように思います。

そうは言うものの植物はちゃんと育っていて今僕のバルコニーの庭では薄紫のライラックが咲き誇り、その花に顔を近づけるととても良い香りがしています。数週間前に植えた野菜の種たちも確実に伸びてきました。さて、今年は多くの収穫を望めるのでしょうか。今から楽しみです。

ドイツに住んでもうすぐで5年になります。はやいものです。その割にはドイツ語がそこまで上手ではないのが悩みではあるのですが、30代半ばで始めたドイツ語学習なので「語学は年齢とともに難しくなるかならね、ゆっくり学べばいいよ。」と自分言い聞かせています。

語学学習はもともと好きなので、毎日30-40分ほど好きなやり方でしています。やっぱり、「好きだな」、「楽しいな」と思えることが一番の学習法だと僕は思います。面白くないもの何て学びにくさしかありませんからね。まずは学習法を好きになるというのが大事かなと思います。

ドイツの暮らしもすべてが「理想郷」ではないのです。沢山の「なぜ?どうしこうなの?」というものがあります。「日本ではこうではないのに!」とか、「イギリスの方がここはマシだった!」そんなことを思う時もあるのです。けれど、こう考えたところでドイツ流のやり方が変わるわけでもないし、自分の常識を振り回したところで何の役にも立たない。じゃ、変わらないものを変えるのではなくて自分の持っている常識をまずは捨てて、新しい「常識」を自分の中に取り込めば、この問題はなくなりますよね。

とはいっても、常識というものはその概念が自分の中に確固たる形として存在をしているから常識になっているのであって、それを手放すなんて不可能に近い。そうおもってしまいますよね。

では、あなたの常識を変えるというのは本当に無理なことなんでしょうか?

海外に住んでいると「え、これ日本食じゃないよ、、、。」と思うものが日本食として出されていることがあります。例えばサンフランシスコに住んでいた時に揚げ出し豆腐を頼んだら、あげられた豆腐にあんかけがのったものが出てきました。「いやー、これは違う!もう少し水分多いでしょう!ざるの上には乗ってないでしょう!」と心で突っ込みながらも食べました。その時は「だまされた!」という感情が多くて正直言って味を楽しんでなかったように思うんですよね。

最近はロンドンにも日本からのラーメン店が進出して日本のようなラーメンを食べれるようになったのですが、00年代半ばから後半の頃は「これは、ラーメンではない。」というものがラーメンの名のもとにレストランで出されていました。その時も自分の常識のラーメンと違うという事で「おいおいおいおい!」そんな言葉が頭を満たして、味までに気を配ることができなかった。

けど今考えてみると、あれはあれで美味しかったのかもしれない。って思うんです。自分の常識とはずれていたからその事ばかりに気を取られていてそのものを味を感じられなかった。あれが例えば「韓国風揚げ出し豆腐」という名前だったら、または「ヌードルスープ」って名前だったらあんなにも「これは一体何なんだ!」なんて思わなかったように思うのです。

つまりは自分の常識にとらわれ過ぎていて、その物の本来の素晴らしさに気がつかないでいたという事。

日本は食をアレンジするの好きですよね。明太子パスタや、ハヤシライス、カレーもそうですよね。海外の食文化を取り入れてそこから自分でアレンジをして作っている。けど、イタリア人やインド人からしたら「え?これ何?こんなのないよ、僕の国では」って思われるでしょう。

だけど、カレーもハヤシライスも、明太子パスタも美味しいですよね。食の本来の意味は食べ物を美味しく食べるということなのではないでしょうか?それならばそれを満たせていればこれが日本食だろうがイタリア料理だろうが関係はないんですよね、本当は。

海外に住んでいると日本が好きな外国の友達が日本食を作ったという時があったりするんです。味噌汁になぜかパプリカが入っていたり、日本のカレーなのにご飯ではなくパンが添えられていたり、緑茶にハチミツが入っていたり。「これは日本食ではない」って言ってしまえばそこで終わりですけれど、「ま、これもありかも」と思ってまずは食べてみる。もしかしたら出会ったことのない自分好みの味なのかもしれないと思って挑戦をします。美味しい時もあります、そして単に不味い時ももちろんあります。それは運しだい。だけど、試したことによって僕の頭の中には新しいバリエーションの味噌汁、緑茶、カレーの常識が生まれる。これって素敵ですよね。

自分の思っている常識のその向こうの味に出会えるって少しエキサイティングなことじゃありませんか?

