赤ずきんチャチャは人生のお手本だなー

薄く雲が空を覆っていて何となくスッキリとしないお天気です。心穏やかになれる天気と言えば、そうなんですが僕の心には少しこの天気が重いように思います。

最近どうもぐっすりと眠れてないんですよね。もちろん、健康優良児のように夜の9時半から10時には寝て、朝の6時には起きているんですけれどね。だけど、その眠りの内容が浅い眠りばっかりなんですよね。それで案の定、見る夢が悪夢でこの4-5日は起きたらその夢の感情を引きずっていて、”あー!いい朝だ!!”って気分で起きれないでいるんです。困った、困った。ちょっと、まくらでもかえたらちがうかもしれませんね。

そんな気分で今朝も目覚めて、朝の筋トレやら日記を書いていたら、メールが。これがね、また僕を少しだけがっかりさせるメールで。気分が急降下。別に大したことでもないようなことなんですが、人生の障害に弱い僕。頑張らなきゃなって、自分を奮い立たせてるところなんです。

そんな暗い雰囲気もまとって1日過ごしてももったいないし、自分もつらいので気分を晴らすものがないかと、探していたら、、、。見つけてしまいました。”赤ずきんチャチャ”って漫画、皆さん知っていますか?僕がね。いくつぐらいだろう、、、。小学生の高学年かな?妹が小学校の低学年でちょうど、漫画などに興味を持った頃で、その時に買っていたのがリボン。その中に赤ずきんチャチャは連載されていたんですよね。僕も、妹に借りて読んでいたんですが、少女漫画らしからぬギャグ漫画で抱腹絶倒。キャラクターもみんな個性的で愛らしくて、この漫画のとりこに。妹も好きだったようで、時に単行本をも買ってきてそれも僕は読ませてもらっていたんです。

その後、この漫画はアニメ化されて興味をもって見たんですが、僕のイメージしていたキャラクターの声と声優さんの声がかなりかけ離れてガッカリ。しかも、漫画ではないような変身シーンや、悪の大王を多を倒すなど原作とかなりかけ離れていたのにも驚きました。(調べてみたら、スポンサーのおもちゃ会社がそのころセーラームーンが流行っていて、何か変身用のおもちゃを一緒に売り出したいからと、このような物語変更がなされたのだとか。大人の事情なんですね。)

ということもあり、アニメ版をオンタイムではほとんど見たことがなかったのですが今回数話だけを見る機会が。これがね、僕の気分を盛り上げてくれました。

人生は、赤ずきんチャチャのようにいきるべし。って教わったような気がします。

気分を上げてくれたのは懐かしさもあってでしょうが、この登場人物がみんな普通じゃないんですよね。チャチャは見習い魔法使いで、世界一の魔法使いセラヴィー先生の弟子。魔法で、”花束”を出そうとしたら”鼻束”が出てきたり、火を出すバーナーを出そうとしたらバナナが出てきたりと、おちょこちょい。それでも日々楽しく、失敗にくじけることなく毎日を過ごしているし、オオカミ少年のリーヤは本当におバカ。時にオオカミに変わるもどちらかと犬のように見えて、怖さなくして可愛さ1000倍。魔女のドロシーは世界一の魔法使いになりたくて幼馴染のセラヴィーを倒そうと考えるもいつも厚化粧や、顔のしわなどについてセラヴィーからいじられて終わる始末。世界一の魔法使いセラヴィーでさえも、いつも小さな人形に腹話術で会話をするという”変態”気質もち。その他にも個性たっぷりのキャラクターがいて、笑えます。みんなどこかしら弱みがあるけど、それを自分で分かった上で、時にそれを使いながらも楽しく生きてる姿に人生の教訓を感じるんですよねー。(深く考えすぎかな,、、。)

ドイツに引っ越してきてから僕の生きていける能力があまりにも低くて、まるで子供。だからなのか、この赤ずきんチャチャの心境が身近に感じられるのかもしれません。

みなさんも、ちょっと元気がない時はこの漫画、おすすめです。

 

