Tak流のおもてなし

週末が終わりましたね。寒さがまだ続いているドイツ北西部。昨日寝ている時に何かカラカラと音がするな雨だな、って思っていたのですが。どうやら雹が降っていたたようです。今も小雪がちらついていて風にふわふわと舞いながら窓の外を動いています。まだ寒さは緩まないようですね。ただ気温は氷点下を下回らないとの事なのでそこは嬉しいなと。

先週末は色々と新しいことがありました。

まずはインスタグラムを今更ながら始めました。なぜ今までしてなかったの?って言われるんですよね。写真家と言うお仕事もあるので。実は僕の前の携帯のカメラの質が物凄く悪くて、、、。プロの片隅にいる身としては少しでもちゃんとした写真を投稿したいというのもあって、新機種になったこの時を機に始めることに。新機種と言ってもユリ君のおさがりなんですけれどね。それでも写真の質の高さ。ビックリです。日記のような感覚で1日に1回ぐらいアップできたらいいなとは思っているのですが。僕の日常がもう少し、わかる内容にしようかなって。例えば、道で歩いてふと見つけた景色とか、その日の夕飯だとか。数行の文章とともに皆さんにお届けできたらなと思っております。興味がありましたら takazumiuemuraで検索してもらえれば出てくるかと。

後は、このユリ君と2人暮らしのアパートに僕の友達がロンドンから泊まりで遊びに来てくれました。僕が引っ越してきてから、このアパートに寝泊まりする人は僕達2人だけだったので他の人がいるというのがなんとも新鮮で。僕たちの出来るだけのおもてなしをさせてもらいました。

ブレーメンに着いた僕の友達2人。この2人とはもう長い付き合いで5年ぐらいかな。気心知れて、頻繁にあっているわけでもないのだけれど会えばその離れていた時間を感じさせないものがあって、一緒に過ごすのも楽な2人。ブレーメン駅で待ち合わせをして一通り観光をしました。準備がいい彼女たちはちゃんとブレーメンの観光名所をプリントアウトしてきていたのでそれを見ながら進むことに。物凄く可愛い雑貨屋さんで、チョコレートの試食をさせてもらったのですが本当に驚くぐらいのおいしさで3人とも即購入と言う僕たちの単純さ。けどね、これは本当においしくてキャラメルの小さなかけらが入ったトリュフ。口の中でリッチに少しづつ溶けていくのが極楽。ユリ君のお土産に僕は購入しました。レストランはドイツ料理を。片言の英語をしゃべるおじさんウェイターに気に入ってもらって3人とも食後酒をただでもらちゃいました。多分、彼の中では僕たちははるばる日本からやってきているという設定になっているようだったので、そこは訂正せずに。

僕の街へ着いたのは午後5時過ぎ。ユリ君が車で迎えに来てくれました。そして夕飯はレビューランキングこの街で第2位の魚料理店に。と言っても田舎町だからそんなにたくさんのレストランがないんですけどね。僕も初めていくレストランで、久しぶりのカレイを食べました。骨が多くて大変だったけど、おいしかったー。

土曜日は僕がケーキを作り、ユリ君が夕飯を担当。観光をメインとすると何にもないと言っていいほどの僕の街。近所のスーパーに行ったり、市場を探検したり、運河沿いを散歩と都会暮らしの2人の経験できないような穏やかな田舎暮らしを体験してもらうことに。昼ご飯は塩漬けの半生の魚を挟んだサンドイッチを屋台で。

そして日曜の夕方に2人はロンドンへと帰っていきました。どうだったのかな、楽しんでもらえたのかな?もし僕のところに遊びに来たい人たちがいたら、こんな風に”田舎生活の楽しみ方”というものしか提供できませんのでご了承ください。

スキー旅行 オーストリア5 最終日

今日も氷点下始まりのドイツ。寒い、寒いと言ってはいますが春は確実に来ているんだなって最近感じることが。何気なく散歩をしていた数日前。今までは土色かくすんだ緑色しか地面にはなかったのに黄色いものが。よく見ると小さな花。福寿草みたいな感じで小さいんだけど、花弁が福寿草に比べて少し丸みを帯びている気もするし、、、。何の花なんでしょうね?イギリスでは春の訪れを知らせる花は白く可愛い花を咲かせるスノードロップ〈名前からして素敵ですよね。〉。この花もよく見たら咲いていました。そうなるとこの黄色の花が何なのか気になる。後でユリ君に聞いてみようかな。けど、ユリ君は花とか植物には興味がなさそうだけど。ちなみにユリ君が気に入って買った植物がハエ取り草みたいなやつで、まるで小学生。後、走っている時にかなり自然あふれる匂いが漂っているなって思ったら、どうやら畑に天然肥料をまいて準備をしていたよう。今まで何もなかった農地がまた植物で満たされるのも近そうです。

さてスキー旅行の話もこれが最後。長々とド素人の下手なスキー話を数回にもわたって書いてきましたが、どうぞもう一度だけお付き合いください。

スキーもこれが最終日。昨日の大泣きの事もあり、最終日とあって心は軽め。ただ6日目にもなると筋肉痛、初日のスキー靴ずれでできた足首の痛々しい擦り傷、あと転倒で炒めている足の付け根の疲労の蓄積がかなりのものに。ユリ君に、”今日はおてやわらかに。”とだけ伝えておきました。

最終日のスキーはユリ君、ミニと僕の3人。まずはアパートの隣にあるゴンドラで山の山頂へと移動。

ね。結構な高さがあるでしょ。これでどんどん標高をあげていきます。最近ワイルドにひげを伸ばしているミニ。

この日は夜に雪が降ったので柔らかな雪が多くて、ブレーキが掛けやすくて滑りやすい事。昨日の氷の表面とは大違い。まずは青いコースを数本。そしてユリ君がここから、”ついておいでー。”とコース外の新雪で埋もれているところを滑り始めました。これが新感覚。ズボズボって沈むような感覚と、前に滑る感覚が一緒に味わえるんですよね。雲の上を歩いてるような感覚が一番正しいたとえかな。楽しいんですが、結構足腰を使うのが大変でした。

