変化する

最近は秋の夜長にふさわしい空が見えるイギリスです。寒さも少し和らいで、冬という感じではなくなってホッと一安心。

僕の机は窓の隣にあるのですがその窓から見える月が最近は素敵です。少し銀のかかった金色の眩しい光を放ち、冷たく光っている月は秋の夜長にピッタリだなって、見るたびにほんの小さなため息が出てしまうほど。

静かな夜の生活というのもいいですよね。

さて職場には今、日本人の子が数人いるのですが最近は20代前半の子が2人入って平均年齢がグーっと下がったんですよね。僕以外はゆとり世代という感じで、働いていておもしろいです。

特に面白いなっていうのが使う言葉。

僕は2006年に日本からイギリスに来て10年。その前にも2年半アメリカにいたので、日本で最近使われている言葉とかがわからないんですよね。

僕が住んでいた時は、”ちょー楽しい。”など、超をつけるのが流行っていたのですが、今はどうなんでしょうね。

ある日ラインのメッセージに、”とりま”というのが来て、”とりま?犬の美容師さん?”かと思ったのですが、これは”とりあえずまあ、”だそう。あと、最近ユーチューブで見ていてもよく聞くなって思うのが、”それ、あるあるだよね。”って言葉。あるあるが名詞になるんだって思うと新鮮。

じゃ、”あるある”って思う時にどういう風に言うんですかと問われたので、”それ、よくあるよね。”って答えたら、”そのままなんですねー。”との返答が。

そしてフェイスブックの友達がシェアしている記事に、”初当選の新潟知事の経歴がチートすぎて、やばい”との見出し。

英語でチートだと、カンニング、ズル、浮気みたいな意味合いなので、”あれれ、嘘でも学歴に書いたのかな?”って見てみると、灘高卒業、東大を大学院まで出て、医師免許を取り、その後アメリカでも有名な大学に。何も詐称しているような記事はなく、、、、。

じゃ、なぜチート?と思いネットで調べてみると、最近はネット用語で凄さの表現、最強感を表す褒め言葉なのだそう。

言葉ってやっぱり生きているんだなって、こういう時に感じます。これから10年後にまったく違った言葉があるんでしょうね。

週の始まり

週末というのはどうしてこんなにも早く進んで、気がつくと終わっているんでしょうね?

僕の起床は朝の6時半。夏場は窓から太陽光が明るく入ってきていたのですが、緯度の高いイギリス、今は暗闇の中です。東の空を見たら辛うじて朝のはじまりの黄色い色が見えるのですが、、、。あと2ヶ月はこの暗さが濃さを増すのでね。その覚悟が必要だなと。

今週も僕は相変わらずの週5連勤。パワーをうまく配分しながら行かないとなと思っているところです。

毎日仕事だと、”あー。仕事頑張った。”で終わってしまって他のことがおろそかになってしまうのが問題なんですよね。写真のビジネスの事とか、朝の電車でやったドイツ語の復習とかが、”疲れた”を言い訳にしてちゃんとしていないという感じだから。そんな自分に反省。

今週は少しでもいいから、今しておかなきゃいけないことを進めるようにしたいと思います。

みなさんの週末はいかがでしたか?今週もまた始まりましたが、お互いに頑張りましょうね。

愛おしいという気持ち

土曜日が到来。ちょっと遅くまで眠り込んで朝ごはん。午前の時間をゆっくりと使えるのは休みの日のいいところですよね。

一人の時間で、自分のリズムを刻める朝の始まり。

それからお昼過ぎにミニの住む町に。数ヶ月前にミニちゃんと、相方のマーロン君は新しい家に引っ越しをしたんですよね。その家、前のに比べてたらもっと大きな庭があるんです。ただ、問題が。庭がジャングル化しているということ。どうやら前の持ち主があまり庭仕事興味がある人ではなかったらしく、植物が伸び放題に。