静かに揺られて

昨日と同じように雨模様のドイツ北西部。昨日にも増して時折、横殴りの強い雨が降ったりともの悲しい感じが立ち込めています。今日は窓を開けて、少しひんやりとしてはいるけれど新鮮な空気を部屋の中に充満させているところです。どうしても閉め切った部屋は空気がよどんでしまいますよね。

さて、ユリ君の両親の家に先週末訪れていたのはお父さんの誕生日のため。毎年、家族が集まってお祝いをするのですが今年は僕もその中に参加。ユリ君の兄弟と、その家族など総勢12人。ユリ君の家族は基本帝にドイツ側とデンマーク側に分かれていて、今回はデンマーク側の家族も。

デンマークってドイツの北部部分でつながっていて、昔のブログにも書きましたが世界で1番幸せな国ランキングにいつも1位2位の国なんですが、小さな国なんですよね。人口は600万人ほどなので、千葉県の総人口ぐらいでしょうか。首都はコペンハーゲンで、首都の人口は50万人ぐらいなので日本でいうと宇都宮市の人口ですね。

小さな国もあるし、周りにたくさんの国々が隣接しているので外国語教育が徹底しているんです。今回はデンマーク側からは3人が来たのですが、3人ともデンマーク語、ドイツ語、英語を何不自由なく話せるんですよね。会話は大体がドイツ語で行われるので、僕は知っている単語を会話の中から拾ってはそこから何をみんなが喋っているかを推測するのが精一杯。だけど、時にデンマークファミリーが英語で僕に質問とかもしてくれるんですが、ドイツ語から英語に何の躊躇もなく変わるんです。第2外国語を使う人ならばわかると思うんですが、突然に1つの言語から直ぐに次の言語に変わるときって難しかったりするんですが、それをも感じさせないんです。そんな姿が羨ましくて、、、。”何時かこんな風に僕もドイツがを上手くなってやる!!”って思いました。

そんなお父さんの誕生日会は夜遅くまで続き、お酒を飲まないユリ君は午前1時過ぎに、”もう寝たい。”というのでベッドに。僕も一緒にベッドにいきましたが、残りの人たちはその後1時間ほどパーティーを楽しんだようです。

土曜日の昼過ぎまでにはほとんどの家族が帰ってしまって、残ったのは僕とユリ君だけ。犬の散歩に行ったり、庭仕事を手伝ったり、読書をしながら日光浴をしたりと穏やかな時間を過ごしました。

お母さん大好きな末っ子のロミオ。やんちゃ坊主で、”遊んで、遊んで。”攻撃がかわいかったです。

そんな土曜日の夕方はデンマークとの国境に近い都市フレンスブルクへ、お父さん、お母さん、そして彼らの友達と僕ら2人の6人でワインの試飲会へ。試飲会、フレンスブルク郊外にワインの店を構える人が主宰をしていて、スパークリング1種、白2種、ロゼ1種、赤2種のラインナップ。それとともに軽い軽食も添えられます。お酒を飲まないユリ君にとってはつまらないイベントのように思えますが、ユリ君を釣るには格好の事が潜んでいたんです。それが試飲会場。

今回の試飲会は蒸気船で行われたんです。ユリ君、大学では海に関するエンジニアみたいなものを勉強していて、ボートとか帆船とか大好きなんですよね。”来年の夏はセイリングに行こうよ!”って言われてるんですが、僕はどうもね。。。。何がセイリングって豪華な感じがするじゃないですか。だけど、ユリ君が行きたいのは大型のボートで何十人の人がそれぞれ責任ある仕事を請け負って船を動かして航海をするというハードコアもの。山育ちの僕には未知なる世界過ぎて、、、。

なので、僕はワイン目的のほうが強かったのですが、蒸気船って素敵だなって思いました。音はもちろんするものの、何か懐かしさを覚える音でエンジン部分は石炭から発せられる熱で温かったし、蒸気が力となってエンジンを動かしている姿にも感動を覚えました。