そしてコースに戻ってしばらくいると、”あれ、これはどうやら青ではないな。”って気が付いたんです。コースのレベルを示す色とルートの番号が至る所に表示されていて、今いるところはどうも中級者向けの赤っぽい。ただここで文句を言ってもしょうがないし、度胸試しにやってみるかと気分転換してユリ君とミニについていく僕。途中までは何にもない穏やかなスロープ。すると突然急な斜面が。”ここか。これが赤なのか。”と思いながらも転倒せずにクリアー。それからまた穏やかな場所があり、先が見えないところで止まるユリ君。”気が付いてるうと思うけど、今赤のコースなんだよ。”うんとうなずく僕。”さっきの急斜面が赤っぽかった。それでこれからはもう急斜面ないよね。”と言う僕に、”大丈夫。そんなに難しくないから。ついてくればいいよ。”って言われてその先の見えない景色へと進むと、これがね急斜面。しかも欠航したまで見下ろせるやつで、、、。けど昨日の二の前にはなりたくないのでここも必死についていきました。するとリズムが生まれて落ち着いて滑れるんですよね。結局は赤のスロープをちゃんと滑り切ることができました。

昼食に一度アパートに戻ってまた青のコース。そして最後と言うときに、今まで僕とミニはゴンドラで下ってアパートに帰っていたのですが、もう一つ方法があるんですよね。それがアパートの横のスロープをたどって帰るという物。このスロープ、アパートに最初に来た時にみんなで”こんな急なのは無理だよね、黒の上級者向けじゃない。”と話していたもの。ただ上級者用の黒ではなくて中級者用の赤だったんですが。それでも最後にこの落差があるのは怖い。

だけど最後。3人で下ることにしました。このコースは山の頂上からふもとまでの長丁場。気合いを入れてくだってみたのですが、なだらかあり、急斜面ありと面白いスロープで途中でスキーを楽しんでいる自分がいることに気が付きました。ユリ君に、”スキーが楽しいって思えるのは多分終わりの方だから。”って言われた意味が納得。やっとその境地に立てたんだなって。サイドの急斜面も見事乗り切って滑り切りました。

このスキー旅行、スキーもできるようになったけど何より精神的に強くなったように思います。

お菓子作りの上手なKちゃんが先生を務めたユリ君に感謝を込めてスペシャルなケーキを焼いてくれました。このスキーをする人の絵も素敵ですよね。味もとってもおいしかった。

こうして僕の初めてのスキー旅行は幕を閉じました。

スキー旅行オーストリア4 負けず嫌いの代償

寒い朝のドイツです。今日の気温はマイナス7度。昼でもマイナス1度までしか上がらないようで、、、。暦の上では春ですが、温かな春の陽気とは行きそうにないですね。

ブログを書き終えて走りに行ってきましたよ。家を出て最初の感じたのがもちろん寒さ。こんな寒いのに何走ってるんだろうな、なんて思っていると手袋と帽子を忘れたからかなり寒いんだと言う事に気が付きました。ただ、今更引き返すのも何なので走りを続行。太陽の日がさんさんと照っていたので走り始めて15分後には寒さを感じないほどに。ただまだスキーの疲れが残っている調で足に若干の違和感が。

昼ごはんの後に、昨日ブログに書いたように郵便教化へ1人で行ってきました。郵便局は家から歩いて15分ほど。道中、”この手紙を送りたいんです。一つはイギリス、一つは、オーストリア。”なんてフレーズを繰り返して、郵便局に着いたのが午後2時10分ごろ。自動ドアを入って真っ直ぐ、、、、あれ。シャッターが閉まってる。近くにいたおじさんが、今閉まっているよと言ってくれて営業時間をチェックすると、なんと12時半から午後2時までは平日は昼休みなんだとか。”2時間、昼休み!!”ってことにビックリ。確かに街の中の小さなお店は1時間蔵閉まることがあるんですよね、お昼ごはんの時間帯。それをも踏まえて2時過ぎに行ったのに、、、、。仕方がないので、郵便局の後に予定していた買い物を済ませて2時半過ぎにまた郵便局へ戻っることに。今度は無事に切っても買えて、終了。対応してくれた女性職員も感じがよくて、これでまた1つ経験値上げました。僕にとってはこんな小さな事がドイツ生活の励みなんですよね。

さて、スキー休暇について。今日は後半の4,5日目。

4日目、Kちゃん、A君、マーロンは近くの街に遊びに行くという事で、事実上スキー初心者は僕1人に。この日は最初の数日を過ごした超初心者コースは寄らずに、最初から山の頂上へ。ご8人乗りのゴンドラは10分ほどの長い距離。天気予報は曇り、霧、と言うように真っ白の世界が頂上には広がっていました。ただ、ところどころに青空が。最初の短い数コースの間は霧が深かったのですが、その後は素敵な快晴!!今回のスキーの旅、天気が殆どよくて助かりました。

山頂デビューした昨日に比べて転ぶ回数も減り、昨日最後に滑った山頂からふもとまでの長いコースも昨日までは50分かかったのが今回は20分で下れるように。かなりの進歩。急な斜面もありましたが、どうにか踏ん張って転ばずに通過。新しい初心者用のコースも怖がることなく進みます。ただ、途中でこの青いコース中級者用の赤いコースを横切るんですよね。その時に雪の塊があって運悪くもそこに乗り上げ、次の瞬間には軽くジャンプしていた僕。着地までは良かったもののその後体勢を崩して雪の中へ転倒。

4日目はこのように転びはしたけれども前日とは見違えるように上達した自分に浮かれながらのスキーとなりました。この時はね、次の日が一体あんなになるとは思ってもしなかったんです。

5日目。今日はユリ君の提案でバスに乗って15分ほどにある街で違ったスロープを下ろうという提案が。数多くのスロープ下りと、ゴンドラでアパートまで帰るという長丁場。どのルートを行くのかは教えられてなかったのですが、昨日の上達もあってちょっと余裕のあった僕。

