ドイツ語のマーニー

薄いグレーの水彩絵の具を白い雲に流し込んで、その雲を空中に撒いたような空が今日の北西部のドイツには広がっています。家の前のヨットの帆先にある赤い帯状の布を静かに揺らしているほどの風が外では吹き、肌に伝わる温度は冬のそれで。穏やかに暖かい僕の部屋からのその景色は心を静かにしてくれます。

隣では3つのコンピューターの画面を駆使して、ユリ君が家から仕事をこなしています。ユリ君が家で仕事をすることはあまりないのですが、今日は午後にこの近くで行かなければいけないところがあると言うので、午前中はホームオフィスで仕事をし、その後出かけるのだそう。いつもいない人が、その空間にいるのって非日常感があっていいですよね。もちろん、週末はユリ君がここにいるんですけど、仕事はしていないので。なので、今2人だけのリビングには方カタカタとキーボードを打つ音だけが、小気味に響いています。

冬や秋の良さって、ここにありますよね。心を穏やかに、静かに過ごすことに。

春はたくさんの植物や動物が長い冬を乗り越えて一気に活動するので空気がどことなく活発的で、晴れた日には外に出たいという衝動を抑えられなくなるし、夏は暑さで元気がいっぱいといった雰囲気があるでしょ?春と夏が子供時代で、秋と冬は大人時代、そんな感じが僕の中ではあるんですよね。

だから、秋と冬は僕の大人レベルが少しだけ上がる気がするし、穏やかに老後を過ごす人のような心持になってしまいます。もちろん、クリスマスやお正月などのイベントがあるのも冬ですが、そのイベントはどちらかというと家族はごく親しい人達との集まりで、暖かな家の中で起きるので、夏の砂浜や、春のお花見とはまた違った雰囲気だなって。

子供向けのものの中にも、大人が楽しめるものってありますよね?例えばディズニーだったり、ジブリだったり。けど、もう少しだけそれを深く見てみると、子供向けだけど中身は大人みたいなものがあると思うんですよね。サンテグジュペリの”星の王子様”とか、ノルウェーの高校の哲学教師であるヨースタイン・ゴルデルが少年少女に哲学の手ほどき用に書いたソフィーの世界とか。子供の時でも楽しめるけど、大人になってまた読んでみるとその奥深さに感心し、共感できる物達。

僕が、”崖の上のポニョ”を見せたことでユリ君はジブリの存在を知ったのですが、それから”ハウルの動く城”と、”もののけ姫”は見たんですよね。僕がいつも、”ジブリにこれは面白いよ。見ようよ。”って言っていたからだと思うのですが、プレゼントが。たくさんのジブリ作品が。

その中に僕の見たことのない作品が一つ。それが、”思い出のマーニー”。

プレゼントにはくれたものの、あまり一緒に観る気はないようなので一人で見ることに。もちろん、まだ見たことない”思い出のマーニー”をチョイス。

ただ僕、機械の操作とか苦手なんですよね。いつも何か変なボタンを押してしまって、ユリ君やミニの帰りを待って助けてもらうというパターンが多くて。なので今回、マーニーを見始めると音声がドイツ語だと気が付いたのですが、そのまま見ることに。

タンタンの冒険でドイツ語のリスニングをしているわけだし、1時間40分の長丁場だけど大丈夫だろうと見始めました。

ジブリの映画の好きなところは、”あー。こんなところに住んでみたいな。”とか、”この食べ物を食べたい。”とか、”こんな人と出会えたら、面白いな。”っていうと所が一つの魅力だと思うんですよね。今回は、杏奈が夏を過ごした家にどうしても住みたくなりました。杏奈の部屋からの景色とか、机の上のランプ、今のストーブ。バルコニーも家の外観も素敵だし。家の前には家庭菜園。住むならここかなって思えちゃうほどに。

後、ドイツ語がこのアニメはしっくりくるなって思ったのも一つです。もちろん、ロケーションは日本の北海道のようですが、杏奈とマーニーのドイツ語の声がよく合ってて違和感なくドイツ語で楽しめましたよ。

理解度は、思ったよりもわかるなっというのが感想でしょうか。途中で分からなかったのが、杏奈が自分の家でお母さんの貯金通帳か何かを見つけてお金が振り込まれていることにショックを受けた下り、時に出てくるお葬式(お父さんが死んだと思ってました)、マーニーと杏奈が雨の中で言い合った時の内容が上手く分からなかったんですよね。ただ、最後の方で杏奈が今まで僕がお母さんだと思っていた人を、”おばちゃん”と呼んだので、彼女が本当の母親出ないと事がわかり、その後の話からお葬式は両親のものだったという事もわかってスッキリ。マーニーと杏奈の言い合いはたぶん、”もう、さよならだわ。”みたいなことだったのではないかと考えています。

この映画、そんなに何かが起きるわけではないんですよね。穏やかに、静かに、そして画面上はいつも少しだけ肌寒さを感じるんです、それが夏のシーンでも。このアニメは大人が見るべきものなんだなって思います。日常につかれて、日々自分一人で戦っているように感じて、その孤独感と焦燥感を味わって日々を過ごす大人のアニメだと。

そして、このアニメにある様々な愛の形がまた、素敵だなって思います。愛のカタチって数限りなくありますよね。その様々な愛の形に気が付くという事って人の人生を豊かにしてくれる気がします。

なんでもない日、おめでとう!!