また、船上からの景色も良かったんですよね。ちょうど黄昏時の波のない水面を滑るかのように動いていく船。右側はドイツで左側はデンマークというその不思議。また、穏やかな緑の丘が見え、その向こうには北欧ならではの色合いの家々。海岸沿いに建つ家々には明かりがともり、夕飯でも家族で食べているのでしょうか。行きかう小さな船や帆船も親し気で、船上には沢山の人がいるにもかかわらず自分の周りだけがとても穏やかで平和的な雰囲気で包まれて気分に。

住むならば山のほうがいいと思っていたけれど、穏やかな海辺というのも悪くはないかもなって思った自分がいました。

いつもしない体験をするって、自分に違った価値観や思いをくれるので大切なんですね。なんとなく年を取ってしまうとそれが億劫だったり、怖かったりするんですが。夏のセイリング、、、。考えてみようかな。

サヨナラを、今日。

ロンドンは朝の6時45分。今ミニの家のロフトの部屋にいて、このブログを書いているところです。このロフト、いつもならば窓から遠くの牧歌的な景色が見れたりするのですがグレーの薄い雲が辺り1面を覆っていて、気温もTシャツだけでは肌寒さを覚える温度。最近の話しでよくされるのも、”夏はもう、終わってしまったね。”というものばかり。イギリスやドイツはあとは9月の中旬などに突然に夏が戻ってきたかのような気候があるので、それが今年も起こらないかと期待するのみです。

日本はまだ夏の真っ盛りなのでしょうか?日本でいうと真夏というのは7月8月ですもんね。残暑が残ってみなさんまだ暑さの中で菅されているのだと思います。

そう思うと、世界のどこにいるのか、どこで育ったかで夏へのイメージも違うというのは面白いものです。日本の夏は7月8月。イギリスだと、6月も夏に入ります。そして、8月の終わりは秋というより晩秋の気配が。南半球では季節が逆ですから、今は真冬ってことなのかな?そう思うと”夏”って言葉を共有しているけれども、その概要は似たものでもディテールは人それぞれ違ってくるのかもしれませんね。

そんなロンドンの天気とも少しの間はお別れなんだなって思うと、これもまた愛おしいかなっても思うのです。

ブログの最初のほうを読んで、”なんで、ミニちゃんの家に早朝からいるの?”って思われた人もいるんじゃないでしょうか?実はね僕の前の家を出たんです、週末に。ミニとマーロン君に手伝ってもらって引越しをして、今日までここでお世話になっているというわけ。

じゃ、この次はどこに?って多分ほとんどの人がどこに行くのかはわかっていると思うのですが、、、、、。

ドイツに引っ越すことにしました。

イギリス生活が今月で丸11年。数年前までは、”イギリスが定住の地かな。”人生ってふとした出会いで変わっていくものなのですね。確かに、今思ってみるとイギリスに来たのもイギリスが物凄く好きだったから来たのではなくて、ミニちゃんと出会ったのがきっかけ。そして今は、イギリスは僕のアイデンティティーの重要な部分を占めているようにも思います。

日本、アメリカ、イギリス、そしてドイツ。僕にとっては4カ国目となる新拠点。向こうに行ったらドイツ語の勉強をして、一般生活を送れるくらいは喋れるようになりたいというのが今のところの目標です。

不安がないと言ったら嘘にはなるけれども、好奇心が大きい方が確か。アメリカで、イギリスで生活始めた頃のほとんど何もわからない、何をどのように伝えればいいのか、どのようなシステムで地域があるのかをわからずに、おどおどとなりながらも少しづつ馴染んで自分の立ち位置をまたゼロから作り上げていけるというのは面白いし、この年になってそのチャンスをもらえたっていうのは本当にありがたい。ただ時々出てくるんですよね、不安も。”36歳で今あるものからサヨナラをして、また頑張れるのか?”、”ユリ君との関係は、ずっとうまくいくのかな?”とか。