来年の夏には素敵な庭を作りたいので、秋のうちに庭にはびこる雑草を撤去しようと思ってのこの日。

実は先週も同じことをしたのですが、根っこが蔓延るツタ類や、ブラックベリー(棘が多いんですよ、これ)が好き放題に縦横無尽に庭の土の中に走っているので先週だけでは終われず、、、。昨日の土曜日も引き続きの作業に。

庭仕事は僕、大好きなので苦ではないんですよね。体を外で動かすのって楽しいですしね。

ミニの新しい家、本当に居心地が良くて、昨日も帰宅は午後11時。庭作業を終えたのが午後の4時半で、そこからシャワーを浴びて、夕飯をとってその後はミニ、マーロン、僕の3人でたわいもない話をしながら過ごしました。

ブログを読んでくっる人の中には、”元彼と良くうまくいっているね。”って聞かれることがあるんですけど。本当にうまくいっているんですよね。

知らない人のために、少しだけ今までの経緯を。

ミニと僕はもともとは6年ほど一緒で、或る日突然にミニから別れを告げられたのが4年半ぐらい前かな?それから別に暮らすようになるまでに1年。それからは家族のような関係で、マーロン君はミニの新しい彼氏なんですよね。

”嫉妬とかないの?’って聞かれるけど、本当にそんな感情はないんですよね。それとは逆に(特に最近)”よかった。”て思う気持ちの方が大きいんです。ミニがマーロンという素敵な相方を見つけて、二人で新しい生活を楽しそうに暮らしているその状況が見れて、よかったなって。ミニから別れを告げられて、僕が考えたことが、”果たして別れたい人を無理に引き止めて、それでミニを僕は幸せにできるかな?”ってことだったんです。逃げていくものを追っても、いつかは逃げてしまうのではないか?じゃ、今、彼が幸せになれると思っている最善の選択をさせてあげるべきだなって。

それからミニは、マーロンという素敵な(僕が思うに、マーロンというパートナーのほうがミニにはいいなって思うんですよね。僕といた時とは違うミニの勇ましい姿がよく最近は見れて。)パートナーを見つけ自分の幸せにちゃんと忠実に生きていることが、僕にとっては幸せなんです。

”あの時、僕の感情だけを優先してミニを引き止めなくてよかった。”って。

天気が良ければ来週も庭仕事を手伝いに。また、あの二人の生活に少しだけお邪魔ができると思うと今から楽しみでなりません。

ミニとマーロンは僕にとっては家族の一部で、本当に愛おしいと思える存在なんです。

現実味を帯びてきた未来

金曜日。家に帰り着いたて、ご飯を食べてソファーに横になって、、、。

そこで記憶はなく、気がついたら午前1時。疲れと満腹感から眠ってしまったようで。そこからまだ半分眠った頭で起き上がってベッドへ。今朝は8時半までぐっすりと眠って土曜日の朝を迎えています。

素敵な週末がやってきましたよー。特に何をするわけでもないことが、幸せで。(と言いつつも、今日はミニの家の庭の草抜きをするのですが。先週もしたんですが終わらず、今週もすることに。)

最近、新しい子が職場に入ってきて、何でも1995年生まれの21歳らしいんです。21歳ってことにはさほど驚かないんですが、生まれた年を聞くとビックリしますよね。僕が81年だから14歳も違うんだなって。TRFとか知らないんだろうなー、ビックリマンの存在は知ってるのかな?なんて考えてしまいます。

やっぱり、ゲイであると結婚して自分の子供を持つということが物理的には無理なのであんまり自分が年齢を重ねているという実感がないんですよね。僕も気分は20代後半くらいで、時に自分が30代も半ばなんだということに驚かされます。

例えば、ドイツの保険についてユリ君と話していた時に、”Takは35歳だからプライベートの保険でも高くなるから、国の保険に入ったがいいよ。”みたいなことを言われ、自分が社会的には、”健康優良児的年代”ではないんだなって意識させられるという、、、、。

 

先日みた映画が、それに近いというか、”こんなことも近い将来起こるのかもしれないな。”なんて思って見てたらかなり泣けてきて。涙ながらに見たその映画が、ドリューバリモアとトニーコレットが出ている”Miss You Already”

