人の肌を触るように

朝起きるとあいにくの曇り空。ただ気温は身震いをするほどはなくて、風もこの数日にくらべると穏やかなもの。ユリ君を6時半に送り出して、日記を書いたり、ストレッチ運動をして準備完了。今日は曇り空の下を走ることにしました。

晴れの朝日を浴びながらも気持ちがいいのですが、曇りの日は気温が一定なのでたくさんの汗をかかないところはいいですよね。しかも穏やかな風が吹くだけなので走りやすさもあります。今日もウォーキングステッキをもってよく会うおばちゃんに挨拶をして追い抜きました。このおばちゃん、"モイーーーン’って伸ばすの挨拶なので覚えているんです。今日はモイーーンではなくモゲーーーンでした。この時間はあと、犬の散歩をしている人が圧倒的に多いですね。海辺の近くは早起きした観光客の人。ただその数は早朝なので多くなくて走るのに支障はないのですが。

曇りの日のいいところは堤防の上を走っているとき。僕の住むドイツ北西部の地形はどこまでも平。本当にはるか向こうまで見えるんですよね。あまりにも平らで、ここあたりは海よりも標高が低いんです。なので高潮などで海の水が流れ込まないためにこの緑の堤防が作られているわけなんですね。高さも結構あって、かなりの見晴らしのよさ。そこを1kmぐらい走るのですが。曇りの日はそこからの景色がドラマチック。ここは曇りでも海の上には太陽が出ていたり、反対の陸地のほうに青空が見えたり。阿蘇の山の中で育った僕にとってはこの見渡せる景色って新鮮なんですよね。まるで物語が始まりそうな天気。

今日もちゃんと10km走って、その後シャワーを。汗で体から塩分が抜け出てるのがわかるほどに口の周りが塩味。

そして冷蔵庫で冷やしていたアンズをパクリ。

アンズって食べたことありますか?僕はね実はヨーロッパにくるまでジャムでしか食べたことはなくて。6月から7月が旬のアンズ。ドイツのスーパーで最近よく見かけるので買ってみたのですが、本当においしい。甘みと少しの酸っぱさの素敵なコンビネーション。

しかもね、この色。本当にいろいろな色がまじりあって綺麗なんですよね。濃いオレンジ、黄色、白みを帯びた黄色、そしてその間の暖色が混ざり合って芸術作品。そして肌触り。これが、少しだけエロイ。産毛が生えているんですよね、桃みたいに。けど桃の産毛って刺さりません?痛い!みたいな感覚が丸かじりするとありますよね?それがアンズにはなくて、まるで人の肌を触っているような柔らかさでついつい撫でてしまう。。。病みつきになる肌触りなんですよね。

皆さんはどうですか?果物を普段から食べますか?僕は子供のころから3食のうち1度は果物が出ていたので、よく買うんですよね。特にドイツに来てからは果物の摂取量が多くなりました。今はアンズのほかにオレンジ、リンゴ、そして平らにつぶしたような形の桃が果物籠に。

旬が終わる前にもっと食べなきゃな。

お風呂をめぐる記憶

火曜日。ドイツ北西日は暑くはないけれど綺麗な青空。太陽の下では半袖でも大丈夫だけど、日陰や室内では上着が必要なそんな午後。今はドイツ語の勉強を終えて、家でゆっくりとしているのですが、もう一つ理由が。アマゾンの小包が届くはずなんだけど、いまだに何もなく。どうしたのかな?もう少し待ってみます。明日は買い物に出かけたり、走りに行ったりしたいので今日のうちに来てほしいのですが。

そういえば、僕の新しい家のお風呂は何でこんなにも?ってくらいに広いんですね。縦長で、その中にトイレ、シャワー、洗面台があり、それらがあってもシングルベットが余裕で置けるスペースが。ここにバスタブがあったら天国なのにと思いつつ、ここを運動の場所に使っています。運動するとき僕はあまり着こむのは嫌なのでパンツ一つなんですよね。昔の家はリビングを誰かに見られるということがなかったのでよかったのですが、今の家は誰もがのぞき見できるので、すりガラスのバスルームで筋トレやストレッチをしています。

そして、シャワーも大きいんです。前の家では自分の手でシャワーをもって浴びなくてはならず、不便極まりない代物だったのですが、ここはいいですよ。まずはバリアフリーで、正方形。その2面は壁で、あとの2面が全部がガラス扉。お湯の量もいい量が降り注ぎます。そんな大きさだから時にユリ君と一緒にシャワーを浴びる時があって、それがちょうど先週末。

クシュクシュの泡をがたつスポンジみたいなもので体をお互いに洗っていて、ちょうど僕の右の太ももをユリ君が洗ってくれている時に痛みが。季節の変わり目や乾燥しているときに僕の足の肌はかゆくなることがあるんですよね。それでちょっと肌が敏感になっていたよう。痛みって程でもないんですけど。