月曜日の朝は、雲が多くは見えますが所々に空の青さも見えているドイツ北西部です。ただ、時に突然に雨が降ってきたりと予断を許さない感じで外に出るタイミングがどうも取りにくい感じもあります。それでも、青空が少しでもあるというのは心への余裕が生まれますよね。

さて、今日のブログがどこから来たのかわかる人は、かなりのディズニーファンかと。これ、不思議の国のアリスからのセリフの一部なんですよね。帽子屋と、ウサギが、”なんでもない日、おめでとう。”ってお茶会をしている時ですね。誕生日なんて365日のうちで1日しかない。だったら、残りの364日の何でもない日をお祝いしたほうが楽しいじゃんってことらしいです。確かにね、逆転の発想って面白いですよね。

さて今回、僕がんなぜこのタイトルにしたかと言うと、それは先週の土曜日。いつもの時間よりも遅めに起き上がったのが朝の8時半。悪夢にうなされて決していい目覚めではなかったのですが、、、。隣を見るとベットは空。ユリ君はどうやら先に起きているようです。

顔を洗おうとバスルームに行くと、穏やかな太陽光線が摺りガラスの向こうから入ってきていてセントラルヒーティングのその部屋の中はほど良い温度。

”あー。なんて幸せなんだろう。”って思ったんですよね。何もなかったのに。本当に突然に。

そんな日ってありませんか?別に特別な事があるわけでもないし、何かもらったりしたわけでもないのに、”うわー。幸せだな、僕って。”って思う日が。僕は年に1-2日ぐらいあるかな、こんな日が。

そんな日って本当に何でも、どうでもいいことが”いいなー。”って思うんですよね。外の風景とか、朝ご飯の紅茶の香りだとか、シャワーの温度とか、観葉植物が水を吸って土が湿り気を帯びるとか、本当にいつも見てたり、触れたりしているものが嬉しかったり、幸せを感じたり。なんなんだろう、あの感覚は。だけど、そんな日は”人生って、素晴らしい!!”って叫びたくなるような衝動に駆られてしますんですよね。

そんな朝から始まったので、1日中ワクワク感に覆われていて、最近毎日のように来ている配達屋さんが今まで僕の事をユリ君と思っていたけど(ユリ君宛の荷物を僕がいつも受け取るので)、この日は僕宛の小包をユリ君が受け取って、”そっか、君がユリ君で、いつもの子がTakなんだね。”って納得して帰って行ったことや、昼に作った僕のスープが本当においしかったこと(ジャガイモ、タマネギ、インゲンをベースに水煮のトマト缶で煮たもの。)が何か特別なことに感じられて、その配達員さんや、スープをいとおしいなって思ってしまうほどに。

なんでこんな気持ちになるのかな?何かきっかけでもあったかなって考えたとき、そういえば、、、。

海外に住んでいる人ならわかると思うのですが、ユーチューブって本当に日本の情報を手に入れる時に便利ですよね。中には日本で放送されたものがほぼその1時間後には見れたりして。本当は著作権とかで駄目なんでしょうが、、、。観てしまいますよね。

その中で、”あなたへのおすすめ”みたいなのが出てくるでしょ?そこで見つけたもので、何気なく見たら、、、、。号泣したものがありました。もしかしたら、このユーチューブの影響かな?

そのテレビ番組とは今年の9月末で放送を終了した、テレビ東京制作の”世界!ニッポン行きたい人応援団”っていう番組なんです。

なんでも海外から日本に行きたい人をフェイスブック上で募集を募り、その中から選ばれた人が来日するというもの。僕が見たのは少し違って、ポーランドで開かれている日本祭りに遊びに来ていた女の子にインタビューをして、その子の日本の木造建築や文化に対する熱い思いにスタッフが感心して、日本旅行をプレゼントした形式でした。

この、13歳のポーランドの子の、あまりの喜びを素直にあらわす表情や身振り、純粋な気持ちがあまりにもストレートの僕の胸に突き刺さって、涙を出しながら見てました。

こんな気持ちの時あったな。この感情って大人になると心の奥深くに隠してしまうけど、もう一回掘り返さなきゃなって思いました。

たぶん、このテレビのタイトルと13歳ポーランド少女で検索すれば見れると思いますよ。

時に泣くことって大事ですよね。ハンカチを片手にご覧ください。

 

 

洗濯機の設置とドイツ語の葛藤

今日はスッキリした青空が広がっているドイツ北西部。久しぶりの綺麗な朝焼けも見れて、”いい朝を、迎えられてるな。”と言う充実感を感じています。今日は、金曜日。今週の始めに、”残業の残り時間があるから、金曜日休めるなら休みを取る。”と言っていたのですが、会社が忙しいようで却下され、それでも”早めに帰ってくるから。”と仕事に出かけて行きました。

ちなみに今日は3つの小包が届く予定です。

そのうちのひとつは昨日、一度来たのですが、、、。今日の再配に。というのも、いつもは荷物を受け取ってサインをしておしまい。そのつもりで受け取ろうとしたら、荷物をすっと横に動かされて、”お金の支払いがあるよ。”との事。ユリ君は事前に何も言っていなぁったので???と思ってよくよく聞くと、関税だそう。送り主の国ははるか遠いオーストラリア。”あれ、ユリ君オーストラリアに何か頼んでいたっけ?しかも関税が3000円ほど。手持ちはあったのですが、もしユリ君が頼んでないものでも困るので、”ごめん。今、お金持っていないんだけど。”と伝えると、大丈夫だよと伝票を置いて行ってくれました。僕が理解したところによれば、”取りに来てね。”と言われたと思ったのですが、伝票にはその場所の明記がないとユリ君に言われ、”どうしよう!!”となったのですが追跡コードで調べてみたら今日の再配となっていた模様。けど、ユリ君なにをわざわざオーストラリアから買ったんだろ?しかも、”これって払わなきゃいけないの!”っていうので、説明しておきました、EU圏以外は運が悪かったら関税かけられるよ。って。