こうやって食卓から「普通はありえないくみあわせ」を自分で色々と実験して試していけば、あなたの食の常識はきっと広がるはずです。その大きさが広がっていけばいくほどその「常識」は食だけにとどまらずあらゆることに「これって常識だと思ってたけど、なんで?別にそんなに頑なになることないんじゃない?」って思えてきそうでしょ。

ですので、常識を壊したいのであればまずは食卓からお試しください。

実は僕は塩レモンで混ぜご飯を作って今回の常識を崩してみました。それを動画にしていますので是非良ければ動画を見てもらえればと思います。またお話ではこのブログでしたことを簡単に話しております。楽しんでいってくださいね。

今日から自分に優しくなる!

みなさん、静かで穏やかな1日を送れていますか?

僕の住む北ドイツの小さな町は今日も穏やかです。朝方は曇り空だったのですが昼過ぎから青空が見え、今は太陽の光がベランダに降り注いでいます。

先週までは花でいっぱいだったサクランボの木も今は少し黄色みが強い緑色の葉を少しずつ茂らしていますし、その隣の洋ナシの木は鮮やかな緑の葉を木全体につけています。その中をオーケストラのリハ中のように様々な鳥の鳴き声が止むことなく聞こえます。ヨーロッパの春の景色。心落ち着く時です。

そんな僕の生活も外の色合いが明るくなるとともに変わってきました。外に出ていくときの黒いダウンジャケットが黄色と白の縞のジップアップのジャケットに変わったり、家の中での洋服も何時もよりも薄着になったり。春の生活スタイルへと移動しています。

数日前にベランダ菜園のために野菜の種を植えました。今回は、トマト、ニンジン、ほうれん草と豆。豆は何と2日で発芽。びっくりですよね、この速さ。ほうれん草は5日後に芽を出していますがトマトとニンジンはまだ何もない状態。赤ちゃんを育てるかの如く水は足りているかとチェックをしたり、日の当たる時には外に出したりと世話をしているところです。大きく育ってくれるといいな。

僕の家庭菜園もこれで数年になるのですが、何時も美味しい野菜が手に入るというわけでもないんですよね。失敗の方が多いくらい。枯らしてしまう、水をやり過ぎてしまう、植え変えのポットの大きさを間違えてしまう。本当に沢山。「せっかく育てたのに、、、」って思う事もあったのですが、自分のミスを責めたところで枯れてしまった野菜がもとに戻るわけでもないので自分を責めることはやめることにしました。

皆さんはどうですか?自分を責めすぎてませんか?

イジメって色々とありますよね。職場や学校でだったり。特に何をしたわけでもないのイジメの対象に合ったり。そんな他人からのイジメは想像がつきやすいのですが、自分自身をイジメることって意外と気がついていない人が多いのではないのかなと思います。

日本はよく、「根性で耐えろ!」「忍耐、忍耐!!」というを大事にする文化なので自分を甘やかすという事を悪いこととみている人が多いのではないかと思います。英語では「子供を甘やかす」という表現は有っても「自分をあまやかす」という表現はないように思うのです。これは「人間、時には自分に優しくするのも当たり前」だと思っている考えが根底にあるからではないかなと思うのです。ですので「自分に優しくする=甘え」という構図ができないのかなとも考えます。

どうですか?

「甘えちゃダメ。頑張らなきゃ!」

「こんなのみんなやってること。自分だけが弱音をはいてどうすんの!」

「辛いのは自分だけじゃないんだから、耐えなきゃ!」

こんな言葉を自分自身に語り掛けていませんか?こんな言葉ばっかりを自分に言い聞かせていれば、どうでしょう?気が滅入ってきません?これって自分に対する言葉の暴力の可能性だってありますよね。自分の首をいつの間にか自分で締め上げている。なんと恐ろしい、、、。

皆さんが自分に厳しいのはどうしてでしょうか?

