アワアワする気持ち

あー、終わった。いやね、今、ドアの修理屋さんがちょうど帰っていったところなんです。緊張した。ね、こんなことで緊張していてどうするんだいって、感じなんですが。ドイツ語でのりきることができました。

ドアがどうしたの?って話でしょ。ドア修理屋さんっていうの面白いのですが、実は僕のアパートの部屋の中の全部のドアが何となく締まりがわるかったり、床をかすったりでしていたんです。まあ、新築の家なので少し歪みが出ているのかななんてユリ君と話していて、けど生活に支障が出るって程ではなかったのでそのままだったのですが、我が家の電動ブラインドが壊れたので、その修理を大家さんに頼むメールを送る時にドアの修理もと頼んでおいたのです。

昨日ユリ君にドアを修理に3時半ごろ来るとのメールが。あれ、電動シャッターは?って話なんですけど、ユリ君もそこはわからないから、修理屋さんに聞いてみてと頼まれました。なので、修理屋さんにドアの状態を見せる、電動シャッターは直してくれるかを聞く。というのが僕の今日の課題だったわけです。

朝からソワソワ。けどよく考えるとそんなにソワソワすることもないんですけどね。何となく心落ち着かかない、、、、。木曜日なのでアパートの大掃除をし、時計を見ると昼の12時半。昼ご飯にしようと、キノコと玉ねぎのスパゲッティーを作ってまさに食べようとしたその時、ピンポーン!!

あれ。今日は小包は届かないし、これは修理屋さんかな?だけど約束の3時間前!!玄関を開けると、気のいいおじちゃんが。見た目にも修理をしそうな感じ。早速招き入れて、つたないドイツ語でドアの状態を言って。おじさん作業開始。

僕ね、いつも思うんです。僕はどこの立ち位置にこの時いればいいんだろうって。隣にいても迷惑だろうし、いや隣にいて見物するのは嫌いではないんですよね。イギリスの時はそうやっていろいろ教えてもらったこともあったので。だけどね僕のつたないドイツ語では、聞きたいことも聞けないし、話されたところでその5パーセントしか理解できないでしょうから。おじさんも僕が昼ご飯を食べていたのに気が付いたようで、「どうぞ。食事を続けて。」と言ってくれました。

ご飯も終わって、どうしようとなった僕。ひとまず本を読む。本なら音もならないし、おじさんが声かけてくれてもすぐに反応できるし、って自分の家なのになぜか気を使っちゃうんですよね。なので、本は読んでいても頭に」文字が入ってこないという、、、。おじさんはしばらくガンガン、バンバンして、僕のいるリビングに。

最後のチェックをして、気になる所を微調整してもらってるときにシャッターのことも聞きました。おじさんはキッチンとドアの担当で電動シャッターは修理できないとの事。

これで任務完了なんです。だけどね、僕の母親は家に修理の人とか来たら、お茶を出すっていうことをしていたんですね。それは母が大工の娘であることも関係あるのかもしれませんが、、、、。ほら昔の大工さんとかって家を作っている最中にその家の人からお茶とかお菓子の差し入れがあるでしょ?「お仕事大変でしょう。さ、一服。」みたいな。僕もね、それを引き継いでしまったようで。

これで、ありがとう、さよなら。で済むものを、「何か飲みます?コーヒーとか。」ここで、相手がNoってくれば僕としては一番楽。そしておじさんの答えは、じゃ、コーヒー。ってことは僕ちゃんとドイツ語で会話をしなきゃなってことになすんですよね。

ほら、僕のミジンコのようなボキャブラリーじゃね、会話も中途半端。「今日はたくさん仕事があるんですか。」とか、「このドアの閉まり具合が悪いのってよくあるんですか?」みたいな。それに対していろいろと答えてくれるおじさん。これからの仕事はどこに行く、その前はどこだったとか、ドアの問題については結構喋っていたけれど、あんなにしゃべってくれたのにわかったのは、ドアは何かしら問題があるみたいなこと。もうね、途中からはおじさんの言葉を理解しているというか連想ゲーム。

本当にいいおじさん。本当はね、もっと奇策にしゃべりたいんだけどな。その道のりは遠いです。だけど、本当にこれで一安心。あ!けど今度は電動シャッターの修理屋さんが来るんだろうなー。よし、頑張ろっと!!