さてさて、お待たせしました。昨日の予告にあった洗濯機設置のお話。

洗濯機を新しいのを買って。昨日の朝10時から昼の2時にお届け予定と聞いていたので、家の鍵、地下の鍵、外用のスリッパを玄関前において準備完璧。昼過ぎ頃かなって思っていたら10時半になる呼び鈴。”来たか!!”と息をいったん整えていざ出陣。

配達のお兄さんに、挨拶をし”洗濯機ですか・と聞くと首を縦に振りどこに運びますかと聞かれ、”地下でおねがいします。ちょっと待ってください。そのドアをあけてきます。”といって一旦アパートに入って地下へ。そこから中扉を開け、外扉の鍵はどれだっけとしていると背後で物音が。

階下に住む、ちょっと風変わりなおじさんがそこには。このおじさん前のブログでも書いたことがあるんですが、ユリ君曰くこのアパートからほとんど出ることもなく、常にアパートに誰が出入りをしているか監視をしているそうで、、、、。人種差別者的な事もいうことがあると、言うおじさん。”洗濯機を置くときには、あのおじさんが出てくるだろうね。彼はここを”管理”してると思っているから。”と言われていて、どうせなら出てこないでと思っていたのですが、、、。登場です。

どうしたんだ?と聞かれて、”新しい洗濯機を、、、。”と答える僕。鍵が何個もあってどれだっけと焦る僕。”全部の鍵を試してみなさい。”とおじさんに言われようやく開いた外へと通じるドア。配達の人たちをまずは地下に案内して古い洗濯機を持って行ってもらいました。

階下のおじさんは自分の地下の部屋へのいったので、一安心。

新しい洗濯機が運ばれてきます。”どこに、どのように置きますか?”といわれ身振りで答える僕。するといつの間にかおじさんが。

”おー、ドイツ製じゃないか。いいね。ドイツ製は品質がいいから。しかも3年保証。”と突然の会話。特に誰にという訳でもなく、喋り始めて。僕も隣で、”そうだね。”ぐらいしか言うことがなかったのですが、配達の人がその話にちゃんと受け答えをしてくれて助かりました。その後、その人がポーランドから気rていることをおじさんが聞き出し、”いいところだね。”と褒めれば、”いやー。けどね今のポーランドの政権はダメですよ。”と答えると、”どこもダメな政権ばっかだよ、世界中。”とのおじさんの返答。(意外と、僕も聞き取れるんですよ。笑けど、それに返答するというのが難しいですよね。)そんな話を聞いて、おじさんドイツへの愛国心は強いけど、そこまで差別的ではないのかな。とおもったり。

途中で、配達の人にかなり長い文章で質問をされて、最後に分かったのが、”君がする?それとも僕たち?”みたいだったので、多分セッティングだなと推測して、そちらで。とお願い。その後排水ホースをつなげたり、給水線パイプを蛇口につけたりしてくれたので、どうやら僕の推測は当たったようです。

全て終わって、設置も完了。配達の人もかえって、おじさんと二人で地下に残される形に。

もう帰っていくのかなと思ったら、突然のドイツ語の質問。だけどよく分からないんですよね、何を聞きたいのか。2回ぐらい聞き返して、”今何をしてるんだ?”みたいな感じの事を聞きたいのかなと思って、答えたけど、それに続く質問。“コンピュータか?”みたいなことを言われ、”コンピュータは得意ではないな、、、、。けど、働くって単語も聞けたしな、、、。”過去にどんな仕事をしていたのかをっ知りたいのかな?”って思って、”ロンドンでフォトグラファーをしてました。”って言ったら、納得したよう。”それで、ドイツでもそうしたいのか?”みたいな感じの質問だったので、首を縦に振ると。また納得した表情に。”今日はありがとう。”とおじさんに伝えると、”じゃ、またね。”と言って自分の地下の部屋にと入っていきました。

確かに、ちっと気難しく、問題点もあるおじさんの様ですが、ユリ君が言ったほどの感じじゃないのかなって思っているのが正直な感想です。

はー。けど、ひと段落。その後は緊張感が解けたのか、一気に力が抜けた気分でした。まだまだ、ドイツ語をマスターするには沢山の険しい道がありそうです。

 

 

僕のドイツ語練習法

寒い、寒い。今日の朝起きた温度は1度。冬が本格化してきたようです。今日は、木曜日なんでいつもならばアパートの掃き掃除、拭き掃除と、水回りのクリーニングの日なんですが昨日のうちに終わらせてしまったので、今日はする必要なし。けど、それには訳が。

実はブラックフライデーのセールの時にユリ君が結構な買い物をしたんですが、その中のひとつに洗濯機が。今日はこれが届く日なんですね。それで、予定では午前10時から午後2時の間の配達。洗濯機の置き場は建物の地下にあるので、そこまで配達の人を誘導して、古い洗濯機を持っていってもらうまでが今日の僕に課せられたタスク。そうなんです。ドイツ語での対応なんですね。一応、こんな風に言おうとは決めているのですが、上手くいくのかな。それについては明日にでもご報告できるかと。

さてさて、そんな僕のドイツ生活。少しづつ色々な事が日常化してきて、すべての事にオドオドとしなくなってきました。慣れって面白いものですね。道路を横切ることとか、スーパーでの買い物とか、宅配の人との対応とかが普通に出来るようになってきて、そんな自分を誇らしく思ったりもします。

さて、そんな僕の最近の僕のドイツ語は少しづつ上達をしてきています。昔ならば、ユリ君が見ているドイツ語の動画の音声が、まるでどこが終わりで始まりなのか、どちらかというと念仏のように取り留めなく聞こえてていたものが、一つ一つの単語として聞こえてくるなと言う気づきがありました。もちろん、その内容が何なのかはわからないんですけどね。