ミリーとジェスの女二人の友情の物語。二人の友情はジェスがアメリカからイギリスの学校へと転校する時から始まります。お互いを必要として、育っていきミリーは妊娠をきっかけに結婚。子供2人の母親になり、仕事もチャキチャキとこなす女性に。ジェスは長年付き合っているヤーゴが。ジェスは二人の間に子供が欲しいと願っているのですが、妊娠できずにいる状態。お互いの生活環境は違えども、二人の友情は変わらず。

そんなある日、ミリーは乳癌であることがわかります。キモセラピー、乳房の摘出手術など様々な治療を試すミリー。胸がなくなったり、嘔吐を繰り返したり、髪の毛が抜けたり、そんな苦しい日々の中にでもいつでも隣にはジェスが。ただ、そんな時にジェスが妊娠。”自分の幸せを、今を苦しんでいるミリーに伝えるべきなのか、、、、。”このことが後に大きな問題に。

こんな風に書いていると美しい友情と、感動的な闘病生活みたいな感じですけど、かなりぶっ飛んでいる感じもあるんですよ。胸をなくしたミリーが、”自分本名としての魅力がなくなってしまったのではないか、、、。”との不安から、一夜だけの関係を持ってみたり、夫の企画したサプライズパーティーで来ている人に喧嘩を売ったり。だけど、そんなミリーの自分に素直な行動が心に響いてくるんですよね。”もしも自分がミリーだったり、またはジェスの立場だったら自分は一体どうするのだろう、、、”と考えさせられます。

ユリ君は僕のパートナーだから、ミリーとジェスの関係ではないから。そしたらミニだなって。そう思いながら見てたら、もうね切なくて。泣きましたよ。やっぱり、こんな風に自分の人生に置き換えて映画やドラマを見て感情移入してしまうのは年を取ってしまった証拠なんでしょうね。

残念ながら日本での公開は、、、、と思っていたら、来月から日本で、”マイ ベスト フレンド”というタイトルで上映されるそうですよね。もし、よければ足を運んでくださいね。

お疲れ様の体

今イギリスは木曜日の夜。あと1時間もすれば金曜日です。

そう、金曜日!!なんて素敵な響きなんでしょうね。特にこの数週間は週5日で働いているので、この金曜の素晴らしさをかなり痛感してます。なんなのか、金曜日の空気は違いますよね。心踊る感じがするのは僕だけではないはず。全部の会社がそうではないのですが、金曜のランチは会社のチームで食べて、飲んで(もちろんアルコール)ちょっと仕事に戻って終わりってところもあるようですよ。これ、時々とかじゃなくて毎週だったりとか。

金曜日に特に予定があるわけでもないのですが、帰ってきてふと、”これから2日間は仕事が休みで、自分の好きなように時間を使えるんだ。”って思える幸福感がいいんですよね。

だけどここ最近は体がお疲れさんのよう。

昨日は半日の仕事で、気が抜けたのか家に帰ってベッドにちょっと横になった直後に深い睡魔に襲われて2時間ほど昼寝。今日も、いつでも眠気が付きまとって困った感。

こんな時に思うのが、(贅沢なんですが)僕は週5日間働くような性格じゃないんだなって。1日長時間を数日間働いて、休むのが性に合っているようです。また、それができる環境に自分があるというのは本当に幸せだなって思います。

今も半分は意識が眠っていてこの文章を書いているところで、また不意の睡魔の誘惑に負けそうなところを必死に起きている感じです。

けど、数日前に鏡でシャーワー前に自分の全身姿を見たら筋トレしてないのに綺麗に締まっていてびっくり。やっぱり、毎日10時間の立ち仕事、何十回と階段の上り下りをしてると体も出来上がってくるものなんですね。これは棚からぼた餅。

けど、体に無理せず時にはストップ信号を出すことも大事ですよね。

60年前のミラノと現在のロンドンで

接客業に携わっているとお客さんとのちょっとした会話をすることが多いのですが、最近の会話の始まりは、”最近、寒さが堪えるよね。”というもの。朝の冷え込みが厳しくて、ゴジラのように白い息を出しながら冷たい朝の道を少しだけ早足で出勤する人々。イギリスは秋が終わって冬の匂いがします。