何処に行くのか

日本に住んでいると11月の始まりは紅葉も始まって、秋も深まってきたなって感じる頃ですよね。ヨーロッパはこのころは紅葉の葉っぱが散り始めて、空もグレー一色で、寒さも厳しくなっているときなんですが、、、、。外は何とも素敵な空もよう。本当に日本の秋に似た空と、少しだけ肌寒いかなという気温。こうなったらね、走りにいかないと。まだ肩の調子が本調子でもないので今日は7kmのコース。太陽の高さはこの季節は昼近くでも高くは上がらないので何となく夕方のような光で照らされているんです。その光の中で黄色や赤の落ち葉が散っていくなかを走るのは幸せ。

気温も走るのにはぴったりなんですが、走り終わったらかなりお腹が冷えていることに。僕の体温結構下がるのが早いんですよね。困った困った。シャワーをあびて温かな紅茶で温めて、、、。あとは少しだけストレッチをして運動終了。

このまま素敵な天気が続くといいんだけどなー。

さてさて、アメリカでは中間選挙が終わって野党は下院では過半数を超えたみたいですね。ただ、これでトランプ政権は揺らがないというのが大方の見方のようです。なんというか混とんとしてますね、アメリカ。国の中でこんなにも国民の意見が真っ二つに割れるなんてね。

僕がアメリカに住んでいた時は、ちょうど9/11の時だったんですね。あの日を境に一気にアメリカ人は、結束を固めたように見えました。その前の日までにはなかった連帯感が本当に一晩のうちに出来上がったのにはやはり、アメリカという国が移民が多い国で、若い国だというのがあげられるのではないのかと。自分たちが国もないところから移り住み、育てあげてきたアメリカ。それがあんなやり方で攻撃されるとは!アメリカ人よ立ち上がれ!!的な力。たくさんの家の窓先に、車にそのようなメッセージが書かれたステッカーやプラカードが置いてあったのを今も覚えています。これは、その時の大統領支持率にも出てくるのですが、なんと90%。しかも、その当時の大統領はジョージ・W・ブッシュ氏。そう、その後、この支持率でイラク侵攻をしどんどんしじりつをおとすわけなのですが。ちなみに90%になる前の支持率調査では50%だったんです。9/11の後に一気に40%アップ。これは、アメリカ人の団結の何物でもない気がします。

ブッシュ氏のイラク侵攻は。同国が大量破壊兵器を持っているということで始められたのですが、その大事な武器は見つからず、ちかもイラク国内の治安も悪くなってしまい、アメリカではこのイラク侵攻が正しいのかと議論になります。これは、アメリカだけでなく参戦したイギリスでも当時首相だったブレア氏がかなりせめられていました。

どうなんでしょうね。このころから顕著にアメリカは結束から、二分化を歩み始めたのかもしれませね。それがはっきりとわかるようになるのがトランプ大統領の誕生でしょう。就任でこんなにも反対者が出たのって、しかも有名人がこぞって反旗を翻してもおり、尋常ではなかったですよね。最近では歌手のテイラー・スイフトさんも野党派だと公言したのがニュースになっていましたが。

アメリカ・ファースト。これからもトランプ氏はこれで推し進めていくんでしょうね。他のニュースで読んだのですが、南米からかなりの人が今メキシコにいて、その後アメリカに向かっているという話もありますよね。その数、5000人なのだとか。それにあたる警備のためにメキシコ/アメリカの国境には7000人もの警備兵をつけるという話も。

ロシアとの仲が冷え切っているといわれるアメリカ、それに反して国内の二つの政党、またはそれを支援する国民の熱はかなり上がっているように思えます。アメリカはこれからどのように進んでいくのでしょうね。

また、アメリカに何かと左右されがちなところがある日本。これからアメリカとどういう関係性で接していくんでしょうかね。

あれ、また真面目な記事に。いやね、前半書いていて他の事を書こうと思っていたんですけど、どうしても思い出せなかったので、時事ネタで。

働くことって

穏やかな日差しの中で、もう少しで午後2時をむかえるドイツ北西部。そういえば、と戸棚に大切に入れたままで、ちょっと忘れられていた、、、、(そんなことってありますよね。)アールグレーの紅茶。いま、匂いを楽しみながら飲んでるところです。

最近ね、仕事探しをしてるのですがどうもイマイチ。特に田舎なのでしょうがないところはありますが、やっぱり残念でしたメールはさびしいもの。仕事をするって自分が社会の一部であるとか、その社会に貢献してるんだって感じることでもあると思うんですよね。なので、仕事がないとちょっと肩身が狭い気もします。ドイツがだめならと、今はオンラインで何かできないかなって仕事を探して、一つ気になるものがあって応募しました。結果やいかに!

さて、仕事と言えば、日本は外国人の労働者を受け入れるか受けないかが国会で話されているみたいですね。日本も移民にやさしくなるのかなって、思います。日本って世界の中でも移民に厳しい国で有名なんですよね、じつは。どうかな、僕は自分が移民としてイギリスやドイツに住んでいるので、移民に寛容な立場にいると思うんです。日本の総人口はこれから減っていく一方、内閣府の発表によれば2060年、僕は80歳ぐらいでまだ生きてるであろう時の日本の総人口は1億人はとうに下回る8600万人。そして60歳以上の人口が15歳から59歳の人口と同じ。ということは、多分このころは大学に行く子供がほとんどだろうから、働く人たちは21歳くらいかな、、、。そうするとね、年金とかって話じゃないなって。日本自体が壊れてしまうのではないんかなって考えちゃいますもんね。