けど、その感じが何となく懐かしいなって思って考えてみたら、ゴシゴシのピンクタオルだって思い出したんです。

多分、ゴシゴシって呼んでいたこのタオルは母方の両親の家にあったもの。ピンク色で、素材はね、なんだろ人工的な感じの肌触りで、今思えば赤こすりとかになるんじゃないかなってなもの。それがあの家ではメインの洗いタオルだったので、いつも最初が緊張してました。あ、ゴシゴシが来る!!そんな心構えが必要で。

僕がここを訪れるのが多かったのは幼稚園から小学生の低学年ごろ。だから、その家の誰かとお風呂に入ることが多かったんですよね。おじいちゃん、おばあちゃん、おじちゃん、おばちゃん。それで体を洗ってもらうことが多くて、けどもしかしたらこれは幼稚園の記憶が多いだけなのかな?ともあれ、洗ってもらう時のピンクのゴシゴシが肌に当たる瞬間が”あわあわあわ”って気分になるんです。痛いような、くすぐったい様な。その感触にユリ君が洗ってくれたのが似ていたんです。

そうすると記憶の扉がどんどん開いて。あの頃のお風呂での出来事が次々に現れてきて、懐かしい気持ちに。

まずは、家づくり。これは本当に大好きだった。祖父母の家のお風呂はお風呂のフタが3枚だったんですよね。白色の物凄く軽いだけど少し厚みのあるビニールとプラスチックの間のような素材のもの。この2つを立ててその上に最後の1枚のフタを乗せると屋根になって家になるんです。2枚のフタは湯船の角の一角に建てられているのでちょうど角の部分が窓のように空間ができてそこから洗い場を眺められる設計で。その家が僕はものすごく好きだったんです。時に叔父が洗面器でいっぱいのお湯を屋根に落として、雨を降らせてくれたり、時には台風が来て家が壊れたり、その時の僕が一番憧れていた家は明らかにあのお風呂の家でした。

叔母は僕にいろいろのことをお風呂の中で教えてくれた事を覚えています。僕は小学生の低学年の時に戦争に大きな興味を持っていて。ただ、戦車とか戦いとかではなくて、戦争というものがどいうものなのか、どんなことが起きるのかということ。そこで叔母は第2次世界大戦でのナチスドイツのユダヤ人大量虐殺の話をしてくれたりしてました。多分それがあってか、僕は社会が好きになるんですよね。

後、水に溶かすリンス。あれが僕は好きでした。だって、水遊びみたいでしょ?しかもおしゃれな水遊び。お湯を張った洗面器に素敵なにおいの液体を入れる、その時に液体の形の美しさ。そしてそれを混ぜるとそのお湯自体がいい香りになって、それを頭からかける!!シャンプーよりも僕はリンスが圧倒的にあの頃は好きでした。そういえば今はリンスあるのかな?

海外だと親子が一緒にお風呂に入るということはないんですね。親が服を着て、小さなわが子をお風呂場で洗ってあげたりすることはありますけど。けど、一緒に裸でお風呂に入るって良かったなって今は思います。一緒に100まで数を数えたり、音楽の授業で習った歌をエコーの素敵な空間で披露できたり。

お風呂には楽しい思いでしかないためか、僕はお風呂が大好きなんですよね。

ウォッカを飲まずに、さてどうする

月曜日ですね。先週の終わりからドイツ北西部には夏が戻ってきました。今日は最高気温が22度まであがり、空は綺麗な青。心躍る天候です。明日から数日も天気はいいのですが気温は20度を下回りそう。

そんないいお天気の日は走るに限る。ただ、日本の夏を2006年を最後に味わっていないので日中の22度の中を走る気にはなれず。最近は早朝に走るようにしています。今日は7時半に家を出て海辺をふくむ10kmのコースを走ってきました。前回の時とほぼ同じ時間だったので、通り過ぎる人たちもほぼ一緒。勝手に仲間意識を持つのは僕だけでしょうか。

シャワーの後にドイツ語の勉強をして午前11時に一休み。そのテラスで日記を書き、本を読んでいると誰かが呼ぶ声が。どうやら僕に声をかけているよう。振り向くと一気にドイツ語の嵐。もちろん何が何なのかわかないので、聞き返すと外にある何かに入りたいとのこと。その何かがわからず、、、、頭の中で推測する僕。この人たちは道具を持っているから何かのメカニックの人たち、そして外にある建物、、、、、!!!そっか、24時間換気システムの小屋がアパートの個別の納屋の奥にある!それだ!!