言語習得の時に、”一気に喋れるようになる。”と言う事は僕が思うにないように思います。少しづつでも毎日、その言語を使って、たくさんの失敗をしながら少しづつステップアップしていくときに伝えれないことに悔しくなったり、時に成長していく自分を褒めてあげながら前に進んでいくそんなプロセスです。だから、自分自身と見つめあう事も多いし、また習っている言語の国に住んでいるとどれだけ自分一人の力では生きていけないのか、赤の他人のちょっとした優しさが本当に身に染みてくるんですよね。だから、僕は新しい言語や新しい国に住むのが好きなんだなって思います。

そんな僕の気に入っているドイツ語の勉強法が、アニメをドイツ語で見ることなんですよね。アニメって大体において20分くらいだし、子供向けのものが多いのでストーリーが複雑でもないので頭が混乱することも少ないのでうってつけだなって。

そこで選んだのが、”タンタンの冒険”。ベルギーのエルジェによって描かれたもともとは漫画で、1929年に子供向け新聞に掲載されたのが始まりだとか。僕が見ているのは90年代に作られたもので、色合いとストーリーもシンプルだけど、スタイリッシュなんですよね。

それを20分間見て、ベッドルームに行くのが最近の僕の日課です。そう考えるとまるで寝る前の子供に本を読んでやるみたいな行為でもあるよな。もちろん、喋っていることのすべては解らないので絵を見たり、声のトーンでその人の感情を察したりと20分の間でも僕の頭は大忙し。それに、よく使われるフレーズもあるので、そういうのは耳に残ります。例えば今だと、”助けてー!!”ってとか、”キャプテン!!”とか、“行こう!!”とかですね。

愛犬もかわいいし、タンタンもどことなく自由に生きていて、僕と似てるなって思うからこの番組にも親近感が持てるのもいいのかもしれませんね。

日本にもたぶん、ネットフリックスってあるでしょ?僕はそこで見つけて、そこだと番組によっては音声を違った言葉に変えれるので他の言語を習っている人にもおすすめです。

自分の生活に本当に必要なもの

今日の朝は深い霧でおおわれています。朝焼けの時は少し視界も良かったのですが、午前10時半の今は15m先は白い世界に。先ほど買い物にでかけたのですが、水分を多くまとった空気のためか肌に厳しい寒さを感じました。

でかける前に窓を開けて温度をチェックしたので、薄着ではなかったのですが顔や耳は少しジンジンとしてしまうくらいに。12月をもう少し出迎えるので、これもしょうがないのかも。大事なのはそれに対する防寒でしょうか。幸運にもユリ君のお母さんのおさがりの真っ赤な冬用のジャケットを去年もらったので、上半身は寒くないんですけどね。おさがり、、、。そういえばドイツにきてかなりのおさがりをもらったなって。ユリ君からも履けなくなったジーンズだったり、ユリ君の両親からは布団とか、手袋だとか。

人って状況に応じて変わるものなんだなってしみじみお思います。

僕が高校生の時は”自分のブランド”のようなものがあって。この人は、アールニューボールド、あの子は、APCとかね。それで、なるべくブランドが被らないようにしていた、十代の日々。僕はポールスミス、GUESS, PPFMだったかな。バイトもしていたし、家にお金を落とす必要もなかったのであの頃は値段が高くても買えていたんですよね。今から思えば、”何もそんなにもお金使わなくても。”と思う事なんですが。けど、そのほとんどを今でも着れるので、値段の分物持ちはいいのかもしれませね。

もちろん、今でもファッショナブルでいたいなとも思うし、自分で洋服を買うこともあります。だけど、ブランドだから買うという事が無くなったように思います。自分に似合う物、長く着れそうなものを、自分の納得いく値段で買う。そんな買い物の仕方かな。

ドイツに引っ越してきたのが8月の終わり。ダンボール10個に必要だと思えるものを詰めてここに送りましたが、いまだに未開封のまま。それには理由が。ユリ君の仕事場までここから今は車で40分ほど。それをユリ君は変えたいらしく、会社の近くの町に引っ越しを考えていると言われたんですね。その時の雰囲気から言うと”いい物件があればすぐに!!”というもので、すぐに引っ越すになるのならこのままはこの中に入れておいたほうがいいかな、と放置してたわけです。

けどこのユリ君の言う、”いい物件”と言うのがかなりハードルが高いようで、”ここは暖房効率が悪すぎる。””ここは、家賃が高すぎる。””ここは中心地から離れすぎている。”とで一向に決まる気配なし。

それで気が付いたんですけど、結局は自分の生活に本当に必要なものと言うのはあんまりないのかなという事。だって、あの10箱は引っ越しの際に断捨離をしてこれはこれからの生活にいるであろうなと思って持ってきたけれど、それから3か月。この箱を開けずに生活をしている自分がいる。なんかそう思うと、人間、身一つでどうにかなるもんだなって。

けど、何が必要不可欠かなって思うと、本、音楽、映画。もちろん、衣類や食料品などの生活必需品はいりますが、、、。だけど今の時代、音楽と映画やドラマはネットがあればいつでも見られますしね。といいつつ、今は本も電子書籍か、、、。けどやっぱり、一つだけと言ったら本になるのかな。

想像の世界に行ける本はやっぱり、捨てられないですよね。何か辛いことがあっても、本を読めば少しの間でも違う世界に意識が飛んでいけるし。本の物語や主人公から人生を疑似体験して学べることも多いしね。