僕の住んできた国はどこも移民が当たり前にある国で、それは長いこと山あり谷ありあったのでしょうが落ち着くところに落ち着いているんかんじです。アメリカとイギリスは英語の国なので、世界共通語という強みがあり移民でも、「英語は喋れて当たり前だよね」という感じ強いんですよね。英語を喋れれば、仕事の幅も広がるし、チャンスも増える。ドイツはここ数年、シリアなどの中東の難民を入れてきました。その前にもイタリアやトルコからの移民を受け入れている、移民国でも実はあるんですけどね。難民と移民は違うので、一緒にするのは問題ですけど、ドイツ政府が生活の面倒を見ています。僕のクラスメイトもほとんどがそうで、ドイツ語の学校も国が払って彼らは勉強をしているんですね、だから出席も厳しいのもそのため。もちろん、その中には一生懸命勉強する子もいれば、何にもしてないような子もいます。だけど、移民にちゃんと基本的なドイツ語、またはドイツに生きていくうえで必要な知識や生活の仕方も学ばせるんです。

日本はどうなるのかなって、考えてみたんですね。まずは言葉の問題。バブル期だとかオーストラリアでも海外で日本語を第二外国語として勉強していた国もあったようですが、今アジアの言葉と言えば中国語。日本語を習っている人もいるとは思うのですが、政府の目指している看護、建設の「単純労働」の労働力確保だそうで。そしたら、大学で日本語を勉強している人はまず来ないですよね。アジアや東南アジアの人々がターゲットなのかな。そうなるとね、もし第二外国語を知っていても英語でしょう。けど、日本で英語をうまく喋れる人はそんなに多くはない。じゃ、移民先が多い国と連携して日本語を第二外国語として定着させるとかしないといけないですよね。ここは日本の移民政策で難しいところだろうなって思います。

そうそう、よく調べてみたら人口減少で困ってる国って日本だけじゃないんですね。ヨーロッパは移民を受け入れることで人口増加へとつながった国もあるのですが、困っているのが意外と身近な韓国。韓国は僕が調べたところによると、政府が移民の管理を行っているみたいなんですね。日本はこの法律が執行されると会社が移民の受け入れ先のよう。ように韓国の場合は、移民100がいたら政府から移民を受け入れている会社に「新しく移民を受け入れませんか?」と持ち掛けるのだそう。なので、ブローカーの入るすきもないのだとか。また、韓国人と同じ最低賃金で、社会保障も認められるとのこと。また、移民の人たちの言語を喋れる人がいる支援センターもあるそうなんですね。けど、どうやら日本にはこれがないみたい、全部企業まかせ。

となると、例えば東南アジアから同じような距離にある日本と韓国、どっちを選ぶってなった時に選ばれるのは韓国だろうなって、単純に思うのは僕だけではないはず。

日本での移民の受け入れは必要となってくるのでしょう、けど今、労働力が必要だからというただの穴埋めで早急にしたところで、日本の息苦しさに疲れて時刻に帰るか、隣国の韓国に流れていくのが落ちかなって。

皆さんはどうお考えですか、移民問題。

移民のお手本

少しずつ回復に向かっている僕の肩。あともう少し、もう少し。あとちょっとだけ肩の奥が痛い感じ。けど、痛みもなく眠れるし、鎮痛剤や痛み止めクリームも必要なし。最近毎日している肩と、目への温かなタオルが効果が効いている模様。これから毎日していこうと思います。ユリ君も誘ったのですが、断られました。残念。

今日は久しぶりの青空がのぞいているドイツ北西部。このまま週末も晴れてくれたらいいな。最近、夏時間が終わって日暮れの時間も早いし、お昼の間もグレーの空で何となく気分も塞ぎ気味になりがち。だから、こんな秋の空は気持ちが軽い。

さてさて、仕事探しをしているのです。この田舎の町で。2週間前に2つの仕事に応募したんですよね。ひとつは病院を訪ねて、生まれたばかりの赤ちゃんの写真を撮る仕事。もう一つは近くの写真館。だけど、残念な結果。やっぱり大都市のロンドンとは違いますよね。ロンドンは移民の人もたくさんいるし、仕事も数がある。ただ、ドイツの片田舎では外国人は少ないし、片言ドイツ語の状態ではね、難しいのかも。何となく寂しくもなりますが、これも現実しょうがないですね。ドイツでのフリーランスの仕事用のウェブサイトを作っているのと、何か家で仕事ができないかと模索中。ね、頑張ろっと。

最近ね、そんな自分を慰めてくれる映画を見ちゃいました。もうね、これこそ海外に住む外国人のお手本バイブル。それは、、、、

パディントン2!!