けど、起こってもいない未来を心配しても仕方ないですしね。一般論に負けずに、自分を信じて新しい人生を歩いていきたいと思います。

イギリス、今までありがとう。

気が付けば8月も

皆さんご無沙汰してました。一か月以上もブログを書かずにいましたが、戻ってきましたよ。

実は7月の初めごろからおなかを壊したりと体調がよくなくてブログを休んでいたのですが、その後もいろいろなことが僕の周りで起きていて今やっと落ち着いた時間を持てている状態です。

早いもので2017年ももう、8月ですね。と言うことは今年が終わるまでに5か月もないということなのですね。時間が過ぎるのってどうしてこんなにも早いのでしょうか。しなくてはいけないことは山のようにあったり、これがしたいなっておもっているのに、気が付くとほとんどが手つかずのままに何も現状と変わらないみたいなことが多くて、、、、。そんな自分やその現状に少しだけ落ち込んだりしてみたり。

さて、そんな日常を抜け出すためではないのですが今ちょっとロンドンを離れています。今いる僕の場所は夕方の雨に虹が浮かぶ場所。

素敵な景色でしょ。青空の中に見える虹も爽快な感じがして素敵だけど、夕暮れの虹って淡くてどこか少しだけもの悲しさみたいなものを含んでいて僕は好きだなって思います。

これ、ユリ君の家のベランダから見える景色なんですよね。この窓は東側にあって朝は晴れていれば眩しい朝日や朝焼けが見えて1日の始まりにこの窓に立って思いっきり深呼吸をして太陽を全身に浴びて1日を始めるのがここ最近の日課になっています。

ドイツでの休暇がちょうど今2週間たったところで、自分の時間をたっぷりと自分のためにとれてその中で自分がしなきゃいけないこと、したいとおもっていることを積み木を重ねていくようにこなしていくのは楽しいなと感じてもいます。

自分だけの時間をだれにも邪魔されずに取れるのは幸せだなって実感できている今回の休暇です。

36歳で思うこと

昨日ブログを書いた後、日本に住んでいる母に電話をしました。

子供の頃までは誕生日というと授業中の僕の生まれた午前11時ごろになるのをウキウキしながら待っていて、その時になると心の中で、”うわー。10歳に今なったんだ。”って叫んだり。その後は家に帰って待っている誕生日ケーキやプレゼント。まるで6月20日は僕が世界の中心に回っているような錯覚を覚えていました。だから、誕生日の日は心躍るようなウキウキ感が大きかったんでしょうね。

36回目の誕生日。素直に、自分の人生を振り返ってみて、”こんなにいい人生を歩いてこれたのは、母が産んでくれたおかげだな。”って思って感謝を伝えるために朝方の日本に電話を。

僕の生まれた時の状況を聞いてみたり、子育ての大変さなんかを自分の母親から聞くのは新鮮でした。

陣痛が始まったけど、なかなか出てこなくて陣痛の合間に母親はウトウトしてしまうほどの長さ。あまりに時間がかかるので陣痛促進剤打たれるもそのせいでうまく調子が合わず苦しむ母。そして今もそうなんですが生まれる前から肩幅が広くてどうも産道で肩が引っかかって出てこれなくなってしまい、やっと生まれた僕は泣きもしない、仮死産。その後何も音を発さないのでお医者さんに叩かれてやっと泣いた僕。途中で酸欠状態になったためなのか、母親の前に現れた赤ちゃんの僕はしわくちゃで、真っ青のそれは、”かわいい”とは程遠い見た目だったのだそうです。

その後、もしかしたら酸素不足から脳に障害が起きている可能性もあるからとお医者さんに言われ、数件の病院で検査。これって初めての子供の子育てでも大変なのに、母にとっては追加のストレスだったんだろうなって。結果、問題なしで落ち着くのですが、、、。