まずは初心者の青いコース。この時に気が付いたのが、雪が昨日より硬いという事。そう、凍っているんですね。凍っているとスキー板へのグリップが少なくて滑りやすいし、転倒した時に痛いんです。最初の30分ほどは転びもせずに上手く下っていたのですが、斜面の途中でユリ君とミニが止まり、僕も追随する形で停止。これがよくなかった、、、。僕一旦止まるとそこから動き出すのが下手で。案の定、今まで何問題もなく下っていた斜面がとつぜん怖くなって上手く最初の一歩が踏み出せない。曲がろうとしては体勢が後ろになって転倒、しかも足を辺にねじって足尾付け根が痛い、痛い。急な坂を下るときにミニとユリ君はスキーの板を並行にして方向転換をするパラレルターンなのですが、初心者な僕はスキー板をV字にしてかなり足の内側に力を入れて曲がるやり方。これをずっとしているとかなり疲れるんです。なので派手にこけてスキー板が靴から外れて、また靴をスキー板に装着するときに足を思いっ切る踏み込むのですが、力が入らない、、、。もちろん誰も助けてくれないので自分でスキー板を動かして立ち上がって、靴を履く。これがね物凄い時間がかかったんですよね。この時に精神的にかなり追い込まれていたんです。

1日をかけてアパートまで帰るのでこの日のランチは山小屋レストランで。笑っているけど、どこか作り笑いな僕。

その後は青のルートを何度か滑って、今度は山を下りようというときに気が付いたのがそのルートが赤色だってこと。赤色は中級者用なんですよね。しかも山を下りてアパートに帰る道はこれしかない。つまりこれを下りなければ一生家には帰れないという事。

始まりは良かったんです。赤だけど穏やかで滑りやすいルートで。すると途中で、急な斜面が。”大丈夫。いつもと同じように滑ればできる。”そう言い聞かせて滑り始めました。前を行くユリ君の進む道に視線を集中。急斜面は極力見ないで、高所恐怖症のパニックを沈めます。急斜面も半分を過ぎてあと少しと言うときに、何でもない並行中にスキー板が重なって転倒。しかも運悪くスキー板も外れることに。

転んだショックと足への痛みと疲労感。立ち上がろうとするにも片面のかなりの斜面が嫌でも目に入ってきます。恐る恐る立ち上がってスキー靴をスキー板にはめようとしますが恐怖心と疲労感から上手く履けません。5分後にやっとはけて、いざ進もうと思うと今度は最初の一歩が高所恐怖症のために出ない。”少し下るつもりで動かしな。”といわれるもスキー板を下方に向けるのが怖くて立ち往生。

スライドで少し下りて、けどまだ長い下までの道のり。もう一度勇気を奮い立たせてターンを。1つ目成功。次も、と2つ目のターンに入ろうとした瞬間に情報からスーッと影が。他のスキーの人でそれに驚いてターンできずに転倒。そこからは気が遠くなるほどの時間をかけてこの斜面を下りました。

途中でできない自分や、恐怖心で動けない自分が情けなくて、情けなくて。涙が出てきてしょうがない状態に。そうするとね、今度はゴーグルないが曇って視界ゼロという悪循環。やっと斜面を下りたときには悔しくて涙が止まらなくてめちゃくちゃな顔になっていました。負けず嫌いな性分があって、なんでもそれ相当にはこなせるという自負が僕にはあって、それが出来ないとか、自分に負けるのが悔しい体質なんですよね。今まで怖くても、”自分ならできる。”って信じ込ませて進んできてどうやらここで、それが飽和状態になったみたい。

一通り泣いたら逆にスッキリ。そうすると気持ちも変わるもので、”ここまで来たんだから、やってやる!!あきらめない!!”って闘志が生まれて、その後数ほど転倒しましたが無事に1人で滑り切りました。

30代からのスキーは人間性をより強くするなって眠りにつく前に思った次第です。

 

 

オーストリアへスキー旅行3 いよいよ山の頂上から

今日もスッキリとした青空。これは走りに行こうと思っているのですが、外が寒い、寒い。運河のあまり水が動かないところでは氷が張っていて、この中を走るのかと思うと少しだけ気がなえてしまいますが頑張ってこようと思います。いったん走れば体が温まって問題ないんですけどね、出かけるまでの葛藤がね。

スキーから帰ってきて数日、体のあちこちに残っていた筋肉痛もなくなって毎日の生活もまた普段通りに戻ってきています。今日は出さなくてはいけない手紙があるので、一人では初となる郵便をドイツから送るという試練が待ち構えています。頑張ろっと。

スキー3日目。この日は予報では曇りと言う事だったのですが、まさかの晴天。温度も寒くなくて気持ちがいいほど。今週はかなりの寒気がヨーロッパ大陸を覆っているので、先週がスキーホリデーで本当に良かった。

3日目はまず、その前の2日間に滑ったなだらかな丘での練習場へ。ただ、この日は物凄く子供が多い事。このスロープは初心者の練習用なのでリフト代もかからず、しかも穏やかで危険な個所も少ないので学校で団体で来ている子供たちで溢れることが。それがこの日。リフトでものすごい数の子供が並んでいて、子供が多いとリフトが止まることも増える、、、。ユリ君とミニが、”ここにいてもあまり練習もできないし、そろそろ山の上で練習したほうがいいかもね。”と提案。

KちゃんとA君はここに残ると言う事になり、マーロン、ユリ君、ミニと僕の4人で初となる山の上のスロープへ。

山の上とつながるリフトは6人乗りで座席にヒーターが付いていて暖か。安全のバーのほかに、雪が激しい日のカバーもあったりして豪華版。高所恐怖症の僕はこのリフトが恐怖だろうなと思っていたのですが、乗ってビックリ。怖さがなかったんですね。多分、白い雪の性でそこまで明確な高さがわからないこと、あとはその景色が綺麗だったこと。どんどん高くなるにつれて雪で覆われて数々の山々が見えてきます。そして何よりも音がほとんどしないという事。無音の中を進んでいくリフト。さっきまでの練習場とは別世界。リフトに乗ること7分ほど。頂上に到着。リフトからも無事に降りれました。