ヨーロッパでは夏の名残とともに、短い秋が来て突然に冬に気がついたら足を踏み込んでいるということが多い気がします。日本だと10月食欲の秋だとか、読書の秋だとか、秋を楽しむということが多いですよね。イギリスはあまり秋に重きを置いていないと思うのは僕だけなのでしょうか。

今年で10回目の秋をイギリスで迎えている僕は、最近はドイツに行くことも多くヨーロッパ大陸の生活の価値観や考え方に触れ、イギリスとのドイツの島国的考え方と、大陸的考え方の違いを経験を通して学んでいる状態です。ヨーロッパって一括りにされるけど、結構な違いがあるんですよ。だって、日本も中国や韓国など他のアジアの国とは違った文化的価値観や習慣があるのと同じように。

よく考えてみると今まで住んだ国って島国的考えの国ばっかりなんですよね。まずは生まれ育った日本。そして、アメリカ合衆国。”アメリカは大陸だよ。”って言われそうですが、一つの大きな国が大陸の右と左を横断していて、陸続き国境もカナダとメキシコだけ。だから僕が思うに島的な考え方が強いように思うんです。そして、イギリス。地理的な場所や、文化などは違うにしろ精神的真髄において似たような国に住んでいるなって感じているのが今の正直な感想。

そこにドイツというヨーロッパでナンバー1の経済大国、ユリ君の家族やドイツ人の友達と過ごす事で感じる、今までの自分の経験では感じることが出来なかった考え方や価値観、習慣を見ることが出来て本当に面白いなって思います。

そんな経験を60年前のミラノでしたのだろうなって思うのが、随筆家の須賀敦子さん。

50年代終わりにまずは、パリへと留学。ただ、この時はうまく馴染めずに数年後イタリアへと彼女は飛び、そこで素敵な仲間に囲まれ、やがて結婚、日本文学をイタリア語へと訳してイタリアにおける日本文学の普及に一役を買った人物です。ご主人が突然の病で亡くなり、その後は日本へ舞台を移し、50代からエッセイなどを書き、人々を魅了しました。

最初のパリで帰ってしまった須賀さん、もしかしたら大陸的な考え方にカウンターパンチを食らったのかもしれないなって、今一人で考えてるんですよね。もちろんこれは僕の妄想にしか過ぎないんですけど。戦後の傷もまだ残り、そして高度経済成長期のは始まりでもあったこの時に日本人が珍しい存在であったであろうヨーロッパ。その中で生き抜いていくのは余程の根性が必要だったのでしょう。

パリでその価値観や習慣に戸惑ったであろうその彼女は、次のヨーロッパ行きであったイタリアは完全武装で臨んだのでしょうね。そして、その他国で自分の居場所を見つけた。

そんな彼女のイタリアでの生活を綴ったエッセイ集を読んだんです。しかも、クロアチの海岸線や、ドイツの電車のなかで。1950年代と2010年代という時代のギャップはあるにせよ、同じ大陸に存在しているという偶然。そしてのその共感性。

素敵なエッセイ集です。一度読んでみてはいかがですか。

 

最初の方は少しとっつきにくい感じの文章なんですけど、途中から素直に文章が放ってくるようになるので少し合わないなって思っても読み進めることをお勧めします。

 

ゆっくりとした時間

前まで週3日で働いていたのですが、働いているお店が人手不足のために週5で働いているので毎日が目まぐるしい感じ。週5日なんて一般的に言ったら当たり前なんですが、いつのも生活パターンと違うとそれに慣れるまでに時間がかかりますよね。

だいたい働く時は朝6時半に起きて、7時半に家を出て、車内で新聞に目を通してイギリスで何が起きているのかをさっとチェックして、それからドイツ語の勉強。駅から25分ほど歩いて仕事場へ。9時から働いて、終わるのが19時。そして家に帰り着くのが20時。よく考えると家にいる時間がほとんどない状態。