そんなことを考えながら今朝の買い物に行った僕でした。霧の日は周りが見えないぶん、自分の考えにフォーカスが強く当たるようです。

ちなみに今は朝に日本の面影を朗読し、夕飯を作るときには江國香織著、東京タワーを一章、夕飯の後のくつろぎの時間に村上春樹のエッセイを数ページ読んで過ごしています。少しづつ読む、味わって読むというのが最近の僕の読書のお気に入りです。

今回の旅の一枚を決めるなら

昨日の夜はまるで小学生の低学年のような就寝時間でした。午後8時45分。最近の子供は夜にベッドに行く時間が遅いのでしょうか?日本に帰った時に小学4年生の甥の学校の生活記録のようなものがあって、”夜10時までに就寝したら、マルを付ける。”ってあってビックリ。しかも、それをもあまり守られていない甥にもびっくりしたんですが、、、。ヨーロッパは基本的に子供は早く寝るようにしつけをされるので、この様に子供が遅くまで起きているのは信じられないんですよね。”悪い親。”のレッテルを貼られてしまうほどに。アジアは少し違うのかな?

そんな愚痴はともかく。なぜ、8時45分だったのか。実はユリ君がハンブルクで会議に出席をしなくてはならず、朝6時9分の電車に乗らないと10時の会議に間に合わない。そうなると、朝起きる時間は5時15分。それでもって、眠りの浅いユリ君はきっちりと8時間半以上は眠りたい。という事での8時45分だったわけです。僕も一人で起きていてもつまらないし、ユリ君の眠りを邪魔もしたくないので一緒に眠りました。

なので今日は朝の5時過ぎから1日を開始。朝のうちに色々な事を終えられてこれも時には良いのかっておもちゃいました。

さて、長らくの僕の日本帰省時の旅日記を読んでいただいて、ありがとうございました。今回の旅に関するブログ記事は今回が最後です。長々と申し訳ないのですが、あともうひとつだけお付き合いください。

旅の時ってどうしても荷物が邪魔になりますよね。ホテルで預かってもらったりとか、宅急便で送ったりとかしたりしても、それでも荷物になる。特に僕はカメラを持ち歩くのでそれだけで重くて。カメラもレンズも重くて、片手にずっしりと感じるほどなんですね。今、気になって量ったら2kgを少し超えてました。

写真を撮るタイミングって対象物にもよるのですが、”あ!今、この光!!”って思ってカバンからカメラを出して、セッティングを合わせてってしている間にベストンタイミングって消えていたりするもので。なので、基本的にどちらかの手に持ちながら歩いています。もちろん肩からのストラップもかけていますが、ぶら下がってるだけという事はほとんどないですね。これは保険みたいなものだから。

確かに重いし、急な坂と岩場は慎重にならなくてはいけないのだけれども、これも筋トレだなって思って自分言い聞かせてます。

今回の旅は一ヶ月ほどで、撮った写真は450枚ほど。という事は1日に15枚ですね。その中から自分の好きな写真だけを編集するので、それに残るのは100枚ぐらいでしょうか。ほとんどが最初は、”うん。なんとなくいいな。”っていう物でそこからどのようにこの写真を料理していこうかと考え、時にはものすごくいい雰囲気の写真になったり、またその逆にあまりぱっとしないときもあります。

例えばこの写真、最初はパッとしなかったんですが暗さを前面に押し出したら紅葉の色が一気に冴えたんですよね。モノトーンとカラーの混ざりあいなのも面白いなと思って気に入りました。

ただ中には、コンピューターにアップロードした時から、”うわ!!いいのが撮れた!!”っていうのがあるんですよね。けど、こんな感情に出会えるのは本当に何十回に一回ぐらいの割合で。だから、今回の旅でそんな一枚を手に入れることができて本当にうれしかったんです。

それがこの一枚。

殆ど加工せずにこの発色が出たことと、この浮世絵的な枝ぶりがいいなって。奥行きの在り方も好きだし、手前のピンク、中央の赤と黄、そして奥の薄いみどりが幹の苔むす黒さとコントラストをはしていて、僕は本当に好きな一枚です。

人によって好き嫌いがありますから、”え、そう?”って思われるかもしれないのですが、今回の僕のベストはこれだなって思います。

 

晩秋のくじゅう山

朝の9時前だというのにリビングに差し込んでくる光の量は少なく、薄暗い。こんな時に冬がもうまじかに迫っているんだなと感じられずにはいられません。今まで、部屋の明かりなんていらなかったのにね。自然光が好きな僕としては少しだけ残念。外の天候も風が強く、雨が横殴りに降っていて今日は穏やかに家の中で過ごしたほうがよさそうですね。

晩秋って言葉がありますよね。文字のごとく秋の晩、終わりという意味ですが、この言葉ってどうしてこうも哀愁を感じるんでしょうね。

そういえば高校生の頃にビデオ屋さんに晩秋って映画があったよなと思って調べてみたら、89年制作のアメリカ映画で、スピルバーグが監督をした作品。両親の介護をするために帰郷した仕事日筋の男と、その両親の物語だそうです。多分僕はこの映画見ていないと思うんですよね。けど、面白かったのが原題”DAD“(親父)。これは絶対に邦題のほうが雰囲気がありますよね。晩秋が人生の終わりを表したりをもするから、この晩秋と言う言葉にもの悲しさを感じてしまうのでしょうか。

確かにこの時期に山を彩る紅葉も、葉の最後の変身ですもんね。温度差があればあるほど色が変わる、その自然の美。

そんな紅葉を実は少しだけ今回の日本滞在で見ることができたんです。幸運にも。

10月の終わり、僕とユリ君は僕の故郷である阿蘇のいました。特に何をするわけでなく、散歩に行ったり、僕の子供のころのアルバムを見たりと、ゆったりとした時間を過ごしていたんですね。そんな時にトレッキング好きのユリ君のことを知っていた父が、”くじゅうに登らないか?”と誘ってくれました。もちろん、承諾。