ユリ君とミニはこのコースに前日に訪れており、問題なく滑れるコースだと僕とマーロンに伝えます。確かに、最初はなだらかな斜面ただ右の奥にがかなり落ちてるのが見えるんですよね。頂上から見るとまるでそこは崖なんではないかと思える感じ。まず初心者2人が感じたのは恐怖。マーロンも高いところが得意ではない様。頭の中にあるのは、間違って急は斜面に行ってしまってそのまま落ちてしまうのではないかというイメージが頭の中でグルグル。

先頭を切ってミニがスタート。それに僕が続きます。どことなく及び腰でズルズルとくだる僕。そしてターン。どうにかクリアー。そして次のターン、、、ってその時右端に見える落差なる景色、”うわ、こわっ!!”って思った瞬間にはこけてました。そこからまた立ち上がって意識を足元に集中して、落差は無視してターン。今思えば難しくもない斜面なんですが、あの時は”こんなに急な斜面は無理!”って思いが強くて次のリフトまでに4-5回転び、足の力もなくなるほど全身の筋肉と集中を使って下りました。と言ってもここは本当に短いコースで。次のリフトの後が長丁場でした。

スキーのコースはドイツでは3色に分かれています。青が初心者用、赤が中級者用、黒が上級者用。フランスには超初心者用の緑の区別もあるらしいのですが、ドイツは3色。初日、2日のゆるやかな丘は青ですが、フランスで言う緑。先ほどリフトで滑った短いコースは青。そして次の長丁場も青。このコースは山の頂上から山のふもとまでを降りるコース。そして中には級は斜面が2か所。もちろんここでも転倒。

転倒すると、精神的ショックがまず大きいんですよね。”え、こけた!またかよ。”みたいな。それから僕は結構派手に転ぶのか足の特に付け根に痛みが。時にはスキーが外れることもあって立ち上がってまたスキー靴とスキーを履きなおします。けど、これを斜面が急なところでするのは難しくて、、、。常にV字で降りてきているので足の力はあまりなく自分では思いっきり踏み込んでいるようでも力が入らなくてカチッとハマってくれないんです。

次に急な斜面で止まった状態から動き始めるのが難しんですよね。片面は結構な落差が見えて足がすくんで上手く最初の一歩が出ない、、、。スピードが出すぎたら怖いと思ってすぐにターンをしようと思うとスピード不足でへんな向きにスキーが動き出してまた転倒。悪循環。

それでも難所を乗り切ると、少しい幅の広い下りの道に。スピードも出るし蒸すかしくはないのですが、走る左端が崖なんですよね。崖だけど雪が積もっているので落ちても大丈夫とユリ君には言われるのですがそれでも怖い。だからなるべく崖の方じゃないほうにいると、反対の端には硬い雪が溜まっていてガタガタ。するとコントロールが難しい。ジレンマ、、、。

途中で崖が木に変わってスピードものってきたなって思ったら突如、前方の視界が開けて急な右カーブ。それを見た途端また恐怖心が。”このままスピードが抑えられなくて、落ちてしまう。”そう思ったとたん、吹き溜まりの雪の中へとダイブしていた僕。

ね。転び方も派手でしょ。ミニとユリ君には、”なんでこんな何でもないところで転んだの?”と驚かれましたが、、、。恐怖心ですね、完全に。

けど、眺めもいい素敵なコースだったのは確か。もちろん、滑っているときはそんな余裕もなくひたすら、どこに重心を動かしたらいいのか、そのようなコースを進むのかしか考えられませんでした。

このコースにかかった時間は50分。ふもとにたどり着いた時は汗は大量に書いているし、足の力はほぼゼロ、頭は思考回路ショート寸前。無様なものでした。

それからまたリフトに乗って山頂にあるレストランでお疲れ様ドリンク!!

この時の清々しさと言ったらなかったです。ビールがまたおいしかったー。そして、”もうスキーが今日はない!”ってわかってでたこの日一番の笑顔。それにしてもこの景色がすごいでしょ。360ど見渡す限り美しい山々。

 

こうして僕たちの3日目のスキー旅行は終わりを告げました。ユリ君はこの後、スキーで降りてミニ、僕、マーロンはゴンドラでアパートまで帰りました。

スキーの楽しみの一つはこのスキー終わりの飲み物のおいしさと、重くてきついスキー靴を脱ぐときの開放感だなってこの時、思いました。

 

 

36歳、スキーに初挑戦してみる オーストリアスキー旅行2

もう2月なんですよね。スキー旅行の途中で月が替わったから何となくまだ1月な気分。けど、日本は節分もあったし、バレンタインデーもあるしで2月を感じることは多いのかな?ドイツは2月は春が来るのをひたすら耐える時期と言う感じがします。ただ、今日は快晴で、窓からの景色は眩しいほどの太陽の光に照らされていて、見るだけでは春のような趣が、ただ、運河にはまだ昨夜の寒さで凍った水面があるので春とは言えそうにはないのですけれど。けど、曇りの日よりは晴れの日のほうが気分も上がりますよね。

スキー旅行から帰ってきて2日。まだスキーの余韻が脳みその中にあるようで、昨夜の夢はスキーの夢でした。スピードはゆっくりで下っているんですが、止まりたいのにズルズルと動いて止めることができないという夢。一生懸命にVの字にスキー板ををしてブレーキをかけるのに止まらず、あまりに力を入れすぎて足がつりそうになってしまうというもの。夢が現実にも作用してか足が変な形になっていて、それで起きる、これを数回ほど繰り返したなって朝起きたときは思ったんですが。ユリ君に尋ねると、気が付かなかったとの事。だから、起きた部分も含めてすべてが夢だったのかもしれません。

そんな夢にも残るスキー旅行の話に。

初日と2日目は僕たちのホリデーアパートからバスで7分ほどところで基礎レッスン。ユリ君は4歳からスキーをしているし、ミニはこれまで5回目。しかも最初の数回は1日2時間のクラスを取って基本を学んでいるので、何の問題もなさそう。それに比べ、僕、Kちゃん、A君、マーロンは全くの素人。Kちゃんはスノーボードは1度経験済みだけど、スキーは初めて。まずはその重装備に驚きました。スキー靴の重い事。ハイキングシューズを履くたびに、”重いよねー。”って思っていたのですが、スキー靴の後はこの靴が羽の様に軽い、それほど重いスキーシューズ。足首なども結構しっかりと固定されて、圧族気味なので歩くのも花魁歩き見たいな感じになるんですよね。