だから、家に帰ってきて最初にするのは、洋服を脱ぐこと。だいたいタンクトップとパンツのスタイルに。1日中来ている服が体にまとわりつくような感触が嫌いなんですよね。早く脱がなきゃって思ってしまうのは何故なんでしょうね。

それからするのがお湯を沸かしてお茶を入れること。お茶はその日の気分で変わるので、結構たくさんの種類のお茶を持っているんですよね。今日は黒豆茶。豆のほのかに甘い匂いと、香ばしい味が体にしみます。

あとは、シャワーを浴びている時に足の指からふくらはぎ、腿、手の指から腕、二の腕、そして首まわりを指で強めにマッサージをすることも多いですね。こうすると血流が良くなって体が少し軽くなる気がします。

忙しい時こそ、自分の時間。これを持つことって大事だなんって思います。

自分の撮った写真を眺めたりするのも好きですね。

今年は厄年なのか、、、

金曜日の仕事が終わって帰り着いたら、もう疲れが身体中を駆け回っている状態。こんな時は暖かなお風呂が一番。バスタブに身体を思いっきり伸ばして、お湯の熱で温まる僕の体。疲れが身体を抜けていく感じがして、本当に”幸福感”を感じる時ですよね。

それからゆったりとした自分のための時間を過ごしてベッドに入ったのが午前零時。寝る前にフェイスブックでも見て寝ようかと、友達のアップデートを見ていたら、地元の友達の書き込みでちょっと心臓が止まりそうに。

阿蘇山が爆発。噴煙は1万メートル以上で、大きな噴石もあり。

いてもたっても入れずに、妹に電話。どうやら思ったよりもひどくはなく、降灰が激しいぐらいとのこと。両親にも電話をして、無事を確認したとの事で一安心。

次の日の母に電話をしたら、突然夕方から停電になってしまっていて4時間経った今も継続中との返事。(この停電は午前0時頃に回復したとのこと。)

ここ数年、阿蘇は厄年のようです。

地震の数年前には土砂災害が至る所で起きて、阿蘇谷の多くの地域が水浸しになり、今年の春は大地震。そして、今回の火山の爆発。どうしたんでしょうね、、、。

海外に住んでいると情報が入らないので不便だと、地震があった時にブログに書いたのですが、ブログを読んでくださる方や友達がすぐに現状の報告をメールでくれて、本当にありがたかったです。この場を借りて、感謝の気持ちを。

まだ、火山活動が弱まっておらず不安の日々ですが、何事もなく火山活動が落ちつてくれたならと願ってやみません。

旅のあとで

イギリスは秋を通り越して冬へと突入してしまったかのような朝の冷え込み。10度を切ってしまうかの温度で、身が引き締まる寒さの中を歩くのには勇気がいるほど。この寒いまま、暗い冬へと突き進んでくのでしょうか?

さて、今回がクロアチアの旅のブログの最後です。みなさんにクロアチアのよさが伝わっていたら幸いです。

この写真、他c位の途中で撮ったものなのですが、ジブリの”魔女の宅急便”の中でキキが言う、”海に浮かぶ街”みたいだと思いません?

僕たちの旅はスプリットからまた、ザダルへと戻りそこから車で1時間ほどある渓谷の川をカヤックで下るというアドベンチャーを迎えて、終わりました。この時はカメラが心配だったので持参しなかったんので、残念ながら写真はないんです、、、。

二人乗りのカヤック。後ろに乗る人が先導役で、前の人が力いっぱいに漕ぐ。もちろん、先導役はユリ君。僕も少し試したのですが、川岸の茂みの中に突っ込んだのですぐに諦めました。

ライフジャケットをつけているので途中で川の中に飛び込んで泳いでも浮いていられるし、川の穏やかな流れに時に流されたり、小さな滝を下ったりとカヤッキングの面白さを存分に知ることができました。5時間ほどの川下り、途中で激しい夕立にもあって、雷が鳴る中の川下りもそれはそれで面白いものでしたよ。