”ここに入りたいの?”とその建物を指すと、イエスの回答。ただ僕はこの鍵は持ってないよと伝えて、おしまい。

その後彼はどこかに電話をしてその5分後に戻ってきて、手招きを。どうやら入りたかったのはその換気システムではなくて、僕たちのアパートの納屋?もの置き場。それでよく聞けば、電気の配線を変えに来たとのこと。

これには聞き覚えが。ユリ君がどうやら僕たちにあてがわれた物置の電気ケーブルが間違って隣の家の電気メーターとつながっているから、電気自動車を充電できないな、って話していたんですよね。これは大家さんを呼んで直してもらわなきゃって。

その人は何やら配線を変えて終了。めでたし。だけど、全くをもってネイティブのドイツ語は聞き取れる気がしない、、、、。いいお灸になりました。もっと頑張って勉強しなくちゃなー。

けど、何の連絡もなかったので留守だったときはどうしたのかな?もしかしてユリ君に連絡が言っていて、僕に言い忘れたのか?どちらにしろいい経験でした。

ユリ君はかなりのグリーンな人間。車もハイブリッドだし、歩いて7分ぐらいのスーパーで1週間の買い出しをするときも歩き。環境にやさしくが彼の根っこにあるらしく、感心してしまうほど。それと気にするのがオーガニック。有機栽培の野菜とか卵も。僕はそんなにも気にしないのですが、値段があまりにかわらないときは僕も有機野菜に手を伸ばしますが、ユリ君は庭の鉢植えの土までオーガニックにするという、、、。そこまで?と僕は思ってしまうのですが。

そのユリ君の影響なのか、僕も自然に優しいもので生活するのも悪くないかもなと思うように。それで何が変えれるかなと考えて、、、。掃除の洗剤!!だと気が付きました。特にお風呂場の洗剤ってにおいがきつくないですか?呼吸が難しそうになるあの匂いが前から嫌だなって思っていたんですよね。それでそれに代わるものはないかとネットで調べていると、見つけたんです。万能お掃除クリーナーの作り方。

用意するのはこれ。

有機栽培のオレンジ。実ではなくて必要なのはこの皮。これをちぎります。

そして密封できる瓶に入れ込みます。瓶の横の青いステッカーのボトルわかります?ウォッカなんです。このアルコールで皮を漬け込みます。

イギリスではウォッカがそんなに安くはないのですが、ドイツは有難いことにこの750mlが700円ほどなので気軽にこのクリーナーが作れるというわけ。

あとは直射日光の当たらない暗いところで2週間寝かせます。

そして2週間後に濾過して、スプレーボトルに入れれば出来上がり。お好みでアロマオイルを入れてもいいのだとか。なくてもオレンジの香りがちゃんとします。これ、殺菌効果もあるそうなので除菌スプレーとしても使えるそうです。ただ、ガラスや窓磨きにはあんまり向いていないみたい。

皆さんも試してみてはいかがでしょうか?

帰ってもいいよと背中を押されているようで

金曜日はドイツ語の授業がないので、穏やかな午後の時間を過ごしています。ユリ君もいないので早く起きる必要はなかったのですが、7時には起きて軽く朝ごはん。その後、晴れ間が見えてきたので走りにいくことの。前回は北海まで走りに行って戻ってきたのですが、ちょっと計算をミスしたのか目標の10kmに届かなかったのです。あと1.2km増やすにはどうしたらいいのかな?と考えて地図を見ながら、緑の芝生の堤防の上で走る距離を延ばすことに。

今日は雲と空がよいバランスで暑くなく、しかも北海からの潮の香りがフワっと広がって、黄色に変わってきた小麦畑の中を吹き抜けていっていました。本当に幸せを感じられるランニングコース。気持ちがいいですよー。僕は山育ちなので、潮風に吹かれて走るのは何となく心浮き立ってしまうんですよね。なぜかな?

シャワーを浴びて、ドイツ語の勉強をしているとニュージーランドで新しい生活を始めている友達から電話が。もともとロンドンで出会って、今は僕はドイツ、そして彼女は一時日本に住んだ後に、ニュージーランドへ。お互いに新天地の国で四苦八苦ありながらも、生活の新鮮味、文化の違いの面白さ、自分の成長の確認をして楽しく生きているよねとお互いに褒めあう会話となりました。新しい国に住むと今までに”当たり前”と思っていたことが当たり前ではなくなったり、簡単にできていたことが困難になったりすることが多いんですよね。そこで心折れることも多いので、できた時にはちゃんと自分を褒めるということが大事なんですよね。

僕の海外生活もあとすこしで15年。いろいろとありましたが、今いる自分の立ち位置、ライフスタイルは本当にいいものだと自負しています。

けどね、時に帰りたくなる時もあるんですよね。それは、常に帰りたいと思うのでなく、全く予期せぬ時に突然に望郷の念に駆られるんです。本当に一瞬で、だから身構えることもできなくて、一気に目に涙が溜まってしまうそんな感じ。どうでしょう、海外に住んだことがある人はこんな経験ありませんか?