次に現れたのが苺状血管腫。これ、赤ちゃんの時にできるもので、毛細血管の異常な増殖によって体に赤いあざのようなボコボコのマークが出てくるんです。僕はちょうど左の胸の腕に出てきて最初は小さかったそうなのですが、どんどん大きくなって色もどす黒い赤に。今でもよく見るとうっすら赤みを帯びているのですが、僕の2歳ぐらいの上半身裸の写真とかは虐待されて内出血をしてるのではないかというような大きな赤黒いマークがあってちょっと痛々しいほど。それも6才頃には今の薄さに。

6才になった時は川崎病を発病し、入院生活を送りました。僕は最初こそ怖かったのですが、そのうちに小児科病棟にも慣れて就寝前のおしぼり配りの係や、寝る前の放送をしたり楽しい思い出の方が多かったんですよね。漫画の上手な中学校のお兄ちゃんや、同い年の子供たち。みんな何でもなくあそこにいて生活していたのですがそれぞれに何かの病気と闘っていたんでしょうね。

そんなお気楽な僕とは裏腹に、川崎病って心臓に問題が起こることが多くて時には突然に心筋梗塞で死亡することもあるのだそう。また治っても長いあいだ病院に通って定期的に心臓に異常がないのか脈はちゃんと均等化などを調べなきゃいけない大きな病気だったのです。そのときの治療でその頃は保険適応外の注射(1回数万円)を五回ほど打って心臓の後遺症が残らないようにと決断した両親の気持ちを考えると心が張り裂けそうです。親心子知らずってぴったりだなって。

その後の定期的な検診で何も心臓に異常も見つからず、最後の健診のときは”マラソン選手にもなれる心臓だよ。”とお墨付きをもらって、そのお大病もせずに今に至ります。

36歳になって初めて、誕生日って自分を祝うことよりも産んでもらったこと、育ててもらったことに感謝をする日なんだなんって遅いながらも気がつかされた1日となりました。

36歳の初めての日、いいスタートが切れたようです。

 

あと10分で

金曜日の仕事終わりがまさかの夜に11時で、疲労困憊でベッドに。特に予定のない土曜日の朝なら9時頃まで寝ているのですが、そうもいかず、、、、。

実は土曜日から家のペンキ塗りをしているんです。日本でも部屋の内装を自分でしたりする人が増えていますよね。イギリスはその率が高くて、ペンキ塗りなんかは本当にどの家庭もするんですよ。もっとできる人になると電気工事や排水管工事までしてしまうことも。僕は怖いのでこれには手をつけませんが。

なので、週末全部で僕はペンキまみれの日々を過ごしました。昔の家ではミニと一緒にしていたのでそこまで苦だとは思っていなかったのですが、一人だと結構の重労働。

土曜日に歩いて15分のところにペンキやハケなどを購入。車があったら楽だなという重さを頑張って運びました。壁に軽くやすりをかけ、少し濡れたスポンジで埃や油分を落として下準備。今回は壁と天井はツヤを抑えた白で、階段の柵やドア枠は光沢のある白に。

土曜日は夜の10時過ぎまで、日曜日は11過ぎまで、そして今日は残りの部分を4時間ほどで全てが終了。壁や天井は真っ白で綺麗なのですが家具や雑貨が色々なところに動いていてその片付けがまだ、、、。もう少し頑張ります。

さて、あと10分。なんだかわかりますか? 今もうすぐで6月20日にイギリスはなろうとしているんです。

実は、僕の誕生日が今日なんです。今年で36歳。ブログを始めたのが29歳になった6月20日なので、8年もブログを書いていることになりますね。この8年間、本当に色々なことがありました。まるでジェットコースターのような人生で、この乗り物、一体次はどこに向かうのかなって自分のことながら面白く見ている部分もあります。

今までは自分が真ん中で、その真ん中での視線からしか物事を見ることしかできなかったけど、最近はちょっとだけ自分の物語を読者としてみることができることもあって、これは本当に面白い発見だなって思います。

ひとつの人、または物との出会いが、自分の思いもよらない世界に導いてくれることがわかって、時にはその新しい場所に恐怖を感じることもあるのだけれど、同じ場所に留まっていてもいつもの日常。その歯車でなく、違った歯車を他家kんできるということは人生の有意義な使い方なのかなってこの歳になって考えます。