タイトルでわかるように、続編なんです。どうだろう。日本でも少しは有名じゃないかな、パディントン。

原作はイギリスの小説家マイケル・ボンドの「くまのパディントン」。くまのパディントン、目印は赤い帽子と青いダッフルコート。マーマレードが大好きなのでも有名ですよね。けど、パディントン、実は移民だったって知ってました?完璧なイギリス英語を喋るのですが、それはイギリスのレコードを聴いて英語を勉強したから。彼の地元はペルー。意外と南米出身なんですね。

この最初の映画も好きなんですが、2作目はもう最高。お話し的にはかわいい、なんとなく先が見える展開なのですが、そこはねファミリー向けなのでしょうがない。この映画でいいなと思ったのは、パディントンの移民としての在り方とその心意気。ま、パディントンは見た目が熊なので明らかにロンドン街でわかりやすく、目立つ。その中で自信をもって、しかもみんなと戯れて楽しそうに生き抜いているんですよね。うらやましい。

これこそ自国でない人間が生きていく術だなと、深く納得できる映画です。海外に住んでいる人はぜひ、見てくださいね。

 

 

 

初めてのドイツテスト終了!!

ただいまーー。ドイツ語のテストから帰ってきました。正直、疲れました。やっぱり、力が入りますよね、初めてのテストって。朝9時から始まったのですが、僕の席が一番前の中央というなんとも素敵な席で。ちょっとびっくりだけど、前に誰もいないほうが集中できるのでよかったです。

リスニングテスト、リーディング、ライティングと順々にこなしていくわけですが、アラブ圏の子はどうもテスト中に私語をするのが当たり前なのか、何回か数か所で試験官の先生が注意していました。しかも中には、”今度喋ったら外!!’って怒られていた人も。あと、テストの終了後にもしぶとく書いている人もいて、試験官から強制的に回答用紙を取り上げられたり。なかなかの国の違いを見せつけられました。日本の学生時代はそう思うと私語もしないし、終わってなくても時間が来たらやめるしで、あれが当たり前だと思っていたけど国が違うとそれもまた違うんですね。

リスニングは第4部が難しかったけど手ごたえあり。リーディングはちょっと癖のある問題だったけどどうにかなったんじゃないかなー。文法は2回目の見直しの時に最初の自分の思ったこととどうも文章が違うのではと思ってかなりやり直して、それがあったっていれば良い点数かと。ライティングは難しいお題でなかったのですんなりかけた感じがあり、大丈夫なのかなって思うのですが。けどね、もしの時もここのセクションはいい点数を取れていたので。

問題はスピーキング。これはね、苦手。スピーキングは3セクションに分かれていて、自己紹介、写真の説明と質問に対しての応答、ペアを組んで出された課題で即興のダイアローグ。2人1組になって試験官2人と対面して座って始まります。僕の相方は21歳のあのいつも仲良くしてくれたシリアの子。この子はほんとうにくらすのなかでも1,2番で喋るのが上手。ボキャブラリーも僕に比べた圧倒的に豊富だし、うらやましいほど。そうなるとね、僕も何か考えないといけないなと。

実はこのテスト3つのくくりで評価が下るんです。リスニングとリーディングが一緒で1つとカウントされライティングがもう一つ、そしてスピーキング。どれか2つのカテゴリーでB1の評価をもらえば最終評価はB1。ただし、リスニングは絶対にB1でないといけないというルールも。僕は模試ではライティングとリスニング、リーディングでどちらもB1評価だったのですが、これでスピーキングでB1より下の評価だと総合評価は残念ながらB1にならない。。。。つまりはすべてはこのリスニングにかかっている、、、、。

僕の作戦は本当に単純なのですが、第一印象を良くして、笑いを入れながら楽しい子になる。というもの。だってね、それ以外取り柄がないんですから。

自己紹介はあいかたの21歳が最初に。スムーズに話していた彼、途中で姉と娘の単語を言い間違ってしまって試験官が、「うん?娘?あなた娘がいるの?」ってことになってちょっと調子が狂ったよう。だけど試験官の様子を見るとたいして問題にしているようでもない様子。なるほど、間違ってもそんなに気にせずに、そのまましゃべり続けたほうがいいな。と思ったのと、自己紹介の後に質問が。しかも短い答えだと次から次へと質問される。これは僕には困る、、、、。ということは一つの質問でそこから勝手に自分のわかることを長めに喋ろう。という作戦を立てました。

まずはどこで面白くできるかなというので、家族について自己紹介で言わなくてはいけないというお題があったので、「僕の両親は小さなお店を持ってます。米を売っています。なんてアジアらしいんでしょうね。」っていうと笑う試験官。あとは仕事について「ロンドンではフォトグラファーとして働いていましたが、ドイツではドイツ語を学校で勉強しています。いいクラスメートがいていいです。彼のように。」と21歳を指さして、なんとなくいい流れをつかんだ僕。質問はロンドンでフォトグラファーだったけど、写真はどうやって勉強したの?って1つだけ。自己紹介を眺めにして助かったー。