例えば、夕暮れの空が僕の子供時代の記憶の空の色と同じだった時とか、雨が降る前に薫るコンクリートの匂いだとか。時をさかのぼって一気に自分が日本で過ごした子供時代へとタイムスリップしてしまうんですよね。

さて、今回はあるものが、この望郷の念をかきたててくれたんですね。いそれはある曲で、今まで聞いたこともなかったんだけど、、、、。もうね、歌詞ですぐにノックアウト。あとから、あとから涙が出てくるんですよね。

その歌というのが、中島みゆきさんの「ホームにて」という曲なんです。

ここに歌詞の載せるというわけにはいかないので、ぜひ探してみてください。もう。奥深い。

アメリカ生活のはじめ、イギリス生活のはじめのころに感じた心の痛みというのか、心の叫びが蘇ってきて、”そうだよね。あの時つらかったよね。帰ろうと思えば帰れたけど、一生懸命に歯をくいしばって、感情の渦に流されないように踏ん張って今のここまで耐えてきたんだもんね。”と自分を褒めてあげたくなりました。

これを読んでいる人には新しい環境で、辛く苦しんでいる人もいることでしょう。けどね、自分が壊れそうになりそう、崩れてしまいそう、そんな時はそこから逃げればいいのです。逃げることは恥ずかしいことではなく、それは自己防衛なのですから。そして、自分を待っている故郷がいつでもあります。

自分を支えてくれる一曲にまた出会えました。

 

夢から得る経験値

水曜日の静かな夜を迎えているドイツ北西部。夏至も終わって毎日の日照時間が当時迄短くなるわけですが、今午後10時15分。空はまだ青く、西の空はもう少しで日の入りのようで青を混ぜたオレンジ色をしています。そう、ヨーロッパの夏は夜遅くまで明るいんです。言葉で書くと何ともないっかもしれないけれど、日本の人はこの明るさには正直びっくりすると思います、寝れないくらいに明るいので。

ユリ君の出張も中場。今日はセミナーが主催する夜のショーに出かけるのだとか。このセミナー、昼間はもちろん勉強会なのですが夕方から観光船で川下りとか、今日のようにショーの観劇だとか催し物も多いんですね。仕事だけじゃないので、それも楽しそう。

僕は学校から帰ってドイツ語の勉強をして、筋トレ、庭の植物に水やりをして夕食に。今日はひとりでチーズフォンデュ。え!!夏に!!って思われそうですが。実は今日の学校帰りに食料品を買いにスーパーに行ったら、チーズフォンデュのパックが10円で売られていたんです。そう、10円。もともと在庫が多いか何かで安売りになっていたんですよね、それの中の数個が明日賞味期限が切れるので10円ほどの値段で売られていたというわけ。これで夕飯は決まり。

ただ家に帰ってもチーズフォンデュセットが見つからない。仕方がないのでコンロを弱火にしてコンロ脇で一人でチーズフォンデュを楽しみました。

その後、グレーズアナトミーを見て今このブログを書いていて、買い上げたらベットへと行く予定です。

寝ることで思い出したのが、昨日の夢。朝4時ごろの夢。僕は夢を毎日のように見るのですが、なんとなく現実味を帯びた悪夢っていうのが多いんですよね。けど、悪いことでもなくて人生を疑似体験できるから悪くないかもなって最近は思えます。

昨日の夢も興味深かったんですよね。上手く説明できるかわからないのですが。

僕は夢の中である建物の中にいます。天井が高くて、全体的には暗いんですよね。黒いのの壁で証明もあまりなくて、スポットライトのような明かりが何個かあり、かなり近代的な仕様の建物。その部屋というか、ホールには10-15人の人がいて中には子供も。その子供は男の子で、ここは空気の循環が地下の装置で入れ替えになっているので汚染された空気は入ってこないんだよ、よというのです。そう、どうやら僕たちは空気が汚染させた、または空気を介して感染する病気が存在する世界にいるようでその空気に触れると杉生に死ぬわけではないのですが、いずれは死んでしまうというもの。そして僕たちはうまく生き延びて、この部屋へとたどり着いたとうわけ。

ホールは数か所の扉がありますが完全に扉が閉じられ、光も入ってこないほどの密閉具合。

すると、とんとんとドアをたたく音。そこでよみがえる記憶。そうだ、僕たちは自分たちの仲間をおいて、先にここへと向かってきたんだ。あれは仲間たちでここへと入りたがっているんだ。そして彼らはどうやらそのウィルスに感染したようで、体に赤いぶつぶつができているという叫び声がするんです。このまま彼らが中に入ってくれば僕たちは確実に観戦して死を迎える。

皆が自分の近くの扉へと近寄ってドアノブをしっかりと引き開けれないようにします。もちろん僕も。

ドアのノブをしっかりと持ちながらある考えが。このホールには食べ物も何もない、だとすると僕たちはいずれ飢えで死んでしまう、または地下の空気清浄機が何らかの異変を起こしたらここの空気もウィルスが入り込んで死んでしまう。つまりは僕たちは死ぬ運命であり、それが遅いか早いかの問題でしかないのだ。そう思うと、ふっと気持ちが軽くなって、今まで自分の仲間だった人が外にいてそれを妨害している自分が小さく思えて。そしてドアを開けることにするんです。