この旅で、クロアチアの自然の美しさに触れたことはもちろん。けど、それ以上にユリ君と僕の中が深くなったなって思います。車の運転中にちいさな言い合いをしたり、お互いのことを時に疎ましく思ったり、拗ねてみたり。今までの恋愛ごっこ的なものが少しづついろいろな経験をして、愛情へと変わっていく。そんなかて位に僕たちは立って、そして進んでいるのだなと感じさせてくれた今回の旅でした。

旅の中で写真を撮るのは99パーセント僕なのですが、時にユリ君が僕のカメラを取り上げて僕の写真を撮ることがあるんですよね。その中の一枚がこれ。

 

この写真を見て無邪気に笑い顔の自分の表情があまりに無防備でそして、幸せそうなのを見て嬉しくなりました。そっか、こんな顔をユリ君の前で僕はしているんだなって。これからも、こんな笑顔をユリ君に見せていけたらなって思います。

 

ユリ君、素敵な旅をありがとう。そして、これからもよろしくね。

自然美の国、クロアチア 6

国立公園からまた南に移動して、アドレア海の海岸線にあるとし、スプリットへ。ここはローマの古代都市がそのまま今の都市とブレンドされていることで有名なところ。ローマ皇帝の宮殿跡があり、世界遺産にも登録されています。だから、人も多いんですよね。

そんなにも大きな街でもないし、観光客でものすごく混んでそうだね。との理由から昼間は避けて、港からフェリーで。スプリットからは色々な島へとフェリーが出ているんです。ヨーロッパで一番美しいビーチがあるブラチ島でもなく、ワイン用のぶどう畑で有名なヴィス島でもなく。選んだのは、ソルタ島。フェリーで1時間ほどで行ける、この島。何冊かの観光ガイドブックを読んでも、あまり詳しことが書いていなそんな島。

では、なぜそんな島にしたのかといえば、、、、。

人間が少なそう。ただ、それだけ。他に何の理由もなく、島に到着。

島の中心地が急な坂を登負ったところという情報を持っていたのでまずは登ることに。登ると言っても車道の横を歩くだけなんですけどね。けどね、この島、まるで時間が流れていないかのような風情があるんです。車も今の世の中では消えてしまったような車が当たり前に走っているんですよ。

上の写真は登って来た坂道で、港のフェリーが着いた時にこのおじさん、後ろのカートに荷物を積んで配達をしてました。多分その帰り道。下の赤いトラックなんて最近あんまり見ないですよね。こんな車がこの島にはたくさん。

島の中心地に来たけど、特に何もなく。じゃ、どうしよう、、、、。どうやら小さな集落があって、そこに海(運よくばビーチがある)にたどり着く道があるらしいとユリ君が携帯でチェック。さすが現代っ子。

それから誰も歩いていない田舎道を歩くこと2時間。ようやく小さな集落へ到着。そこの海の色がまるでエメラルドを溶かしたような色なんです。けど、人が3−4人くらいいて日光浴。

他にないかと集落を後に海岸沿いを5分ほど歩く、目の前が開けて、この景色が。

 

人が誰もいない、まるでプライベートビーチのような浜辺。2時間歩いた甲斐がありました。もちろん、水着に着替えて泳ぎましたよ。ここに滞在したのが2時間半ほどだったのですが犬の散歩のおばちゃんが終わりの方できただけで誰かと一緒に泳ぐこともなく、ユリ君と二人で気長に泳いで遊んでいました。

ね、水着。今回はユリ君曰く、”ゲイすぎるよね。”ってな水着です。みなさんお待たせしました。

”さて、頑張って2時間歩いて帰るか。”と集落を後にして、次の集落にたどり着いた時、一台の車が僕たちの傍に泊まりました。真っ黒に焼けたクロアチア人のおじいさんが、”今からどこに行くんだ?”と聞いてきたので、”フェリーです。”と答えると、”今から息子を迎えに行くから乗りなさい。”との嬉しいオファーが。言葉に甘えて、フェリー乗り場まで乗せてってもらいました。

前に、クロアチアのサービス業の人は感じが悪いって書いたけど、個人的なつながりがあると温かで親切な人が多いんだなって気がつかされた出来事でした。