くじゅう連山は阿蘇からも近く、隣の大分県にある山々です。九州本土ではここの中岳山頂が一番高く標高が1791m。天気も上々で、母に3人分のおにぎりを昼ごはんとして作ってもらって出発。

標高の高いくじゅうの山では10月の終わりにもかからわず木の葉が色づき始めていました。ただ、登山をするにしては半袖で問題ない気温でもありました。

最初はコンクリートの登りで、”これは嫌だね。”ってユリ君と話していたのですが、途中からコンクリートもなくなって土と岩の道に。標高が上がるにつれて景色も開けてきます。

ね、あちらこちらにオレンジや赤、黄色の色が。手前のもう葉がない低木とのコントラストも素敵ですよね。そして、登山道はだんだんと厳しさを増していきます。

 

そうそう。途中で僕たち3人ではなく、ひとり仲間が加わりました。フィンランドの女性。なんでも日本を3週間一人旅。この時は旅の終わりで、あと数日後にはフィンランドに戻るとの事。せっかくだからとその後下山するまで一緒に行動をする事に。登山をしてると挨拶をすることが多いので、時に物凄く仲良くなれたりしますよね。今回も、そんな例のひとつ。

真ん中にいるのは僕の父です。60歳過ぎとは思えない体力で、僕たちの一番前にたって歩いてくれました。後ろを見てもらえれば分かるように、この時は雲が多くなって来ていたんですよね。本当に山の天気とは変わりやすいものです。フィンランドのか彼女は軽装でしょ?登山をするつもりではなかったのだけど、天気も良かったし急に登りたくなったのだとか。カモシカのように跳ねるように岩の道を登っていきます。

雲が近くにあるとものすごく幻想的な景色になりますよね。幸運なことに雲がすべてを覆うことはなく、中岳に着いた時にはまだ景色がよくここで昼食をとることに。やっぱり、おにぎり。これが最高ですよね。僕の一番好きな具は梅干しです。

くじゅうは連山なので一つ登って終わりと言うわけではなく、隣の山、そしてまた隣と行くことができるんですよね。調べてみるとどうやら10個。そんなにもいけないので今回は2つだけに。それでもかなりの距離を歩きました。

まだ残り8。次回の日本への帰国の際にはユリ君の両親をも誘って再度挑戦しようかと思っています。トレッキングって本当に面白いですよね。

 

今あるもの、今ないもの。

皆さんは素敵な週末を送っていらっしゃいますか? ドイツ北西部は昨日は朝、起きたときから晴天に恵まれユリ君と、”これは走りに行かなきゃね。”と即決。空気は少し寒いのですが、走り始めると体もあったまってくるので問題なし。ただ、途中でユリ君は調子が悪かったので歩きに変え、僕は1人で長いコースを行くことに。冷たい空気が温まった体を通り抜ける感じとか、太陽が肌にあたる感じの良さが冬場のランニングの楽しみかと。雨の多いこの時期は地面が乾いていることが少ないので、途中泥だらけの道もありタイムを短縮するというよりは走ることを楽しむという事にフォーカスをもっていった方が面白いかと考えているところです。

さて、アメリカは今週は感謝祭の週末ですね。僕もアメリカにいたときは友達の家や、友達の両親の家に呼ばれてこのホリデーを楽しみました。ハロウィンよりも、クリスマスよりもアメリカで好きなホリデーは感謝祭でしたね。パンプキンやピカンのパイ。大きな七面鳥。11月の終わりという晩秋にあるのもいいですよね。冬が本格化する最後の秋の色どりがある季節にあるこの感謝祭は僕の中で特別な意味を持ちます。

そんな感謝祭の前後に賑わうのがブラックフライデー。もともとアメリカだけだったように思いますが、最近は感謝祭に関係のないヨーロッパでもこのセールは定着しています。それどころか、ブラックフライデーの後の月曜日はサイバーマンデーというセールもあるほど。

ネットでお買い物が好きなユリ君も今週の初めごろから良いものが、欲しいものが安くならないかチェックし続けていて、今の時点でかなりの買い物をしてしまったようです。コンピューターのソフトウェアや、携帯とか、洗濯機、ミニピザがテーブルの上で作れるオーブンセットだとか。(ピザセット以外は生活に必要なものだから、いいとは思うんですけどね。)

僕は家に飾る用の素敵なアートポスターを数枚30%オフで購入したのと、ユリ君のコンピュータの椅子の半分の金額を早めの誕生日のプレゼントして献上。それだけです。

けど、ネットが普及して本当に便利な時代になりましたよね。お店に行かなくても商品を頼めるし、世界中の人と繋がることも簡単になったし。

けど、その便利性の中で僕たちは何かを失ってしまったのでしょうか?どうなんでしょうね。なくしたものの中に、”あー。何て素晴らしいものをなくしてしまったんだ。”って時間がかなり経って気づくものもありますよね。僕たちが得た利便性の裏で、何が今消えていこうとしていくのかを考えてみると面白いかもしれませんね。

前に書いたブログで最近読んでいる本のことについて少しだけ触れた事、覚えていますか?日本では小泉八雲の名前で知られるラフかディオ・ハーンが1890年代に日本に初めて訪れた時のことを綴った”新編 日本の面影”です。この本を毎日少しづつ朗読してるんですね。