無事についた練習場所のスロープ。ユリ君が初心者4人に基本を教えてくれました。ブレーキのかけ方:スキー板をV字にする。左右のターンの仕方:外側の足に重心を動かして曲がる、リストの乗り方などなど。これをほぼ平らと言う所で練習して、初のリフトへ。

と言っても簡単な一人またはリフトで、座るタイプでなくて立ったまま引っ張られるもの。乗っている時間も1分ほどの短いスロープなんです。下から見ると少しなだらかな丘って感じなのですが、最初に上に上がった時の感想は、”急な斜面!!”って思いだけ。このスロープは本当の初心者だけのスロープなのでほとんどがなだらかな下りなのですが、始まりのところだけが少し落差が大きめだったんです。これに初心者4人は驚愕。4人ともカーブを上手く曲がれずにスロープ上の至る所で倒れるという大惨事に。その横を4ー5歳ぐらいの子が転びもせずにスッと走り抜けていったりして、羨ましくて仕方がない。

頂上からのカーブはどうやら僕達には無理だと言う事になり、リフトを中腹で降りてなだらかな斜面での特訓開始。右カーブ、左カーブ、順調に進んだと思ったら突然にスキー板が重なって転倒。僕は右側に曲がるカーブが苦手で上手く体重移動が出来ていないためか曲がりながら加速気味になってそのままスピードが出たことに驚いてこける、っていうのが多かったんですよね。だけど、転倒を何回もすれば転倒する怖さはなくなるとウェブで見たので、無理な時は転倒してそこからまたやり直しをしていたんです。

最初は何となく体重の重心移動をさせていただけなんですが、曲がるときには本当に結構な重心を曲がる外側の足にかけると曲がりやすいことに気が付き、そうするとスピードも安定気味に。後は足の内側の筋肉の必要性。あんまり使わない筋肉をスキーって使うんですね。足を内側に織り込む形だとバランスやスピードが取りやすくなりました。ほら。。子供だったら体が慣れて覚えていくんでしょうが、36歳で初のスキーだと頭に”さ、曲がるよ。体重を外側に移動させようね。綺麗なVのラインで入っていこうね。”なんて自分に言い聞かせてしないとすぐこけてしまう情けなさ。言語と同じなのかもしれませんね。言語習得は若いうちは特に勉強をしなくても喋れるようにはなるけれど、大人になると文法とかのルールを知ったほうが最初は頭に入ってきやすいのと同じなのかと。

初日は結局、中腹だけで終わり。2日目に頂上からはじめることに。ただ、面白いことにあんなに前日にできたのに次の日の朝にもう一度と思うと、勘が鈍っているんですよね。これも加齢のためなのか、、、。けど、中腹から上手く転倒せずに下りれるようになったのだから、次のターゲットは頂上から。そう意気込んで滑り出したものの、少し急な始まりでコントロール不能になっては横の雪の吹き溜まりに転倒、転倒、そしてまた転倒。途中まで行けば問題なくカーブを曲がれるのになぜか頂上部分だけが無理なんですよね。スピードとカーブのコントロールが上手く出来ずに派手に転ぶという繰り返し。

”なんでだろう?中腹からは問題ないのに、上からだとすぐに転んでしまうのは、、、、。”と考えて気が付いたのが、恐怖心。確かに始まりは少し高低差もあるし、頂上からだと下までが遠く下に見えるんですよね。”転んだらどうしよう、スピードが付きすぎて止まらなくなるかも、上手く曲がれずに吹き溜まりに突っ込むかも。”なんて気持ちで始めると確かに最初か2回目のカーブで転倒するんですよね。だから途中から、”大丈夫。自分ならできる。習ったことを思い出しながら、一つ一つ曲がればいいんだ。”って言い聞かせると確かに転倒回数が減る。

どうやら転びそうになると体の重心が後ろにいくらしく、体制がそのようになると加速度がついてしまうのだとか。つまり、怖いがために後ろめりな体勢なり思った以上にスピードが出てそれに驚いてまた、後ろに重心が移って加速度、結局は転倒という悪循環にいたわけなんです。

それからは、”怖くない、怖くない。”って言い聞かせて前のめりでカーブを曲がると綺麗に曲がれ、しかも重心をかけた足の後ろでカッコよく雪を捉えたシュッともザッともつかない小気味よい音を感じが楽しくて、徐々にスピードのコントロールもできるようになって2日目を無事に終えました。

技術でも、スピードでもなく恐怖心と言うものが僕のスキーを邪魔していたとは、、、。面白い発見でした。滑りながら、スキーって自分との闘いとどれだけ自分を信じられるかなんだなって思いました。

もちろん、この後からもっとそれを激しい意味で知らされるとはこの時は知る由もなかったのですが。

オーストリアでスキーホリデー1

ただいま!! 昨日の夕方帰ってきました。しかも、骨もおらずに筋肉痛と、かすり傷ぐらいで無事にスキーホリデーを終えました。30代でスキーを始めるってなかなか難しいもんですね。何回もこけて、こけて、こけて、そしてまた立ち上がって滑るというのを6日間してきました。

まずは僕がそんなスキーが難しいものだとは知らずに余裕をもっていたときの話しから。

話は先々週の土曜日に戻ります。ユリ君とオーストリア入りしたのがその週の木曜日。ユリ君は1人でスキーを楽しむために金曜と土曜日の午前中はスキーをしに、そのあいだ残された僕は滞在していた町を観光したり、川沿いの雪道をあるいたりして時間を過ごしていました。

土曜日は僕たちの移動日で、ホテルから車で20分ほどのホリデーアパートに宿を移すことに。このアパート、スキーホリデーの人をターゲットにしていてスキー場が本当に隣にある絶好なロケーション。このようなホリデーアパートが数多くこの地方にはあるんですよね。