あ、0:00。36歳になりました。

これからもみなさんとブログで、そして現実でも繋がっていけたらなって思います。

庭のためなら苦労も厭わず

週末。いい響きですね。それも土曜日の朝って最高ですよね。”今日と、明日で何をしよう。”ってワクワクして。今朝はそれに加えて窓の外が真っ青な空だったので余計に。

金曜の夜は疲れすぎで気がついたらまた、ソファーに寝ていて起き上がったら夜の11時半。金曜の夜は本当に電池が切れたように眠り込んでしまう悪い癖が最近あるように思います。

いつもの土曜日なら9時すぎまで寝ているのですが、今日は8時に起きて朝食もとって出かける準備完了。

実は先週にミニからメッセージが来て、”ガーデニングを手伝って欲しい。”との依頼が。ガーデニングというと聞こえがいいのですが、ミニがかった家の前オーナーが庭仕事をサボっていたらしく、ミニがかった時にはほぼジャングル化していた庭。少しづつ手伝いながら開墾してきて、だいぶ最終段階に近づいてきたんです。

 

1年ほど間にジャングル化した場所の草や木を掘り返して庭の片隅に放置していたのですが、今回ミニがスキップを借りてきたのでそこにすべての石、土、草を入れ込もうという力仕事に駆り出されたわけです。

ちなみにスキップというのは鉄で出来た巨大な入れ物と言えばいいんでしょうか。軽自動車一台の面積に高さがその半分ぐらいの大きな容器を想像してもらえるといいかと。これに不必要なものを入れて満タンになったら業者に電話をしてそれごと引き取ってもらうという仕組み。

この作業、ビニールシートのおかげですんなりと入らなくなったものをこのスキップに運び込めて終わったのがちょうどお昼過ぎ。なのでデリバリーのピザを食べて腹ごしらえ。ビールも飲んで、太陽の下で少し休憩。芝生で横になるのって気持ちいいですよね。

ミニに髪を切ってもらって本当は終わりだったんですけど、ミニが来た時に”この木の根っこを頑張って今掘ってるんだけどなかなか抜けない。”というのが気になってチャレンジすることに。

かなり深く穴を掘って途中で横に生えている根っこを切り、周りを壊して少しづつ根っこの包囲網を崩していく僕とミニ。こんなにも掘り下げました。

 

そして掘り上げたのがかなり大きな根っこ。

比較対象がなくて大きさがわかりづらいのですが、この根っこを持つのにも一苦労するくらいの重さで、左側のちょっと緑の部分が地上に出ていたところで後の茶色い部分は全て土の中に埋まっていました。

それだからか、家に帰った今ものすごく心地よい疲労感に包まれています。外での作業はやっぱり気持ちがいいものですね。

穏やかに過ぎる夜の時間

今日は長丁場の仕事だったので、家に帰ってきたら疲れを全身に感じました、僕が仕事の疲労感を感じるのは、仕事を終えて家に帰り着いた瞬間。ドアを開けて靴を脱いで、ほっと息を吐いた瞬間に全身を疲れが包む、そんな事が多いように思います。写真の仕事にしろ、テイクアウェーの店でも一定のテンションで(しかも少し高めで)働いているので帰り道まではその余韻でどうにか頑張れるのですが、家に着くと一気にその仮面が剥がれてしますようです。

ユリ君とのスカイプ電話の後にソファーに横になったら、いつん間にか眠りに疎開に落ちていました。だけど今夜は深眠にはならずに30分後には目が覚めて、その後シャワーを浴びに。立ち仕事を10時間してると体のあちらこちらが悲鳴をあげているのを感じます。熱いお湯に打たれながら自分で全身にマッサージを。特にふくらはぎ、足の土踏まず、肩と腕はぎゅうと押してやると軽い快楽的な痛みとその後に感じる血液の循環が心地いいんですよね。