映画や音楽を観たり、聞いたりして涙が出てくることってあるでしょ?何かが自分の琴線に触れて、なぜだかわからないけど涙を流してしまうことが。今までもこの本の文章は綺麗だなって思っていてだからこそ、音読をしていたのですが。昨日読んだところは、いつの間にか目に涙が溜まってしまって、読んでいる自分がびっくりしたほど。そんな感動を少しだけ皆さんにおすそ分けしようかと思います。

これは2章目の”盆踊り”というタイトルのもので出雲を目指して太平洋側から日本海側に4日間かけて人力車で中国山地を越えるときに立ち寄った村でのお話。訳をなさっている池田雅之さんの美しい訳も素直に頭の中に情景が浮かんでくる素晴らしさ。ちょっとだけ、その美しさをここに書かせてもらいます。

これはハーン氏が伯耆の国、上市のある宿に泊まった時の下りです。

”そのこぢんまりした宿は、外から見ると、風雨にさらされて古びたような感があったが、中は快適であった。(中略)この村落は、美術の中心地から遠く離れているというのに、この宿の中には、日本人の造形に対するすぐれた美的感覚を表していないものは、何ひとつとしてない。花の金蒔絵が施された時代ものの目を見張るような菓子器。飛び跳ねるエビが、一匹小さく金であしらわれた透かしの陶器の盃。巻き上がった蓮の葉の形をした、青銅製の茶托。さらに、竜と雲の模様が施された鉄瓶や、取っ手に仏陀の獅子の頭がついた真鍮の火鉢までもが、私の目を楽しませてくれ、空想をも刺激してくれるのである。(中略)これまで立ち寄った小さな田舎の村々と変わらず、この村の人たちも、私にじつに親切にしてくれた。これほどの親切や好意は想像もできないし、言葉にもできないほどである。それは、ほかの国ではまず味わえないだろうし、日本国内でも、奥地でしか味わえないものである。彼らの素朴な礼儀正しさは、けっしてわざとらしいものではない。彼らの善意は、まったく意識したものではない。そのどちらも、心から素直にあふれ出てきたものなのである。(中略)宿の老主人は、私を風呂場に案内すると、まるで私が子供だといわんばかりに、私の背中を流しましょうと言ってきかない。女将さんの方は、ご飯に卵、野菜にデザートといったご馳走を用意してくれた。そして、私が満足できたかどうかを気の毒なほどに気遣うのである。私は夕飯を二人前はゆうに平らげたというのに、女将さんは、たいしたおもてなしができなくて申し訳ありません、と何度も何度も詫びるのであった。”

日本人の昔からのおもてなしの心や、美意識がよく伝わってきますよね。また、彼が日本人ではないからこそ気が付くことも多い。そんな古き良き日本がこの本にはぎゅっと詰まっています。もしかしたら100年前も昔に僕たちがなくしてしまった何かが、文字として残っているかもしれませんね。

 

 

 

ただいま、故郷 阿蘇

最近はドイツ語の勉強に毎日力を入れているんです。実は地域学校に申し込みをした時に、”では次回はクラス分けのテストをするから、そのときね。”と言われているからなんですね。クラスは6つのレベルに分かれていて、全くの初心者な僕は多分一番下かその一つ上。人によって授業料が無料か有料かがあって、僕は無料の対象には入らないので、ユリ君曰く少しはドイツ語理解できてるんだから少し上のクラスに入れるように頑張りなと言われて目下勉強中。言語を学ぶことは好きなので、苦ではないのいいことです。

ただ、言語って毎日、練習したり使ったりしていないといつの間にか消えてしまうものでもあるんですよね。ミニも昔は日本語を結構理解して、喋ってもいたんですが最近はどうも難しくなってきたみたい。大人になって覚えるほうが習得するのに時間はかかりますが、忘れていくのもゆっくりなのは得かなって。逆に子供は物凄い速さで言語を習得しますが、忘れるのもものすごく速いんですよね。

アメリカにいたときに普段は日本人の母親と喋る時以外は英語の4歳児の子供がいて、その子が家庭の理由で日本に三か月滞在することになったんですよね。日本滞在の間はもちろん、日本語だらけ。最初は戸惑ったようですが、底は適応能力の早い子供。すんなりと日本語をしゃべるようになったんだとか。そしてアメリカに帰って、アメリカ人の父親と再会。ただ、英語で話す父親の英語が最初は理解を出来なかったようなきょとん顔だったらしんです。もちろん、その後英語の環境に戻って喋れるようにはなったんですけど。

僕も日本に1ヶ月滞在していて、その間にドイツ語の勉強を怠ったのでまた最初から頑張ってやり直しています。基礎力が言語習得では大切ですからね。

そんな1ヶ月の滞在のほとんどは僕の故郷の阿蘇で過ごしました。阿蘇に帰ってくるのは2年半ぶり。その間に洪水があったり、阿蘇山が噴火したり、地震があったりと厄年のような阿蘇。いろいろなところに自然災害の爪痕がまだ残っていました。

それでも、自分の地元はいいものですよね。

僕は車の免許を持っていないので、阿蘇での移動手段は徒歩か、自転車。だけど、田舎の町で歩いている人なんて本当に少ないんですね。

阿蘇も色々な商業施設や、建物が建って僕が昔過ごした町の雰囲気は薄れてしまっていて何となく物悲しくなってしまいました。小学校に行ってみたら、もう使われていなくて雑草が山のように生えている中に廃墟のように建っていて。子供がいない学校と言うのはこんなにも悲しいものなのかと感じました。寄り道ぎみの通学路を歩くとすべてが小さくなっててびっくり。もちろん、道路が、家の塀が、ゲートボール場が小さくなったのではなくて、僕が大きく成長しすぎてしまっただけなんですけれどね。