僕はスキーをするのが今回が初めてだったし、日本のスキー事情は分からないのですが、スキーホリデーと言うものをする人がヨーロッパでは多いんですよね。名前の通り、スキーだけをひたすら1日中すると言うもの。朝9時ごろから始めて、昼の3時半ぐらいまでスキー三昧。団体によって違いますがだいたい1週間。長い人たちで2週間。ユリ君はこのスキーホリデーを4歳ぐらいのころからしていて、学生時代には地元の子供たちの指導員としてスキーをしにきたり、スキー場に住み込みのスキートレナーとして働いていたりと、大のスキー好き。ただ、ここ2年間はスキーに行けなかったので、その血がウズウズとしていたのだとか。

その僕たちの居城となるホリデーアパートが、かなりの素敵さでびっくり。まずはリビングからの景色が圧巻でした。

ヨーロッパの雪山が目の前に広がります。ちなみに、この建物はゴンドラ乗り場。8人乗りで1900mの標高まで人々を運びます。

ユリ君と僕で車一杯の荷物を運び出して、一息つく暇もなくユリ君はザルツブルク空港へミニたちを迎えに、僕は夕飯の準備に取り掛かりました。メニューはユリ君直伝のボロネーズソース。せっかくなので、メレンゲをベースにしたスポンジケーキを焼いてチョコレートソースのケーキを一緒に焼くことに。どうにかギリギリで食事を作り終えることができました。

そんな何もないと言ってしまえば何もない初日。なので、どんなアパートに泊まったかの写真で僕たちのホリデーの雰囲気をおすそわけです。

ユリ君と僕はここに。窓は小さいのですが、大きな書き物机が気に入りました。机、見えないけどこの写真の左側にあります。

 

リビングは大きなバルコニー付きで最初の写真の景色が見えます。太陽光が降り注いで気持ちがよかったです。しかも床暖房なのでいつでも暖か。Tシャツだけでも問題なし。

上のリビングの反対側にはお洒落なスペースが。これ丁度、階段の真上なんですね。デッドスペースになりそうなところをこのような素敵なアイディアで見事に居住空間に。

階下にはベッドルームがもう2つ。そして、トイレ、シャワーにサウナも完備。このサウナ、大人4人ぐらいなら問題なく入れます。

 

このちょうど一枚上に写真のベッド、そんなに大きく見えないんですが大人4人がラクラクと寝れます。そして、この2つの寝室からは反対側の眺めがバルコニーで見ることができるんですよ。

さて、スキーの話は次の時に。この時はまだスキーの奥深さを知りもしなかったんですよね。

 

雪の中を散歩に

週末の初日ですね。オーストリアは外はマイナス6度ですが、雲一つない青空が広がっていて反射する雪が眩しいほど。1mほどの積雪ですが、さすが雪国。電車もバスもすべて平常に動いています。これがロンドンだったら交通マヒは免れないでしょうね。数年前に雪が10cmほど積もったことがあって、その時は電車もバスも動かなくて家に帰るのもままならない状態に。この前の積雪でも東京は大変だったみたいですしね。

小石が歩道には撒いてあって氷で滑らないような工夫がしてあったり、屋根には雪が一気に落ちてこないようにストッパーがついていたり、軒が長めに作られ1階から3階までの家の幅が同じだったりと雪国ならではの生活の工夫がいたるところに目に留まります。

今日はブログでよく登場する、ミニ、マーロン、Kちゃん、A君が僕たちに合流します。ロンドンから夕方の便でオーストリアのザルツブルクに到着予定。ユリ君がみんなを空港に迎えに行っている間、僕は次のホリデーアパートで夕飯づくりをしてみんなを迎えます。ちなみに今日の夕飯はユリ君直伝のボロネーズソース。

明日からユリ君が先生となって僕たち初心者5人にスキーを教えてくることになっていて、昨日と今日はユリ君は1人でスキーをしに出掛けています。なんでも2年ぶりのスキーなので張り切りようが違います。今日も朝一でご飯を済ませて8時過ぎの電車に乗ってスキー場に。昼過ぎにスーパーで合流することになっています。

という事で、昨日は僕ひとりの時間を過ごしました。午前中はショッピングリストや日記などを書いて過ごし、昼過ぎに太陽が顔を出してきたので散歩に出かけることに。前の日に川の横を走る歩道を見つけたのでそれをたどっていくことに。

目指すはこの奥に無得ている山のふもと。雪がいたるところにあるんですがこの歩道は雪がちゃんと踏み固められて歩くのも苦になりません。すれ違う人たちに挨拶をしながら進んでいくと途中でノルディックのスキーレーンが。何人かの人がこの自然美あふれるコースをスキーで移動していましたがみんな結構年配。散歩をしている人たちも60代ぐらいの人が多くて、元気の良さがうかがえました。

太陽が出ていると雪に囲まれてはいるものの結構な温かさになすんですね。途中でかぶっていた帽子を脱いで、ジャケットの前は開け放って冬の外気を取り入れました。

ここオーストリアのスキーリゾート地はおとぎの国から抜け出してきたような家々で溢れています。木をふんだんに使っているので日本人がなじみも持てるのではないでしょうか。

 

歩くこと2時間。ホテルに戻ってきました。大体のコースは事前に地図を見ていたので頭に入っていたのですが、困ったら携帯の地図で確認すればいいやと気軽な気持ちで出かけたこの散歩。至る所に道案内の標識がたっているので携帯を見る必要もなく、しかも予定したコースが日陰だったので途中で違うコースにして進んでいたら、うまい具合に僕たちの滞在するホテルに戻って来ることが出来ました。

この町、教会という名前が町名に入っていてそれも納得しました。だって、遠くから少し高台に建てられた教会が見えるんですから。その建物を頼りに戻ってこれました。

この詩をを基調に黄色と緑の色鮮やかなアクセントカラーを配色した建物が教会です。カトリック教会と思われ、なかなかの装飾です。

気が付くとそこは雪国

はやいもので1月も終わりなんですね。ほんの少し前に年明けだと思っていたのに。時間がたつのは年齢を増すにつれて早くなるというのは本当のようですね。けど、皆さんも週末を迎えてホッと一息といったところなんじゃないでしょうか。