それを終えて、今はラズベリーのジャムを入れてほんの少しだけ甘くした薄めの紅茶を飲みながら、このブログを書いているところです。

肌を伝うお湯と自分の指を感じ、口で甘酸っぱいお茶を楽しみ、雨に濡れた夜の匂いを嗅いで、また自分自身の時間を取り戻すこのプロセスが僕にとっては大事ことのように思います。

それと、もう一つ大事なことが。耳からも素敵なもの感じていたいじゃないですか。最近聞くのが、この音楽。

 

マックス  リヒターという作曲家。西ドイツ生まれのイギリス育ちと、何か僕の今の生活パターンにも共通して嬉しいんですが。彼の音楽は心の中にスーって入ってくる感じと、自分の中から奏でられる音楽のようなその相互性を持っているように思います。少しの恐怖と、懐かしさと、神秘さを小さな闇を混ぜて綺麗に並べた感じ。

この曲が、日本で最近公開された”メッセージ”という映画の中に印象的に使われました。映画もものすごくいいのですが、この音楽が本当に素晴らしくて。もし、見ていないのなら是非、映画館で。いい音響で聞くと本当に心と共鳴しますよ。

彼の作品の中でよく聴いているのはこの曲も入っているアルバム、The Blue Notebooks。この中には女性がカフカの作品の一部を音読したり、タイプライターの音などが入ってきたりで、これも粋だなって思います。

ちなみにその後に発表されたSongs From Beforeで朗読されるのは村上春樹さんの物語なんですよ。面白いですね。これには雨の音が入っていたりで情緒があります。

最近、歌詞がない音楽がすんなりと体に入ってくる気がします。これって年をとったっていうことなのでしょうかね。言葉のないメロディーに体を預ける楽しさを知れたというのは本当にいいなって思えます。多分歌を歌うのは自分の思いや願いを表現するけど、メロディーは心との共感が強いように思うのは僕だけでしょうか。

そして家路につく ヨークシャー最終日

土曜日の昼間にこの前のパーティーで知り合った子が遊びに来るというので、朝から少し散らかり気味の自分のフラットを掃除。その後買い出しに出かけると約束の3時前に。本当は友達の到着前にデザートを午後のお茶用に作ろうと思ったのですが、間に合わず、、、。お茶を入れて話しながら作ることに。こんな時ってオープンプランって便利ですよね。

おやつにはラズベリーとストロベリーをグラスにまず入れ、その後ホワイトムースをピスタチオの砕いたものを振りかけたもの。これがあんたんだし、美味しくて作った自分もびっくり。夕飯はフランスパンの上にバルサミコ酢で軽く味をつけたロケットとブルーチーズにプロシュートを乗せたものが前菜で、メインにはエビをマスカルポーネと赤ワイントマトピューレで作ったソースを絡めたパスタに。

話に花が咲き、気がつくと開けたワインが4ボトル。しかも朝の3時半。即眠ることに。

僕は朝の9時に起き、ゲストは11時過ぎまで寝ていて昼ごはんを食べて午後の3時に帰って行きました。これ、長期滞在するユリ君や日本から来た友達を除けば最長記録かも。

そして今日曜日の夜は静かに音楽を聴きながらこのブログを書いているところです。週末ってどうしてこんなにも早く過ぎてしまうのでしょうね。

僕たちのヨークシャーでの休暇もまさに今週末のようにあっという間に過ぎて行きました。

最終日。ネットで予約した時にはチェックアウトが午前11時だったんですよね。ただ、僕たちのロンドンへ帰る電車が午後の3時すぎで、それまで街中でも散歩してもいいけど、荷物がね。っていう悩みが。このホリデーコテッジのオーナーから”何かあったらメールをしてね。”と言われていたので、午後の3時ぐらいまで荷物だけ置かせてくれないかと前日に送ると凄返信があって、”荷物だけと言わず、チェックアウトを3時30分にしてあげるよ。”との素敵な回答が。だからそれに甘えて、ゆったりとした朝を過ごしました。