これって自分の能力が何かの域に到達をしていないから、十分ではないから「こんなんじゃダメ!」って言い聞かせるのではないでしょうか?ではその到達点ってどこなんだろうと考える時に「社会が求める完璧な大人」という領域なのではないかと思うのです。

色々な場面でもそつなく振舞えて、感情的になり過ぎずに冷静に論理的、かつ効率的な行動をとれる。知識も豊富でどのような会話もでき、仕事のみならずプライベートも充実している。

こんな大人の像をみんなは目標に追いかけてませんか?

けれど、こんな完璧な人間っているんでしょうか?もしかしたら僕たちは完成をすることもできない理想像をひたすら追いかけてそれになれなくて自分を苦しめているのであればそれって辛すぎますよね。

僕がわかること。それは、「この世の中に完璧な人間なんていないという事。」

みんなどこかしら欠陥があります。そして別に欠陥があってもいいんです。欠陥も愛すれば、ユニークな個性に変わるのですから。自分ができないことを頑張りすぎるのではなく、自分のダメな所も受け入れてそこから無理をしないで自分を成長させる。それでいいのではないでしょうか?

じゃ、完璧ではない自分をどう受け入れていくのか。これは自分にまず優しくすること。

自分を褒めてあげること!

大きな成功を成しえた時や、一生懸命に頑張った時に自分を褒めてあげるのはもちろんです。けど、普段の日常の中で自分を褒めてあげるのがもっと大事です。小さなこと、些細な事にまず気を付けてそこを褒めてあげましょう。

例えば

目覚ましが鳴る前に起きれた!「偉いじゃん!昨日ちゃんと早めにベッドに入れたからだね。」

植えた種が芽を出した 「ちゃんと水をあげて世話したから、芽が出たんだね。お世話頑張ったね。」

仕事で遅くなったのに自炊した「疲れているのに自分の健康に気に使ってあげたんだね。しかも野菜も使ったから長く冷蔵庫にしまわれたままの野菜もすべて使えたじゃん。偉いね。」

エレベーターが込んでいたので階段を使った。「自分が使わない分、誰かが先に乗ることができて人の役に立ってるね。また昇降運動は体にとってもいいから自分にもいいことしてるよね。」

とこんな日常の大したことない物事に何か褒めれる要素がないか探してみてください。

この褒め方が見つけられない人は、子供を褒めていると考えてみてはいかがですか?子供を褒める時って誰にでもできることなのに、「片付けできてえらいね!」、「上手に自分のお話ができたね。」ってほめてあげれるでしょ?あの目線を自分にむけてあげる。そうすればできそうですよね。

そして見つかったのならばちゃんと自分に誉め言葉をかけてあげる。その時はただただ褒めるんじゃなくて、心の中にいる自分を想像して、その自分の目を見てちゃんと言葉をかけてあげる。これが大事なのではないかと僕は思います。

このことについてYoutubeでサンドライトマトのつくり方の動画と一緒に語っていますのでお時間ありましたら、そちらも観ていただけると嬉しいです。

リンクもここに貼っておきますね。https://www.youtube.com/watch?v=YXYd-EfdKJI

皆さんが心穏やかで、静かな1日を送れていますように。

また次回お会いしましょう。

この季節ならでは

気が付けば5月も後半ですね。4月の終わりから10日間のゴールデンウィークももはや、遥か昔的な感じがしますよね。もちろん、ドイツに住む僕には無縁だったのですが。けどね、英語を教えていると生徒さんの5月病とか、ゴールデンウィークに起きたことなどをきいてゴールデンウィーク気分に浸っていました。

ドイツには基本的のこんな大型連休はないんですよね。あるとしたらクリスマスかイースターのお休み位。ただ日本と違うのは、このお休み、出かけるためのお休みっぽくないところなんです。どちらかと言うと家族で過ごすことが一般的で、それもあってスーパーもお店もほとんどがお休みなので観光地に行くという事もないんですよね。もちろん、その分有給が6週間もあるので自分の好きな時に休みを取って観光や休暇に使います。しかも面白いのが、各州があまり学校の夏休みが被らないように夏休みの始まりも違うんです。よいアイディアですよね。

ユリ君と僕も今年は何を、どこへ行こうと考えています。スキー大好き人間のユリ君はもう、夏が来る前から今年の冬のスキーをどこでするかを考えているようです。僕は今年は日本に帰ろうかなって思ってます。2年ぶりなので、色々としたいことや会いたい人がいるんですよね。