写真を説明するのは僕が先。ちなみに2人とも違った白黒写真をもらってそこに映ったものを喋るんです。例えば、写真に写る人が何を着ているか、背景や前景に何があるのか、どんな天気か、季節は、どんな感情が読みとれるか、そして何を彼らはしているのか。といったことを喋る必要があるんです。ただ僕はボキャブラリーが多くないのでなるべく物が少ない写真がいいなと思っていたら、3人の若者がひとりは電車に乗って、2人はどうも見送っているような写真。しかも着ている服も難しくないもの。それとつなぎ合わせて季節も言える。とどうにか乗り切りました。そしてその後に質問。あなたは友達が町の外にいて見送ったりする?ここだ、ここで何か印象付けなくちゃ。「友達いないんですよね。」はははと笑う試験官。その後に補足で1年間しか住んでいないので友達がいないけど、ユリ君と一緒に住んでいてユリ君の友達なら見送る。そこで、本当に僕は幸運だなって思うことは。実は試験官、今住んでいる町からきてたんです。なので次の質問が「あなたの住んでいる町にもドイツ語学校があるのにどうしてこの町まで通ってくるの?」なので、どうにか切り抜けられました。

そして最後の即興会話がね、何かうまく弾まなかったんですよね。うーん。どうなかな、、、、。ここでも21歳との会話で仕事をお試し期間みたいな制度がドイツにはあって、自分がその職業に合うか働いてみるというもの。それで21歳にどれぐらいの期間それしたい?と聞くと3ヶ月というので3ヶ月!!それは長い、僕には無理だ―。と大きめの声で言ったら試験官も笑ってくれたのでどうにかなんたのかなー。なんていい方向に考えています。試験官は最後までニコニコ笑顔だったんですが、結果はいかに。

もうね、これぐらいしか僕にできることはないんですよね、スピーキングの時は。簡単な笑いを取って明るく無邪気な人間で喋れることだけ喋って、試験じゃなくてお話に来てますみたいな感じで。あー、どうだろう。あの子性格良かったし、面白かったからB1ってならないかなー。

とうとうおしまい

今日でドイツ語学校が終了。最後の日はほとんど授業というものではなく、テストのスピーキングの予行練習と宿題のチェック以外はお別れパーティーで終了。それだから楽な一日ではあったのですがここにいるクラスメートのほとんどの人とはもう会うこともないんだろうなと思うと寂しいですよね。と書きつつ、9月1日にテストで会うのでもう一回は確実に合うのですがテストの日はみんなそれどころではないし、終わる時間も最後がスピーキングテストなのでまちまち。僕はラッキーなことにスピーキングのテストは2番目。なので正午までには終われるかと。これ遅い人だと午後4時なんですよね。

最後の日、というかここ数日あるグループの間でなぜ僕が独身なのかという問題が浮上してて。何かあるたびに冗談で、「どうして結婚してないの?」ってことごとく聞かれていたんです。僕の良く喋る21歳のシリアの事は前にゲイについて話していたのですが、特にそれから詳しく聞かれるわけでもなく、彼がほかの人に話わけでもないようで僕がゲイということは気が付かれていないよう。それで僕と一番遠くに離れているグループのおばちゃんが、「Takはガールフレンドもいないのは、もったいないわ。探してあげるわね。」と言われていたので実はちょうどクラスが終わってホッとしている自分もいるんですよね。

日本でも一時帰国すると親せきとか近所の人に言われる、「いつ結婚するの?」発言がまさかドイツで再燃しようとは。どうして結婚したおばちゃんたちは独身の人の恋人探しに一生懸命になるんでしょうね?興味深い。

そうそう、お別れパーティー用に僕はブラウニーを焼いていったのですが、これがあまり人気がなくて。確かにビターチョコレートで作ったし、レシピよりも砂糖は少なめにしたけど甘さはあるんです。ただね、考えてなかった食べるほとんどの人たちがアラブ系だってこと。

アラブのお菓子って食べたことあります?バクラヴァとか。食べたことがある人はわかるでしょうけど、甘さが半端ない。ちっちゃなサイズでお腹いっぱいになる甘さ。なので、僕のブラウニーを食べたアラビア圏の人から、「甘くないお菓子なのね。」のと評価が。うーーーん。砂糖3倍で作るべきだったかな。

21歳君もお菓子を作って来て、僕にまあ特大ピースをくれたのですが甘かった。味はおいしんです。ただね、特大ピースは頑張って食べなくてはという感じ。帰り道は砂糖の過剰摂取のせいか気分があまりよくなく、、、。これも文化の違いですよね。けどそのぶん余ったブラウニーをもって帰れたのでよかったかな。

テストまではあと10日。苦手なスピーキングの練習をして頑張れるように努力をしようと思います。

 

ノスタルジアとメランコリー

あと3日で僕のドイツ語学習もひと段落。そうなんです。4月から始まって4ヶ月ほど、あと3日で3つのコースをすべて終えて9月1日のテストで一区切り。どうだろう、早かったような気が今となってはします。

最初の日なんて全く思ってドイツ語での授業が分からなかったんですよね。先生が言っている多分こんなことだろうなとか、教科書に書いてある単語のほとんどがわからなかったし。それまでにドイツ語を勉強したのはケータイのアプリのみ。ただね、ちゃんと基礎問題を何回もしてはいたんです。だから基礎的な文法は頭にあったし、そのアプリで出てくる単語な知っていたのですが、その他はまるで。なので、最初は周り子たちがドイツ滞在2-3年で単語もよく知っているしで絶対的に落ちぶれ者だったんですよね。