そこには体のあちこちに小さな赤い斑点をつけた自分の仲間が。そこからは死の恐怖はなくて、バーカウンターに座って今まで思っていたことや、誤解していたことを話してお互いを分かり合う、そこで僕の夢は覚めました。

面白いでしょ。確かに自分を主観的でしか見れないと、自分に害を加えるものは見方でも悪と決めつけてしまいそうですが、少し客観的に自分を見て、またその周りの状況を見るとそこには違った答えがあるということ。

夢は本当に僕に色々な経験をさせてくれるし、いろいろなことを気づかせてくれて重宝してます。

さて、今夜はいったいどんな夢を見るのかな?

 

どうしても泣かせる気なのか

イギリスは熱波が来るので気を付けてください!ってニュースが流れているらしいのに、飛行機で1時間もないドイツ北西部は寒い。けど今週の週間予報を見てみると週末にかけて晴れの天気で、しかも気温も20度に届く模様で、夏の再来を心待ちにしている僕としては嬉しい限り。

昨日はユリ君が出張で家を空けた初日で、ひとりで眠るのが何となく奇妙で、なかなかぬ無理につけませんでした。行ってしまえば、ただの怖がりなんですけどね。誰かの隣で寝るのが当たり前になると、急にベッドの面積がサハラ砂漠のように感じて困ってしまうのですが。

けどユリ君がいない分できることも多いのも事実。最近とれていなかった自分だけの時間を存分に楽しんでいます。帰って、ストレッチ運動や筋トレをしたり、寝る時間も9時半でなくて1時間遅い10時半にして、寝る前には本を20分ほど読んでその世界観の中で眠りについたり。一人もいいなって思えることもありますね。

ただ、食生活はよくないなって思うんですよね。食べて、「おいしいね。」って言ってくれる人がいるからこそ作り甲斐もあるし、栄養面でも考えるわけですが。これがひとり身になると余りものでいいやってなってしまう。今日の昼食も食パン2枚に、オレンジと紅茶。それではいけないなと思って夕飯はたっぷりと野菜をとりました。パクチョイ、マッシュルーム、ズッキーニの炒め物と、茹でたジャガイモにこの地方の特産である塩漬けの魚を食べました。白ワインとおともに。

そう、あといつもと違うことが見るテレビの番組。テレビって書いたけれども、アマゾンプライムの中の番組なんです。ずっと前にも書いていると思うんだけど僕がイギリスにいる頃からずっと見ているアメリカドラマがあるんですよね。来年からシーズン15の放送も決まったご長寿番組 Grey’s Anatomy 。シーズン11までをイギリスで見ていて、最近ドイツのアマゾンプライムに番組が入っていることに気がついて、”いつか見なきゃ!!”|って思っていたんです。

アメリカ西海岸のシアトルにある病院を舞台にしたドラマ。アメリカのコメディーはあんまり好きそうではないユリ君にとって医療ドラマは好きだろうなと思うのですが、問題が。僕がシーズン11まで見ているということ。また最初から見てもいいんですけれどね。ユリ君はその長さに、”うーん。見ない。”というのでそのままだったんです。そして、とうとうその時が。

シーズン12を見始めて、、、、あれ一体何が起きてるんだっけ????ってなってシーズン11の最終話から見て、その後続けて2話見ちゃいました。

もうね、完敗。負けました、、、、。この2つ前位のシーズンから1つ1つのエピソードのクオリティーが高くて、いつも感情移入して泣かされていたんです。今回は大丈夫だと思って臨んだのですがまたしても泣かされてしまいました。ここまで感情移入できるドラマもそうない気がするのですが。それとも、年とともに涙腺が弱くなっているのかな?

 

日本語版の予告がありました。これ見てびっくり、またまたいろいろな事件が起きそうな予感です。この予告よりも、若干落ち着いたトーンでドラマは進み、大人になった人が感慨深く見る番組かなって僕は思うのですが。もし機会があれば、ぜひ見てくださいね。ハンカチかティッシュが必須です!!