最近は暖かな日も増えてきて、先週末に自転車を小屋から出してサイクリングへ。久しぶりの自転車で、1時間ほど海沿いを走ってきました。家の周辺こそ綺麗な青空で日焼け止めを塗り、サングラスをかけて準備万端だったんのですが段々と家から遠くなるにつれて雲が広がり、風も強くて寒い。しかもユリ君曰く、最初は向かい風の中を進むのがいいというんですね。そうすると帰りは追い風で疲れた体に楽だからって。確かに理にかなっているのでそうしたのですが、本当に違うもんですね。

行きは向かい風を漕いで45分間だったのに、帰りは追い風のおかげで25分。速い速い。

僕は自転車をこいでいるときは基本歌を歌っています。風が強いから誰に聞かれる心配もないし、歌によって気分も上がって元気が出るからおすすめですよ。

皆さんも新緑の中を自転車で駆け抜けてみてはどうでしょう?あ、けど結構な気温でもあるんですよね、日本は。もしかしたらもうサイクリングには暑すぎかな?


5月と言えども、まだまだ。

日本は長かった人は10日間のゴールデンウェークの休みを終えて、学校に仕事に戻って少し5月病にでもなっているころなのかな?長い休みの後に仕事や学校に戻るのって億劫ですよね。皆さんが5月病に苦しんでいないといいのですが。

僕は元気にしています。ユリ君が調子を崩してしまって1週間ほどかかり、先々週末は本当はユリ君と僕の2人でドイツの中央部まで旅行に行くつもりだったんですね。ホテルも、なんでも予約済みで。

だけど、僕たちの休暇の過ごし方と言えばハイキングに行ったり、スキーに行ったりと何かと体を動かすのが基本。なので、体調が悪いとハイキングにも行けないし、出来ることはホテルにいるくらい。それしその週末の天気は雨。そうなると、行く意味はないのでキャンセルしました。残念だけど、仕方がないこと。体調がなんでも一番ですからね。

僕もその後少し体調が悪くなって、どうしたのかな?風邪かな?って思っていたのですが、これはもしかして花粉症かな?と思って薬を飲むとその症状が緩和されました。どうやら花粉症がドイツでも再発したのかな、、、、。

と言ってもイギリスに住んでいた時も1年に数日間は花粉症で苦しんではいたのですけれどね。ただ、日本での花粉症は数か月も続いたのでそれに比べればかなりましかと。

ドイツでの生活が今年の夏でまる2年。2回目の春。どうやら花粉症も追いついてきたようです。困った困った。これがイギリスの時のように数日で終わればいいのですが、どうでしょう?今はまだ毎日、花粉症の薬を飲んでいる所です。

ドイツ北西部はまだ、寒い。4月に20度ほどのぽかぽか天気があって、春だ!!って喜んでいたのですが北国のん春と言うのはそんなに簡単には訪れないようで。先週1週間は最高気温が10度に届かないという寒さ。今週は12-13度くらいですが、日本の春のような気候にはまだ遠い様です。

この北海に接する町に引っ越して1年がたち、今年はパティオに植物を植えようという事になり、ガーデンセンターへ。ユリ君はあんまり乗る気ではなかったのに、日本でも有名なモミジを見るなり、「これがいい!!」というのでその鉢を1つ。あとは春の始まりに香りが良いライラックを買いました。ハーブガーデンも今作っており、ユリ君の願いもかねて今はトマトと唐辛子を種から育てているところです。

これから夏至へと向かうドイツは、庭が輝く季節を迎えます。

島に渡ってお茶の時間

少し時間が最後のブログから空いてしまいました。いつも読んでくださる方々には申し訳ない。ただ、新学期、会社の中の移動も終わった終わった先週、今週と英会話のクラスの予約が多くて、レッスンをするのとその準備に追われてブログをかける暇が取れませんでした、、、。それが突然に今日は忙しくない日程となり、ブログを書く時間が取れました。

ブログを書かない間にドイツも春が至る所で感じられるようになり、朝方はまだ8度くらいなのですが晴れた日の昼間は18度と穏やかな春の日差し。このまま20度半ばぐらいまで上がればいいななんて思うのですがそうなるとドイツでは真夏の気温。なので、それはもう少しお預け。

