秋の長雨。って素敵な響きじゃないんですか?あまり気温の上がらない湖の湖畔を家の中からみて、遠くには山があってその姿も、雨の白さに少しけぶっている、そんなイメージを僕にはわき起こしてくれるんですよね。
それで、秋の長雨っていつ頃なんだろうと調べてみると停滞前線が日本列島にかかることが多い9月中旬から10月上旬の長雨の事らしいんですね。その他にも秋霖(しゅうりん)とも呼ぶそうで、秋霖のほうがもっと僕のイメージにぴったりだなって想像の世界に入ってます。
言葉が喚起するものって、いいですよね。時にはある時の記憶に、時には想像の世界に連れて行ってくれるから。日本語が僕の母国語のためか、日本の言葉にはその作用が特に強くあるように思います。
そんな雨の話をしたのは、ドイツの北西部は昨日は朝から夜まで風が強く、横殴りの雨の1日でした。昨夜の晩に目が覚めると、何か物音が。なんだろうとよく聞くと、屋根を打つ激しい雨音でした。今朝の朝もぐずついたほら模様でしたが、今は雲が多いけれども雨はやんでいる状態です。
そんな秋のドイツを旅した人の本をついこないだまで読んでいたんですね。
背景のぐちゃぐちゃと書きなぐってあるのは僕のドイツ語の勉強の成果。ドイツ語の勉強の一休みとして読んでいたんです。ドイツ語を頑張った僕へのご褒美に。
作者は宮本輝(みやもとてる)。この本をよむまで知らなかった作家ですが、ドイツに関する本を見つけている時に巡り合ったんですよね。著者の作品のひとつ、”ドナウの旅人”。物語は舞台をドイツからルーマニアとドナウ川に沿って、母と娘を中心に進んできます。その物語のリサーチをしようと宮本さんがドイツを訪れたときの旅エッセイが、この異国の窓からなんですね。
この本の単行本が出版されたのが1988年の1月。ベルリンの壁崩壊が1989年の11月なので、このころは西ドイツと東ドイツに分かれていたころなんです。旅の始まりは西ドイツ、そしてオーストリア、祖bの当時共産圏だったハンガリー、今は無きユーゴスラビアやブリガリア、そして旅のおわりルーマニアへと続いていきます。
およそ30年前に書かれたこの本。ところどころに今との違いなどを感じたりします。まず、このころの日本はバブルの中で絶好調。宮本さんも本の取材のために新聞社の人、それにあと2人の計4人での旅。散財しているとは言いませんが、何とくお金には不自由していない感じは伝わります。あと、宮本さんの言葉が今だったら、セクハラ!って言われそうな時もあって。だけど、この時はそれは当たり前だったんでしょうが。もちろん、各国の社会的な仕組みも、政治政策も今とは全く違うので、今とを対比させながら考えて読み進んでいくのも面白かったです。
実は最初読み始めは、、宮本さんの感じになじめなかったんですが、読み進めていくうちに”いいおっちゃん”だな。って思えてきました。なんとなく誤解を生みそうな言動や行動があったりするけど、根はやさしんだなって。
この旅を基にしたドナウの旅人を今度日本に帰った時には読んでみようかと思っているところです。