休みの日というのはどうしてこんなにも早く終わってしまうのでしょうね。と言っても、日本はまだゴールデンウィークの真っ只中で僕のようなセンチメンタルな夜を過ごしてはいないのでしょうね。
イギリスは今日が3連休の最後。明日からまた、日常へと戻っていくことになります。
僕の住んでいるフラットは本当に日常から切り離されているような場所にあるので、時に買い物に出かけた時なんかにあまりにも人がいてびっくりしてしまうほど。日本の4階部分にあり、屋根裏部屋のような家なのでほとんどの窓が屋根についていて、見える景色は空。はめ殺しの窓からは遠くの空と丘が見えるので、人間の気配というものをあんまり感じさせないんです。って書くと、ものすごく田舎に住んでいるように思えるのですが、商店街沿いにあって、スーパーまでは徒歩30秒。そんな通りに住んでいながらも、現実離れをすぐにできるこの場所が僕にとってはオアシスなんです。
いつもより少しだけ遅めに起きて、その後は腹筋や腕立てなどの筋トレ。どういう訳か最近、胸筋がいつもよりもつき始めて嬉しい限り。雨が降ったり、突然に太陽が顔を出したりと不思議な天気。そんな気まぐれさも家の中でなら許せてしまうんですよね。
気まぐれさといったら、僕もそうだなって思うことが。
何かというと、本。
僕、各自中毒かというほど何かを読んでいるのが好きなんですよね。これは言語に関係なく英語でも日本語でも。ここで、ドイツ語でもって言えたらかっこいいのですが、、、。僕のドイツ語はそこまでは発達していないので、いつかはドイツ語でも本が読みたいなって思っています。
本を家で読む時って、その日の気分で変わることが僕にはよくあるんですよね。例えば、ある本を読んでいて中盤に差し掛かっているんですけど”今日はこの本の気分じゃない。”っていう時があって、だけど本は読みたい。だからその日の気分の本を探して読み始めるんです。この場合の本が持つ気分がわかるものではなくてはいけないので、僕が昔すでに読んだものということになるのですが。
映画や音楽と同じで、各本が持つ雰囲気ってあると思いませんか?この本は昭和初期の雰囲気と刹那な感情を思わせるとか、この本は弾丸が飛んでくるようなスピードで走馬灯のような速度の映像が流れでくるとか、この本は冬の雪景色が見える窓の近くで、だけど自分のいる部屋は暖炉の日で暖かい、そんな日に読む本だなとか。
それで今、読んでいるのが夜寝る前の本はデンマークの暮らしの本、江國香織の群像小説、柳広司のパルテノンを同時に読んでる次第です。ひとつに絞って読めばいいのにと自分でも思うんですけどね、、、、。困ったものです。
けど、それは多分このフラットで現実離れを欲するように、映画、音楽、本、など独自の世界観に自分の身を投じることで今ではないどこかに行きたいよいう自信の欲求の表れなのでしょうね。