そういえば、ドイツ語クラスの案内が送られてきましたよ。僕のレベル4クラスは3月5日から。という事は、あと1ヶ月ちょっと、それまでは自学で頑張っていこうと思います、

今窓の外を見ると、雪、雪、雪。積雪は1m以上かな。、、、っていつものドイツの風景ではない。そうなんです、今、オーストリアにいるんです。なので、ブログがこの数日間は書いていなかったのもそのため。

水曜日の昼過ぎに出発をしてドイツの日本として有名な都市、デュッセルドルフへ。この都市、総人口の1%が日本人なんですよ。すごいですよね。確かにホテル日航はあるし、日本の書籍を扱う本屋さんやスーパーも。同じドイツでも僕の小さな町とは大違いですよね。道を歩いていても日本語でしゃべる人たちもいて、”都会だなー。“って思ってしまいました。それに、英語が街で飛び交うのも多く聞こえて、ユリ君もこれにはびっくりしてました。僕の町では英語を聞くのも稀なので。ところ変わればですね。

夕飯は、おにぎり屋さんで食べました。確かここのお店、日本のテレビで紹介されていたんですよね。僕はおにぎりの梅と、天丼。ユリ君は大好きなカツカレーを。僕のはおいしかったのですが、あんまり浮かない顔のユリ君。なるほど、カレーの味が薄い。“カレーはTakのほうがおいしいね。”と決して不味いとは言わないユリ君にその人柄を感じました。それでもちゃんと食べきって偉い。

なぜデュッセルドルフに立ち寄ったかというと、ここの駅からオーストリアに向けて夜行列車が出ているんです。これに乗って僕たちは国境越えをすることに。実はね、車で頑張って運転したほうが圧倒的に早いんですけどね。夜行電車に車を乗せる前についてからのナビをセットしたんですが、デュッセルドルフから休みなしで運転すれば目的地のホテルまでは7時間ほど。夜行列車だと到着が翌朝の9時なので12時間ほど。だけど、電車の中で泊まれるというのは楽しみだし、僕は初めてなのでそれだけで旅気分も増量。

 

いざ乗り込んだ車両。僕たちの部屋を見つけてはいると、“結構な狭さだね。”という狭さ。座って足は延ばせない、、、。それでも、スパークリングワインや水、タオルやスリッパなどのウェルカムバッグがあったり、お湯が出る洗面台もある。あとで、係の人がベッドを作ってくれたら、そのほうが空間を有意義に使えてよかったです。ベッドだと足を延ばして二人で座れるし、2段ベッドだからほかにもスペースができるので。ただ、眠るのはいくらベッドでも動く電車だと難しいんだなって思いました。浅い眠りで何度も何度も起きてしまったので。

ミュンヘン駅で止まって、その後少し行くと電車が予定外の駅で止まってしまいました.なんでも線路に異常があったらしくしばらく待たないといけないとの事。ちょうど朝ごはんが支給されたところだったので、揺れる電車の中で食べるよりは楽だねと言い朝食終了。けど、動かず。結局、2時間と少し遅れて到着駅に。

 

2時間遅れたのですが、悪いことばかりではなさそう。なんでもEU内の法律で2時間以上の遅延の場合は支払った50%の料金が手続きをすれば戻って来るそうなので。

 

オーストリアに入る前から少し前から雪があちらこちらに見え始めました。けど、オーストリアに入ってどんどん進むとその雪の量も増えるのですが、美しい山、山、山。未定ながらマグリットのの描く山に似てるなと思いました。日本にはない感じの山なんですよね。雪と岩のコントラストが素晴らしくてじっと車窓から見入っていました。

30歳を過ぎてから読む本

昨日はユリ君から仕事の休み時間になってもメッセージも来ず、”あのケーキの評判はいったいどうなのかな?”と思っていたのですが。5時半過ぎに家に帰ってきたユリ君。ケーキを入れた大きな盤ボールの箱を2つ持っています。1つ開けるとキャロットケーキが2切れ。”お。ちゃんと残してくれたんだな。”って思ってティラミスケーキの箱を開けようとすると、”そっちは空だよ。”との返答が、、、、。”どっちも一切れずつ残してほしいって言ったじゃん!”って言うと、”あ。ごめん。気が付いた時にはもうなくなってたよ。”だそう。作ったほうからすればなくなってしまったのは嬉しいのですが、あのクリームのおいしいティラミスケーキは食べたかったなっていうのが本音。

2切れのキャロットケーキを味わうとするか、っと思っていたら。”2切れあるから。ひとり1切ずつ食べようね。ティラミスケーキしか食べてないから、こっちも楽しみ。”と僕の考えをわかったかのような会話をしてきます。ユリ君の誕生日ケーキなのでしょうがないですよね。夕飯の後に2人で食べました。このキャロットケーキ、おいしんだけど僕がいつも作るレシピのほうがもっとおいしいなっていうのが正直な感想でした。ちょっと、ケーキの生地が重いかなと言うのがマイナス点かな。

けど、久しぶりのケーキ作りは楽しかったのでまた作ろうと思います。

色々な事もそうだけれど、年月を置いてふとまたそのドアを開けてみると驚くことってないですか?