自分の家の周辺を色々と歩いたのですが、何かが違う。僕の子供の頃の思い出の阿蘇とは違う所のように感じる、、、。人の心の中で思い出って美化されてしまいますしね。時代とともに人も物も、空気も変わってしまうのかなとおもって、自転車に乗って山のふもとへ。

そこで、突然に出会ってしまったんです。僕が子供のころを思い出させてくれる空気と、風景が。

昔ながらの横長の平屋の家、家の近くにある小さな畑。コンクリートではない石を積んだ川べり、農作業の人々がその日の取れた野菜を自宅用に泥つきのまま家に持って帰るその姿。どこかで燃えているであろう焚火の匂い。

しかも、道路で子供たちがサッカーをして遊んでいたんです。ゲームに夢中で外で遊ばなくなった21世紀の子供たちとは無縁のように、楽しそうにボールをけっていて。そのうちの一人の子が挨拶をしてきて、”ここだと車は来ないのかな?”と聞くと、”来るときもあるけど、その時は一時中断すればいいから。”との返答が。確かに、僕もそうやって遊んでいたなって。車どおりの少ない道が昔は遊び場だったなって。

景色が、そして空気が忘れ去った自分の思い出をこんなに喚起してくれるとは。あまりにもの懐かしさに目がしらが少しだけ熱くなったほど。

いつまでも、いつまでもこの景色が変わらずにいてくれたならと思わず願わずにはいられませんでした。

僕の知っている阿蘇がまだここにはあって、それにこうして出会えたことは本当に幸せな事でした。

 

旅の楽しみのひとつ、宿

今日は朝から忙しく動いていました。いつも通り6時15分に起きてユリ君と朝ごはんを食べて、7時前に仕事に出かけるユリ君を見送った後は床の掃き掃除と、拭き掃除。

日本って大掃除と言ったら大みそかの日でしょ?ヨーロッパは日にちは決まっていないのですが、春の訪れの時に大掃除をします。新しい年を迎える時のほうがきれいな環境でいいじゃんって異本育ちの僕は思っていたのですが、最近は確かに春にしたくなるのわかるかもとも思うんです。

いつもブウログで書いている通り、冬のドイツやイギリスは暗い、暗い。朝焼けが今は8時過ぎで太陽が昇ったのかなと思えるのが9時過ぎ、この太陽も夕方の4時過ぎにはいなくなるので。そしてその間も薄暗い曇りの空。それに、ドイツやイギリスって間接照明のほうが多いんですよね。なので、ほこりや汚れが目立たないという事が多くて。時に晴れた日があったりすると、”うわ!!いつの間にこんなに汚くなっていたんだろ!!”って驚かされてしまいます。

だから、日差しが長く晴れた日が続く春のはじめになると冬の間に見えなかったほこりや塵が突然に目につき始めて、大掃除へと至るわけなんですね。おもしろい。

その国の文化、季節の移ろい方、気候によって考え方も、価値観も習慣も変わってくるというのは興味深い事です。

その1つに家などの建築も上げられますよね。今回は建築や、それを彩るもののお話。

島根県の出雲大社を訪れたときに宿泊したのが、明治10年に出雲大社を参拝する人のために始まった竹野屋。ここ、竹内まりあさんの実家としても知られる旅館ですよね。本館のこの木造建築は昭和4年に建てられたのだとか。僕の祖母とほとんど同い年なんですね。

この雰囲気が素敵だと思いませんか?まるで千と千尋の神隠しの世界を彷彿させるなと思ったのが第一印象。日本の旅館にユリ君を泊まらせたい、せっかくなら素敵なところにしたいと少しお値段は張りましたが、ここに泊まることに。ちなみにこの写真に写っている男性、個々の従業員さんで働いて数週間目でしかも昔ドイツに住んでいて、ドイツ語を喋れり人だったんです。礼儀正しくて、好青年でした。

僕たちの泊まった部屋はシンプルな和室。ここにはトイレとユニットバスもあります。けどね、旅館にきたので大浴場でお風呂に入りたいじゃないですか。そんなにも大きくはないのですが、3回(夕飯前、寝る前、朝)大体において一人貸し切り状態でした。この部屋は新館で一番値段の安いお部屋です。それでも、十分。夕飯と朝ごはんもついてきますしね。

昔ながらの旅館は細微にも色々と手が込んでいるのが魅力じゃないですか?欄間とか、障子の模様だとか。特にエントランスの部分は物凄く美しくて、15分ぐらい見物してました。

こんなお花とか書だとかがダウンライトで照らされているのっていいですよね。ここが特別な空間になる気がして。

確かに安くはないけれど、これだけのおもてなしと、おいしい食事に、旅館自体が持つ雰囲気を考えれば高くないなと思います。この旅館の中を流れている空気が外とは違った穏やかなもので、その異次元的な体験をするだけでもその値段を払う価値があるかと思いますよ。

さて、次のお宿は熊野古道で泊まった古民家。

ね。こちらも趣深いでしょ。オーナーが自分の手で改装したこの古民家は手作りの温かさが存分に感じられます。しかもね。細部にもこだわっていらっしゃるんですよ。

玄関のたたきには黒い玉砂利が引いてあります。こんな小さなな事が嬉しいんですよね。

寝室。ただの畳の間とも見えますが、照明器具が明治大正を思わせるデザインだったり、左側の仕切りや右側のベッドサイドランプが凝っていると思いませんか?

あと、少し前まではあった障子の擦りガラスの紋様・懐かしさもありますが、これって素敵なデザインと思いませんか?だってモミジがその向こう側にある色で黄色になったり、赤になったり、緑になったりと季節を感じさせてくれるようになっているのだから。

日本建築の美をも堪能できた今回の日本帰省でした。