 

 

ちょっと期待しすぎたかな

またしても、月曜日。週末はどうしてこんなにも早く過ぎてしまうのでしょうね?皆さんがいいスタートダッシュを切れていたらいいのですが。月曜日の過ごし方って大事ですよね。これから続く5日間を左右するのは月曜日の在り方が重要だなって。

僕の月曜日の始まりは、、、。悪くないかな。実は今日からまた1週間ユリ君が出張。これが最後の出張なのでもう少しの我慢ですが、普段ふたりの生活が当たり前の中にあって、突然そこからユリ君がいなくなるのは正直さみしい。ただ、ひとりで過ごせる時間が増えるということに喜んでいる自分がいるもの事実なのですが。

天気は週末から愚図ついていて、曇りが多い日が多いです。だけど僕が今日の朝に駅まで歩いていくときには晴れ間がきれいだったので、良しとおもうのですが。あとは気温がもう少しだけ上がってほしいというのが切なる願いかな。今が14度で、曇り空と合わせるとまるで秋の終わりのような感じ。秋にはその哀愁があるのに、その哀愁がないものだから僕はどうしても、このような天気は苦手です。

最近なぜか、魔女に縁があるんですよね。なぜだろ。2週間前まで、魔女なんて考えてもいなかったのに最近は魔女についての事をよく考えてしまっているんですよね。しかもそういう時に限って、魔女に関連するものが次々と現れて。たとえばアマゾンで本を探していたら、本の一覧の中に”魔女の12ヶ月”とう本が出てきて、その内容が面白そうで近く日本からくる友達に頼んだり。ユーチューブを見てたら、右側のおすすめの映像で、魔女の宅急便の原作者の角野栄子さんのインタビュー映像が出てきて、その中で魔女の宅急便の原作の読み聞かせの部分があって、その言葉の柔らかさと、物語を喚起させる文章の瞬発力、そしてハーモニー心が震えて、ブックオフで注文してしまったほど。なんなのだろう、この魔女ブームは?

やっぱり、魔女で有名なドイツに住んでいると魔女の影響が強くなるんでしょうか?

けど、魔女の生活って面白そうですよね。大体において町の外れや、森の中に住んでいて黒猫と一緒に住んでいる。森の産物や薬草で薬を作っていたり、かなりの自由人。もしかしたらそのような姿に僕はあこがれを抱いているのかもしれませんね。僕の妹は小さな時に魔女の宅急便のキキになりたくて、飛ぶ練習をしていました。だから何となく、魔女は妹のものだと思っていたのですが、僕にもその憧れはあったようです。

どうなんでしょう。僕は自分が同性愛者だからかはわかりませんが、小さなころから憧れるのが男性も、女性も、どっちもあったんですよね。性別にとらわれずに、面白そうな人間に物凄く興味があったんです。たとえば、6歳ごろの時には昭和天皇が好きでした。その不思議な天皇という存在に面白みを感じていたようで、亡くなった時にはテレビでその葬列を見て泣いたり、政治家の土井たか子さんがカッコいいなと思ったり。チェンジマンという戦隊ものがテレビであっていた時は、男役のブルーペガサスと、女役のホワイトマーメイドのどっちにもなりたかったり。

それだからか大人になっても憧れる人間は男性だけじゃなくて、女性も多いんですよね。そのひとりがサンドラブロック。もう、ずっと好きなんです。

その彼女の最新作が劇場で公開されて、これは見なきゃ!!と息を荒くしていたのですが、僕はロンドンにはもう住んでいないんですよね。住んでいたら同じくサンドラ好きのKちゃんと一緒に映画館で見ているはず!!ただここはドイツの北西部の小さな町。しかもドイツってアメリカ映画もほとんどドイツ語に吹き替えにしちゃうんですね。悲しいことに。字幕というのがほとんどないよう。ただ調べてみたら僕の前に住んでいる街にある映画館で日曜日に1本だけ英語の映画を英語で上映するシステムがあって、今回はそれがサンドラ主演のオーシャンズ8だったんです。

ユリ君が誕生日プレゼントの一環として連れて行ってくれました。やさしいユリ君。いつもは僕たちの起床時間は5時45分。8時間、睡眠時間を取りたいユリ君は午後9時半にベットに。もちろん、ぼくもそうなんですが。ただ、映画は午後8時15分スタートで、今住んでる町から35kmも離れているんですね。ということは帰り着くのが夜の11時過ぎ。それでもいいよという優しさ。

ジョージクルーニーが主演であったオーシャンズ11,12,13のフランチャイズで今回は女性だけのキャスト。他のオーシャンズのように、大怪盗がメイン。

しかも、僕のもう一人の好きな女優であるケートブランシェットも!!この映画の製作が始まったころからずっとアップデートをチェックしたりしていたのです。

うーーーん。期待をかけすぎてしまったのかな、、、、。ちょっと期待外れだったというのが正直な感想。確かに8人の女性がかっこよく描かれているし、衣装やセットもよくできている。ただ、もう少しコメディー的なところを期待した自分がいました。シリアスな映画としてはエンターテイメント色が強い、だけど笑いがふんだんに散りばめられてるというのでなくシニカルなユーモアがほんの少しという感じかと。あと、最後の種明かしがオーシャンズ11の時のように”あーーー!!”っていうのが弱かったなって。

悪い映画ではないんですけどね、期待をしすぎた自分がいけないなって。けど、サンドラブロックも、ケートブランシェットも素敵でした。

 