それが4ヶ月経って、先生やクラスメートの助けもあって教科書も理解できるし、ドイツ語で手紙を30分で特定の条件をふまえて書けるようになるのですから、人間の能力ってすごいなって思います。もちろん、ドイツ語だけでなくクラスメートを通してイスラム教や、アラブ語圏内の文化について知れたのも大きな収穫でした。それが後3日。正直、寂しいものです。僕が今住んでいる地元の学校ならコースが終了してもまた遊べるのですが、今通っている学校は前に住んでいた町にあり30kmほど離れているのでちょっと会えるのも難しいのかなって。

僕の喋るドイツ語はまだ歩き始めた赤ちゃんのような足取りであるんですが、それでも少しづつ自分が聞きたいことを尋ねることができてきたし、相手のことも理解できてきているんですよね。それでもドイツ人からしてみれば、「あんな不思議なドイツ語で、よくコミュニケーション取れているね。」と思われているんだろうなって。だけど、そこは母国語をドイツ語としていない僕たちの強みでもあるんですよね。この人が言いたいことは何だろうって全神経を集中してそれを理解しようとしているからこそ、間違った単語でも、間違った文法でも、なんとなく理解できる。お互いを理解したいという思いは誰にも負けないなって思います。

ドイツ語の中でも英単語はよく出てきます。ドイツ語は結構大胆でスカイプを動詞として使ったりするんですよね。大胆!!スカイプは日本語ではどんなんだろう?「昨日友達とスカイプで2時間話した。」か「昨日友達とスカイプ2時間したよ。」ですよね、なので動詞としては使われないですよね。ドイツ語の場合は「昨日友達と2時間スカイプったよ。」みたいな文章ができます。そう思うと、グーグルって英語でも、ドイツ語でも、日本語でも固有名詞から、動詞に発展した凄い例かも。日本語で、「これわかんないから、ググろう!」って言いますもんね。英語もドイツ語もこれは可能。すごいなグーグル!!

けど時代とともに元の言葉が変わちゃったり、言葉が輸入されたときに間違った訳をされてそれが定着しちゃったってことありますよね。

日本の中にもあって、時々びっくりするものがあるんですよね。ナイーブがいい例かも。日本では純粋、繊細みたいな意味がありますよね。それだからかナイーブというボディソープも昔あったのを覚えています。ただね、英語のナイーブは世間知らずという意味であまりいい意味ではなくて、どちらかと悪い印象を与える単語なんです。なので、ユリ君のような繊細そうな人に、「あなたナイーブね。」というと「世間知らずで、未熟者だね」ということになるのでご注意を。あとは、アグレッシブかな。アグレッシブって確か日本語ではいい意味ですよね?活動的とでもゆうのかな?ただ、英語ではこれもマイナスな言葉。高圧的で、我が我が!!という感じの性格の事。なので面接で間違っても、「私はアグレッシブに行動します。」なんて言わないようにしましょうね。

メランコリーはどうですか?僕の中ではこの言葉、ノスタルジアと重なる部分が多いのか何なのか、昔を懐かしむみたいな意味で思ってたんですよね。昨日訪れた店でノスタルジアを感じて自分の子供のころを強く思ったためか、今日はメランコリーだよ。」みたいな文章をどこかで読んだのかな?それだからか僕の中でノスタルジアとメランコリーが同意語みたいにおもっちたのですが、メランコリーって気分が滅入っているうつ状態のことを表す言葉なんですよね。それを知ってびっくり。こんな勘違いしている言葉って実は自分の中に色々とあるのかもしれませんね。

ドイツ語では僕は何を学び、何を間違って覚えていくのかな?それも楽しみの一つだったりします。

自分の母国語で話さないということ

1週間がやっと終わりました。そう、まだ木曜日なのですが僕のドイツ語コースは木曜日なのでちょうど今一息ついているところなんです。最近授業内容が試験に向けてのものが多くて、毎日フル回転で頭を回らせているためか家に帰りつくころには結構、疲れているんですよね。意識が半睡しているような状態で、間違ってしまうと深い眠りに落ちてしまうような感じなんです。宿題や予習は電車を待つ間と、電車の中で。家に帰って来てからは、作文とリスニングをしてます。単語力がないのが悩みなのですが、テストまであと2週間ほど。単語帳を作ったりして覚えているよりかは教科書やリスニングなのでわからない意味の単語を推測してそれに対応していくのが一番かなと思ってます。そんな集中的に勉強しているためか、ドイツ語の脳みそが最近一気に活性化されたように思うんですよね。

語学学習をしている人は経験があると思うのですが、レベルの見えない壁みたいなのがあるんですよね。あるときはどんなに勉強しても自分の学力が伸びてないように感じて、まるで同じレベルにずっといる、または後退しているように感じる。だけどある日突然に、”あれ!結構自分の言いたいことを言葉にできてる!!”って気が付く時があるんです。それが見えない壁を越えた時。残念ながらその次にもまた壁が、そして次が来るんですけどね。この壁を乗り越えるとちょっと今まで見えた景色も違ってくるから面白い。これが語学学習の醍醐味の一つだと僕は思っています。