何をするわけでもなく、ただベッドに寝そべって過ごす穏やかな時間。これってものすごく贅沢だなって。小さな窓から差し込む光の中で、大好きな人が隣にいて、何をしなくてはいけないと焦ることもなく、ただ寝そべっているというこの時間。幸せってこんなところにあるんだなって気づかされますよね。

結局、街中へは出かけずにコテッジに午後の3時までいて、その後は駅に。駅って別れと出会いが交差するましょだから、なんとなく不思議な感覚に包まれません?特に自分が旅人として訪れる場合は。

4日間のヨークシャーでの時間がものすごく有意義で、しかもホテルでなく、ユリ君との自炊の生活。いつもお互いの家に行って過ごすことはあるけれど、自分たちの見ず知らずの土地で生活を4日間でもするというのは新鮮でした。新しい暮らしが始まったそんな面白さを感じさせてくれて。

そんなメランコリーな気持ちを抱えて電車に。

ロンドンへと着いたのは午後5時半。ラッシュの時間帯で人で溢れかえる駅。街の中にも人が、ものが、車があふれて数時間前の風景がまるで夢物語のように。

せかせかと忙しく歩く人々。もしかしたら、僕は穏やかな生活を求めているのかもしれません。

走ることから派生する思考

イギリスは3連休の2日目。朝起きると穏やかな青空。こんな日には走りに行くしかないですよね。僕、雨が降る日は走らないんです。だって靴が汚れてしまうのは悲しいし、ビチャビチャになってまでも走りたいという欲求が湧かないから。もしかしたら、これっていつも走っていたら変わってくるものなのでしょうか?

僕は今、週に2回の走っていて、1回につき10km。目標は45分を切るという設定ですが、なかなか難しい。2週間前までは48分台でしたが、先週に入って一気にタイムが46分台に。今までの最高が先週の木曜日に出した46分18秒。もう少しで、45分台なんです。今日は45分台を出そうと望んだのですが、、、46分32秒。もしかしたら、ここが第1の壁かもしれませんね。頑張ります。

この10kmのコース、とても気に入っているんです。ほとんどが車通りがないようなところを走るのでほとんど信号に走りを妨げられないし、高低差もあって楽しいんですよね。僕は山で育ったためか真っ平らでどこまでも直線っていう道を走るのが苦手なんです。走っている途中で、なんとも言えない虚無感にとらわれてしまいそうのなるから。

まっすぐだと、何をゴールにしていいかわからなくなるんですよね。それが曲がり角がある道なら、あの曲がり角までは頑張ろうって力を出し切れるから。これって僕の人生でも言えて、あまり長い先の見えないゴールに向かうのは僕は苦手で、頑張れば手に届きそうなゴールに対して猛ダッシュをする方が向いているように思います。

走るのは朝に限るというのも僕の信念。朝の空気って人が少ない分、呼吸がしやすい気がするし、その空気自体が夜と朝の冷たさのような、清潔感を持っているところも好きだから。それに走り終わって必ずお風呂に入るのですが、その時にまだ朝なのにお風呂に入れるっていう優越感も朝の走りを僕がする理由の1つです。僕の記憶の中の朝風呂は、日本でいた時の元旦の日。けど、よく考えると夕方の3時ごろで決して”朝”風呂というわけではなかったのに、僕の記憶では”朝風呂”とつながるんですよね。”日が高いのにお風呂に入れるのは贅沢だな。”って言っていた父のことをそれと一緒に思い出します。だからか、朝風呂は物事の始まりという節目を感じさせてくれるものでもあるんですよね。

そう思うと、子供の頃の体験や感覚って大事ですね。35歳になってもなおその行動に無意識のうちに現れるのですから。

今は夜の10時過ぎ。少し前に雨が降り出して、今は僕の家の屋根を優しく叩いています。温度もそれに伴って冷やされて、少し寒さを覚える弱い風が窓から流れ込んできています。夜の雨には本当に心を休める鎮静効果がありますよね。穏やかに海底に沈んでいくようなそんな感じが。

今夜はゆっくりと眠れそうです。