36歳で思うこと

昨日ブログを書いた後、日本に住んでいる母に電話をしました。

子供の頃までは誕生日というと授業中の僕の生まれた午前11時ごろになるのをウキウキしながら待っていて、その時になると心の中で、”うわー。10歳に今なったんだ。”って叫んだり。その後は家に帰って待っている誕生日ケーキやプレゼント。まるで6月20日は僕が世界の中心に回っているような錯覚を覚えていました。だから、誕生日の日は心躍るようなウキウキ感が大きかったんでしょうね。

36回目の誕生日。素直に、自分の人生を振り返ってみて、”こんなにいい人生を歩いてこれたのは、母が産んでくれたおかげだな。”って思って感謝を伝えるために朝方の日本に電話を。

僕の生まれた時の状況を聞いてみたり、子育ての大変さなんかを自分の母親から聞くのは新鮮でした。

陣痛が始まったけど、なかなか出てこなくて陣痛の合間に母親はウトウトしてしまうほどの長さ。あまりに時間がかかるので陣痛促進剤打たれるもそのせいでうまく調子が合わず苦しむ母。そして今もそうなんですが生まれる前から肩幅が広くてどうも産道で肩が引っかかって出てこれなくなってしまい、やっと生まれた僕は泣きもしない、仮死産。その後何も音を発さないのでお医者さんに叩かれてやっと泣いた僕。途中で酸欠状態になったためなのか、母親の前に現れた赤ちゃんの僕はしわくちゃで、真っ青のそれは、”かわいい”とは程遠い見た目だったのだそうです。

その後、もしかしたら酸素不足から脳に障害が起きている可能性もあるからとお医者さんに言われ、数件の病院で検査。これって初めての子供の子育てでも大変なのに、母にとっては追加のストレスだったんだろうなって。結果、問題なしで落ち着くのですが、、、。

次に現れたのが苺状血管腫。これ、赤ちゃんの時にできるもので、毛細血管の異常な増殖によって体に赤いあざのようなボコボコのマークが出てくるんです。僕はちょうど左の胸の腕に出てきて最初は小さかったそうなのですが、どんどん大きくなって色もどす黒い赤に。今でもよく見るとうっすら赤みを帯びているのですが、僕の2歳ぐらいの上半身裸の写真とかは虐待されて内出血をしてるのではないかというような大きな赤黒いマークがあってちょっと痛々しいほど。それも6才頃には今の薄さに。

6才になった時は川崎病を発病し、入院生活を送りました。僕は最初こそ怖かったのですが、そのうちに小児科病棟にも慣れて就寝前のおしぼり配りの係や、寝る前の放送をしたり楽しい思い出の方が多かったんですよね。漫画の上手な中学校のお兄ちゃんや、同い年の子供たち。みんな何でもなくあそこにいて生活していたのですがそれぞれに何かの病気と闘っていたんでしょうね。

そんなお気楽な僕とは裏腹に、川崎病って心臓に問題が起こることが多くて時には突然に心筋梗塞で死亡することもあるのだそう。また治っても長いあいだ病院に通って定期的に心臓に異常がないのか脈はちゃんと均等化などを調べなきゃいけない大きな病気だったのです。そのときの治療でその頃は保険適応外の注射(1回数万円)を五回ほど打って心臓の後遺症が残らないようにと決断した両親の気持ちを考えると心が張り裂けそうです。親心子知らずってぴったりだなって。

その後の定期的な検診で何も心臓に異常も見つからず、最後の健診のときは”マラソン選手にもなれる心臓だよ。”とお墨付きをもらって、そのお大病もせずに今に至ります。

36歳になって初めて、誕生日って自分を祝うことよりも産んでもらったこと、育ててもらったことに感謝をする日なんだなんって遅いながらも気がつかされた1日となりました。

36歳の初めての日、いいスタートが切れたようです。

 

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