実はユリ君の友達が遊びに来てくれていたんですよね。1歳少しの子供と夫婦の3人で。子供がいる生活と言うのも週末の2日間味わったのですが、子育てって大変だなって感じたのが正直な感想。僕はcool uncleでいるのが1番のようです。

僕とユリ君の住んでいる町は特にすることがないというと間違いか、、、。唯一することは北海で過ごすこと。その北海に浮かぶ島があるんですよね。その島に行くフェリーが実は僕の町から出ています。片道1時間の穏やかな船旅。

ユリ君の友達夫婦はこの島に行きたいという事なので日曜日に行くことに。幸運にも天気も良かったんですよね。だけど風は強めで北海の風は冷たかった。出かける前にユリ君がウィンドブレーカーをもっていった方がいいよと言われて、今回はちゃんとその言いつけを守って大正解。

砂浜で横になって子供が遊んでいるのを眺めたり、ビーチの横のカフェで昼ご飯を食べて、また海沿いを散歩。春の始まりの太陽光線をいっぱいに浴びました。

この旅の1ばんのハイライトは、小高い丘の上に立つカフェでのお茶の時間。このカフェが本当に素敵で窓が沢山。そのほとんどから北海の海を臨めます。北海は日本海のように荒々しい感じではなくて、穏やかな瀬戸内海のような波。海の青と空の青、また芝生の緑の色のコントラストが素敵で深めのソファーでゆったりと腰を下ろしてココアを飲む幸せ。これはもう、幸せの何物でもないなと感じた瞬間でした。しかも1歳の子はこの時眠っていて大人4人で穏やかな時間を過ごすことが出来ました。

こんな近くに素敵な島が、そして時を忘れるようなカフェがある事、僕は幸せな場所にいるんだなって再確認できました。

春の雨

今朝起きると雨。最近は春のような日差しに花々が咲き始めて、木々も緑色に染まっていただけけに、グレーの空で始まる一日はどことなく暗さが付きまとってるななんて思いながら朝食のトーストをかじる僕。

ユリ君が会社へと出かけて行って、その後僕は物書きの時間。紅茶を今日はストレートで入れて準備完了。蝋燭の灯りで書き物をすると心が落ち着くのはなぜなんでしょうね?昨夜見た夢や、昨日できた出来事を書いて窓の外を見て一息。

細かな雨が縦に僅かな音をたてて降っているその光景が何となく素敵で、思わず窓を開けた僕。さっきまで僅かな音だった雨音は今は、はっきりとした音をもって僕の耳に届いてくるし、時折に鳥の声も交じりあいます。そして、少し冷たい外気が窓際横の僕にまとわりつくのも心地が良いこと。冷たいけれでもしっかりと春の雰囲気。

そんな雨を見てたら何か」特別なものが飲みたいなって思って戸棚をごそごそ。そして見つけたのは母が送ってくれた抹茶。これを茶こしでこして、そこに温かな牛乳を加えて抹茶オーレに。甘みを加えようかまとったのですが、今日は甘みなしで。それでも牛乳の柔らかな味と。抹茶の少しの苦みで十分な味わい。

窓を開け放ったまま、抹茶オーレを飲んで頭に浮かんだのが中学校で習った正岡子規の短歌。

紅の二尺伸びたる薔薇の芽の 針柔らかに 春雨のふる

僕の家のバラの新芽はまだに尺も伸びてはいませんが、本当にこの情景がぴったりな4月の金曜日の朝。抹茶オーレと言うのがこれまた、なんとなく優しくも寂しい味がしてこの雰囲気にぴったりでした。

今週末はユリ君のお友達家族が遊びに来ます。そう、家族。夫婦でなくて家族。1歳ちょっとの子供がこの家に来るんですよね。不思議な感じ。この家は子供に危険ではないのかな、、、。頭を強打主るかもしれないガラスのテーブルの角とか、土を食べてしまうかもしれない観葉植物とか。けどね、親もいるわけだからどうにかなるのかな。ただ、僕の持っている玩具はすべて避難させるつもりです。

今週末はいつも2人の週末でなくて、賑やかなものになりそうです。