今はドイツ語を勉強しているわけで、家の中でも最近はドイツ語でしゃべることが多くなりました。けど面白いことに僕がドイツ語でしゃべってユリ君が英語で返すみたいなことが多々見られます。

ユリ君のおかげで僕は毎日のようにドイツ語を喋ることもできるし、毎日書く作文の添削もしてもらえます。本当に語学学習としては有難い環境。

ユリ君と一緒に住み始めてからもうすぐで1年。時に意見のぶつかり合いはありますが、ケンカは一度もないんですよね。特にユリ君とというわけでもこれはないのですが。ミニの時も僕たちはケンカしたことはなかったので。けど、僕たちの関係って面白いなって思います。僕の母国語でもない、ユリ君の母国語でもない言葉でお互いにしゃべってそこからお互いを理解していっているので。

ミニの時とはまた少し違うんですよね。ミニちゃんは英語が母国語なので、自分の心にある感情を母国語にすんなりと乗せればいいわけで。ただ僕たちの場合は自分の知っている英語の単語の中で自分の感情と近いものの言葉を選んでそれで気持ちを伝えることになる。そして勿論、そこには少しの誤差がでる。

その誤差が出ていくのは怖いなって昔は思っていたんですよね。だからイギリスで付き合うなら英語のネイティブのほうがいいなって。けどね、ユリ君と出会ってお互いの母国語でない言葉でコミュニケ―ションをとる時に相手の本当に言おうとしていることは何なのかを真摯に考えているなってことなんです。行間を読むというのでしょうか。そしてお互いの母国語ではないからこそ、相手がわかりやすく理解するにはどのような説明が一番かを考えているのも素敵だなって思えます。ユリ君には僕の価値観は持っていないのは当たり前、じゃ違った価値観の人にどのように、どの言葉を使って、どんなジェスチャーで、どんなボディーランゲッジで伝えるのが私費版いいかを日々考えて生活しているように思います。だから、ケンカもないのかなって。

どうですか?例えば日本人の自分の恋人に、”これぐらい日本人ならわかるでしょ。”って自分の価値観を押し付けてませんか?同じ国で生まれ育ったとはいえ、北海道と九州では生活習慣も変わってきますし、親の考え方でその価値観もかなり違うはず。だから僕は思うんです。同じ国で育っていても、自分の価値観と比べれば他人は誰でも外国人のようなものだって。そうやって接していけば意見が食い違っても、”違った考えで生きてきたんだからしょうがないよね。じゃ、どんな考えをしてるか教えて?”ってなれると思うんですよね。

まだまだ僕とユリ君の関係は謎に満ちていて、お互いに色々なものを心の奥に秘めているので、これからの関係が楽しみでなりません。

 

入院とその記憶

ドイツ北西部は先週末から本来のドイツの夏の温度に戻りました。今日も最高気温は20度。ね、寒いでしょ。日本に住む母から今日、手中お見舞いが届きまして、日本は暑いようですね。しかもまだ8月半ば。残暑があまり厳しくないことを祈ります。

昨日は週末に作れなかった手巻きずしを夕飯に。祖母がお盆でケアホームから帰ってきているということもありテレビ電話をしてたのですが、ついついご飯を炊いていることを忘れてちょっと長めに、、、。ちょっとというか10分ほどオーバーしました、調理時間。そうなんです。僕、炊飯器持っていないのでコンロで鍋に入れてお米を炊いているんです。最初は難しいかなと思っていたのですが、このやり方でも美味しくできますよ。

沸騰したら弱火にして20分。その後、10分蒸らせば出来上がり。寿司酢を作って巻きすで巻いて、お皿いっぱいの手巻きずしが完成。それを遠目から見るユリ君。ひとつ前のブログに書いたようにユリ君はそんなにお寿司が好きでないので、、、。ただ、週末様に買った具材があるので使わないわけにはいかないのです。

サイドでサラダを作って、”スープもいる?もしかしたらお寿司食べれないかもしれないから。”と聞くと、”もしお寿司が食べれないなら、僕はパンを食べるから大丈夫。”とのなんともヨーロッパ人な回答をくれたユリ君。

カリフォルニアロールを恐々と口に入れて、なかなか噛もうとしない。もしかしたら海苔の感触かな?なんて見てたのですが、心配しなくてもその後は全部完食。多分自ら寿司を食べたいと発言はないにしろ、これからの夕飯のメニューで出しても文句は言われなさそうです。

さてさて、日本の家族が今、少しだけ、大変。

というのも妹の娘、僕の姪が入院をしているからなんです。何日か高熱が出て、首の耳の裏の辺りに膨らみができたらしくて、病院に行って診察を受けたら川崎病だったんだそうです。