ちなみに前の記事で書いた僕の手作りキャンドルホルダーは火を灯すとこんな感じです。

 

 

なりました、37歳。

皆さんお元気ですか?僕は元気に過ごしています。昨日、無事に37歳を迎えることができました。自分でいうのも何ですが、本当に素敵な1日となりました。

誕生日を迎える喜びが段々と30代を迎えると薄れていっているなって感じていたんですよね。もちろん、ロンドンで仕事をしていた時も一緒に働いている人がケーキをくれたりプレゼントをくれたりと、ありがたいことを感じる事はあったのです、もちろん。ただ、子供のころのようなワクワク感って大人になるにつれて薄くなっていっているなって感じていたんです。

それが今年は、違ったんですよね。なぜだか。

ドイツで迎える初めての誕生日だったからかもしれませんね。

今年の僕の誕生日は水曜日だったので学校に行く時間の5時45分に起床。いつもはこの時間にユリ君も起きるのですが、この日は15分前に起きたユリ君。台所で物音がして覗いて見ると週末に僕たちがよく食べるブロッヒェンをオーブンで温めて、目玉焼きを作っていました。かわいらしい。

食卓に座ると誕生日のカードが。少し癖のあるユリ君の文字。そして食卓の真ん中には何かが。それは、、、。

 

八重咲のピンクのバラの鉢植え。80cnくらいの高さがあるもの。赤いバラの花ことばが”愛”なので、ユリ君がよくヴァレンタインに贈ってくれるんですよね。だからバラとなれば赤を贈ってくるなら赤だろうなって思ったらピンク。”ピンクって意外だねー。”というと”これはも赤のうち!!”との返答が。同性愛者のマークである三角形もピンクだから、僕たちにはぴったりだなって。この週末にでも少し大きめの鉢を買って外に植えることに。

電車の中もなんか雰囲気が違う気が。まずは空の色が。灰色の雲がうっすらと広がっていて、だけど青空も所々に見え、朝の太陽のオレンジいろが混ざった不思議な色合い。しかもハッキリした色でなくて、水に溶かしたぼんやりとした色合い。それをほとんど誰もいない車内の中で見れる幸せ。

携帯のフェイスブックには誕生日おめでとうのメッセージが。いつもだったら、”皆、誕生日のメッセージありがとう!!”って1つのメッセージで終わることがあるのですが、今年は1人1人に個人的なメッセージを送ろうと決めて返信を。そうすると本当にいろいろな国で様々な出来事で出会った人がメッセージをくれてるなって。素直に思っている気持ちを、自分のことを思ってくれる人に1年に1回伝えるのもいいなって思います。

学校でもサプライズが。僕は自分の誕生日のことは話していなかったのですが、隣のGちゃんが結構前に言った僕の誕生日を覚えていたようで、2回目の休憩の後に先生に、”今日はTakの誕生ブナの。”と言うと先生が、”じゃ、お誕生日の歌を歌いましょう。”で大合唱が。まずは英語で、その後ドイツ語、そしてその後は先生の案で自分の国の言葉でとなり、アラビア語、ポルトガル語、エジプトのお誕生日の歌、ロシア語バージョンのお誕生日おめでとうソングが続きました。

本当に本当に、素晴らしい僕の先生とクラスメート。

家に帰ってその感謝の気持ちをとブルーベリーマフィンをもって今日みんなに配ってきました。

母からも、夜遅いはずの日本から電話が。

誕生日って、やっぱり悪くないですね。自分のお祝いというか、年を重ねて今は自分を支えてくれる、素直に僕の誕生日を喜んでくれる人々が周りにいることに感謝をする日だなって深く思いました。また新しい1年が素晴らしいものになりそうです。

思い出を閉じ込めてみました

月曜日から雨雲が覆う天気で何となく心静かな日々だったのですが、今日火曜日は午後から太陽が出て朝方の雨でぬれたパティオの植物たちも嬉しそうに風にそよいでいます。もうすぐ太陽の出ている時間が1番長い夏至の日もやってくるから、こうでないとね。そして僕の誕生日も明日に。37歳になるんですね。30代も後半戦へと入るわけですが、いつまでたっても子供な性格でユリ君に、”何歳?”って聞かれるほどの行動ぶり。そこは永遠の少年ピーターパンと同じでいようと開き直っているんですが。誕生日を迎えるということは、このブログの年数もまた増えるというわけです。

ブログを始めたのが29歳の誕生日からなんですよね。30歳になるまであと1年。何か新しいことを始めようとおもって書き始めたブログ。8年間書き続けているんです。その中でいろいろな人に出会えて。本当に良かったなって思います。実際にはまだ会ったことはないのだけれどブログからフェイスブックやインスタグラムの友達になって、アップデートがあるたびにメッセージを書く人もいてネットの中でのつながりも素敵だなって思っています。もちろん、本当は顔と顔を合わせて話してみたいんですけれどね。それは時が着次第、おいおい。ドイツ遊びに来てくれる分は拒みませんので。