僕はここに引っ越してきたのが去年の夏。ユリ君がすぐに引っ越しがあるかもしれないからと言うので引っ越しの荷物の段ボールはそのままに、あるものだけで今の生活を送っているんですよね。その中で、”生活で必要なものって意外とないんだね。”って思っていたんですが。数日前にケーキ作りのためにそのうちの箱を1つ開けたんですよね。ケーキのレシピを探すために。そしたら、ロンドンの生活で使っていた食器や、衣類が一緒に入っていて。一気に、その時の思い出が蘇ってきてそれだけで幸せな気持ちになってしまった単純な僕。

僕は結構、淡白なところがあってドイツに住んでからまだ、5か月ぐらいですがイギリスの生活を懐かしむことなんて一切ないんですよね。イギリスの生活がどのようなものだったかも遠い昔の様に感じられるし、全く違う世界の出来事の様に感じるんです。もしかしたら、これは僕の作り上げている一緒の防衛のメカニズムなのかもしれませんが。ほら、新しい生活になると何かと不便だし、イギリスはこんな感じじゃなかった、って比べたり、その場所にいる事、そんな自分を不憫に思ったりしてしまうじゃないですか。だから、そうならないように脳が昔の記憶を思いっきり遮断している感じかな。だから普段の生活で日本の生活もイギリスの生活も驚くほど思い出さないんですよね。あくまでも”今”を生きている。これって面白いなって自分のことながら思います。

けどね、こんな風に時にイギリスの生活が顔を出す時があって、”あー。こんな生活してたな。”って思えたり、自分のものが新しい生活にあるというのも素敵だなって。ほら、今の生活はユリの物の中で生活してそのとこどころに僕のものが点在している感じ。それが沢山の食器が出てくると、それが食卓に並んだりして今までの食事の景色が変わることに感動するんですよね。言葉に表すのが難しいけど、理解してもらえるかな?

年月を経て、自分が色々な経験をして思い返したり読み返したりするものに新たな発見をすることだってありますよね。

先日読み終えた江國香織さんの東京タワーと言う本。

この本が出された年は2001年12月。僕は高校の時からこの作家の本が好きで読んでいたんだけど、この本の内容はどうも自分の中にしっくりとこなかったんですよね。大学の男子生徒二人の目線で年上の女性との恋を綴った本なんですね。2001年に僕は20歳でこの2人の主人公とはほとんど同い年なのに、共感する部分が少なくて、この本は僕に合わなかったなって思って終わったんです。僕は同性が好きだから年上の女性を思いこの2人には同化できないのかなんて適当な理由を考えて本棚の奥にしまい込んでいたんです。

それから時は流れて2018年。江國香織さんの本はワインと一緒で熟成をすると言う事に気が付いて、この本をもう一度読もうと思ったんです。あれから17年の月日が流れていたんですね。すると僕の年がその男子学生の愛情の相手となった年上の2人の年齢と一致していることに気が付いたんです。

そして読み込んでいくうちに感じたことが。これは確かに10代の終わりや20代になりたての学生の目線から、心情から書かれてはいるのだけれども、ここで一番の感情を書き上げたいのはその恋愛対象のこの2人の女性だという事。

大学生の時ってまだ人生は素晴らしいものだって思っている時でしょ?10年後、20年後には家庭をもって子供もいて、週末には家族団らんで、時には友達も自分の建てたマイホームに遊びに来て、健康な両親と年に数回あって生きていくみたいな。

けど、現実には年を重ねていくにしたがって人生とは何て難しくて不平等で、理不尽なんだろうって思うことが増えて。それでも、それを気にせずに歩いていく、または目をつぶって前に進む。気が付くと周りから与えられた既成概念にとらわれてその中で自分自身を失って、自分の価値観が奪われてしまう。そんな大人の世界。

その中にあって、この女性2人は不思議な生き物として、自分の感情のままにそして、思ったままに生きている芯の強さと、野蛮さがよく書かれてるんですよね。二人の性格的には違った女性なんだけど、その根本的なものは一緒なのかなと思ってしまいました。

この本は30を過ぎてから読む本だなって、思いました。

食べられないケーキを作る週末

毎日が暗闇のような日々だった先週ですが、日曜日だけいい天気に。なので、ユリ君と走りに行ってきました。特にユリ君、最近よく走って体力づくり。と言うのもスキー旅行がもうすぐあるから、そのための基礎体力作りなんですね。なので、仲良く冬の太陽を浴びながら9kmほど走ってきました。しかもこの晴れた日は、ユリ君の誕生日だったんですよね。

誕生日だからと言って特別に何をするわけでもなく、家にいたんですが。ケーキは作りましたよ。しかもね、食べられないケーキを。しかも2つも。

ロンドンにいたときは結構な頻度でケーキなどのお菓子作りをしてブログにも載せていたのですが、ドイツにきて僕の料理器具がまだ箱に入っているのもあるし、作っても食べてくれる人が周りにいないのでご無沙汰だったんですよね。

久しぶりのケーキ作りに、余裕をもって音楽を流しながら半日かけてゆっくりと作るプロセスを楽しみました。

まず一つ目はこちら。

この材料を見ればわかってしまうかもしれませんが、キャロットケーキ。いつもならばオレンジジュースで浸したレーズンを入れるのですが、ユリ君がレーズン嫌いなので今回はなしに。

チアシードを入れて焼き上げてみました。このケーキはそこまで膨らまないずに、フロスティングはクリームチーズとレモン、それにチアシードのものをチョイス。

 

完成こんな感じ。食べ応えがあるケーキかな。

二作目は一つ目とは違って軽いスポンジを焼きます。高さからすると最初のスポンジの倍以上の高さに。

ただ、オーブンから出してしまうと焼き縮みしてしまうんですけどね。素敵な色に焼きあがりました。これが冷めるのを待って3つの層に切り分けます。これがね、何かと難しいですよね。

 

このスポンジの間や上に乗せるものは、大人の感じに仕上げました。まずはこの切ったスポンジに濃いめに入れたコーヒーを浸して苦みをプラス。クリームはマスカポーネと生クリームを合わせた最強クリ―ム。ちょっとだけ味見と言って何回も食べちゃいました。そのクリームをスポンジの間、上部、側面に塗ったらチョコレートを皮むき器で削り落としたものをかけて出来上がり。

出来上がった時には夕方でした。さて、どうしてこのケーキが食べられないケーキと書いたか、、、。実は、これユリ君が仕事場の同僚に自分の誕生日を祝うためにもっていきたいとお願いされて作ったからなんです。なので、折角おいしそうにできたのに僕の口には入らず、、、、。今朝大きな箱に入れてユリ君が持っていきました。会社に行く前に、”もしあまったら1スライスずつ持って帰ってきてね。”とは頼んだのですがどうなるかな、、、。