さて、今日はちょっと新しいブログのカテゴリーを広げようかなと思って。カリスマ主夫ってカテゴリーを作ってみました。

最近ね、エコのユリ君のせいか、物を無駄にせずに何かに使えないか?みたいなことを考えることがあって。けど、そこは芸術家の端くれ、想像力をもって何かを作りたい衝動に駆られているんです。

最初に目を付けたのがこれ。

これね、プリンが入っている容器なんですね。ヨーロッパではよく見かけるんです、このガラス容器に入っているムースやプリン。プラスチックだったら捨ててしまうけれども、ガラスだから何か使えそうと思って捨てずにとってあるのですが、結局気が付くとその数だけが増えている状態に。ムースを作ってまた使えばいいのだけれども、そんなにムースやプリンは作らないし、食器にするには小さすぎる。これが2つ重なったくらいならいい大きさなのにな、、、、、。

そっか!!

閃いてしまったんです。これで作れるものがあると。

容器の一つに貝殻と小さな玩具のクリスタルの粒を入れます。この貝殻はこの前ユリ君と海岸を散歩していた時にあまりにもシンプルな色合いと、縞模様がそれぞれに濃さが違って面白いと思って拾ったもの。”何に使うの?”って言われながらも、”何かに使えそうだから。”と答えともいえない返答をして集めた6枚のうちの3枚。そしてこの玩具のクリスタルは引っ越しの作業中にスワロブスキーの箱が出てきて中に小さな巾着が。開けてみるとこれが入っていたんです。ユリ君曰く元カレがプレゼントで誰かにスワロブスキーの商品を買ってそのおまけでついてきたのだとか。光に当たるとものすごく綺麗だったので、ぼくが捨てずにとっておいたんです。そのクリスタルも入れて。

この貝殻とクリスタルが1段目で、2段目はガラスをそのままのせて接着剤でつなげたら完成。

あとは上の段にティーキャンドルを入れれば、キャンドルホルダーになるんですね。僕はいくつかロウソク立てを持ってはいるのですが、外用のがなかったんですよね。なので、これで外用のが2つできました。自分たちの思い出も詰め込んだキャンドルホルダー。いいアイデアだと思いませんか?

我が家の新しい仲間

ドイツ語のコースは月曜から木曜日なので、木曜の午後を迎えた僕は一足早く週末モード。ただ木曜日の午後は、学校から帰ってくると疲れがどっと出るんですよね。家に帰ってから昼ご飯を食べて、このブログを書いているんだけど脳みそが半睡している感じが。外は生暖かさで時折雨が降る感じ。日本の梅雨とおもえばいいかな。

今日は帰る時にスーパーに寄ってきたんですね。駅から歩いて数分のところにお店が15件位入っている小さなショッピングモールがあるんですよね。その中の1件がかなり広いスーパーで、たぶん残りの14件ぐらいのお店よりも大きいんじゃないかな。

そこは食品の値段も安くて、見切り品のも多めでユリ君と僕は気に入っているんですよね。ただ、家からはちょっと遠い。なので、僕が学校から帰ってくるときに途中でここによって夕飯の食材を買うのが週数回の僕の行動パターンになっています。

そしてここ、植物を売っているんですよね。といっても花屋さんがあるわけでもなくて、野菜売り場の一角にバラバラっておかれてるんですよね。室内用の観葉植物も、外用の花も一緒に置かれていて、ちょっとどうでもいい感じに扱われているんですよね。それだからかいつも安く売られている植物たち。元の値段も安いのに、それからまた値下げで1ユーロで売られていたり。

僕の今住んでいる家は室内の植物が結構多くて。しかも僕が挿し木にして育っている植物たちもあって、ユリ君から”もう植物はいらない。”って言われているんですよね。ただ、外のエリアにはほとんど植物がない。なので、そこがねらい目だなと思っていたのですがなかなかユリ君からOKサインが出なくて、、、。

だけどね、見つけてしまったんです。アジサイを。10cm鉢でそこまで大きなサイズではないのですが、一鉢3ユーロ。安い!しかも色合いが淡くて綺麗。僕は6月の梅雨生まれということもあってこの季節にアジサイに愛着があるんですよね。それを見つけたのが火曜日で。ユリ君に話をしたんです、”買いたいよー!!これは大きくなるし、目隠しにもなるからいいよ、花の咲いている期間も長いし。大きくなるとかなりな大きさにもなるよ!!”っていってウェブで見つけてきた日本のアジサイだらけの綺麗な写真を見せると、”ふーん。”といって少しは興味を持った模様。

”明日買ってくるね!!”っていって僕、今日買ってきました。

ね。かわいい色合いでしょ。深い青と、薄いピンクを備えた白色のアジサイ。明日か週末にでも植えようかな。そして長く大きく育ってくれることを祈ってます。