川崎病、赤ちゃんがなることが多いのですが、時に小学生の低学年でもなるんだそうで、姪は8歳という遅い感染。実はこの病気、僕も幼稚園の年長さんの時になって入院したことがあるんですよね。なんでもいまだに原因不明で、もしかしたら遺伝もあるのかななんて今回の姪を見て思ったりもしました。

僕の時よりも少し症状が重いようで、大変そうなのですが今は薬品が聞いていて落ち着いているよう。ただ、不整脈や動脈瘤が気がかりなところ、これからもう少しの間は気が抜けないところです。

僕は5歳ぐらいだったのかな。最初の覚えているのはお母さんに緊急外来で日赤病院に行き、そこですぐに入院をしなくてはいけないことを言われたこと。一人で病院にいるのは嫌だなって思って泣いたこと、日赤の毛布が柔らかかったこと。

子供ってなれるもので、その後は川崎病の症状で唇が乾燥してひび割れて痛かったのと、夜中に点滴の針がずれて痛かったのが辛い思い出で、あとは楽しいことばっかだった記憶しかないんですよね。

優しい看護婦さんが聴診器を貸してくれた事。多分もう使わなくなったもので、それをぶら下げて病院を歩いていたら他の科の先生に呼び止められて、どうして聴診器を子供が持っているのか問いただされた時はびっくりしましたが後で看護婦さんが、’あの先生は意地悪だから気にしないでね。”と言って優しかったり、小児科病棟の就寝時間のアナウンスと、温かなおしぼり配り担当になったこと。お風呂にいつも入れないので子供たちはこれで顔や腕などを拭くんですね。結構な子供たちが、しかも赤ちゃんからティーンの子までいて面白かったし、その中に中学生か高校生のお兄ちゃんがいて物凄く絵が上手で、その一枚をくれたこと。その絵は今も僕の家のアルバムの中に貼ってあるんですよ。

あの時は何も考えていなかったけれど、みんなが何かしらの病であそこにいなくてはいけなかったわけで。どうなのだろう。今もあの子供たちはみんな元気になって僕のように大きな大人になったのかな?

僕の姪にとってもこの川崎病を乗り切って、’あの時はこんな楽しい思い出があったな。’って過去振り返ると思えるような入院生活になってほしいなと思うばかりです。

週末と模擬試験結果

結局は腹痛の友達は来ることができず、土曜日にブレーメンから2人の友達が遊びに来てくれました。また、犬も2匹。このうちの1匹にはあったことがあるのですが、もう1匹はまだ子犬で初めての面会。まだまだあどけなさが多く残るやんちゃ娘でした。

犬の散歩もかねて北海へと移動。ここにはね、人間のビーチのほかに犬用のビーチもあるんです。人間用は犬は立ち入り禁止で、犬用のビーチでなら波打ち際や遠浅の海を思いっきりひもなしで走り回れるんです。日本も飼い犬が多いですよね、ドイツも多いんです。退職した夫婦は小型中型犬が多く、若い夫婦などは大型犬と子供を一緒に散歩させたりと様々。本当に、”でかい!!”って思う犬も時に見てびっくりしまうす。どの犬もちゃんと躾がされているようで、鳴き声や吠える声がたまには聞こえますがケンカや噛み合ったりということもなく穏やかな風景が。

夕飯はバーベキュー。これ用の肉は事前に買っていなかったので余分に余ることはなかったのですが、アルコールや他の食材は前もって買っていたので今でも山のように食料品が冷蔵庫の中に。ただ、ティラミスは好評で全部なくなってしまいました。今回のティラミスのほうが前回に比べて3倍美味しかった。なぜなのかな?やっぱり少し寝かせるのが大事なのかも。

今日の夕飯は週末には作らなかった巻きずしを作ろうかと。ユリ君にその旨を伝えると、あまりいい顔をしなかったんですよね。どうやら寿司はまだ好きになれないみたい、、、。贅沢者ですよねー。僕だったら顔を輝かせて喜ぶのに。というか僕は基本食べ物は何でも好きなので、何言われても喜ぶんですけど。

そして今日、学校に行って来たんです。そう、木曜日の模擬テストいらいの授業。今日は課外授業だったのですが、その前にテストの点数発表が。

ドイツとかなので、テストの点数を個人的にくれるのかと思っていたら、、、、、。なんと、プロジェクションで教室のスクリーンにみんなの点数が出るというもの。

僕はUで始まるので名簿も最後のほう。画面いっぱいに映し出されるみんなの点数。僕のは、、、、。

あれ、いつもの場所にない。しかもよく見るとどうやら名簿順でなくて、成績順。つまりは点数がよかった人から順番に。

僕の中学、高校でもこんな成績の張り出しはなかったのに、まさかドイツでその洗礼を受けるとは。

それでね、どうしたことやら僕の点数。クラスで1番だったというね。ただ、僕の苦手とするスピーキングは今回なかったのでリスニング、リーディング、そして作文からの点数のみ。リスニングとリーディングが45点中の38点で、作文が20点中18点。どちらもB1レベルと判定されました。

ただね、本音を言うと1番にはなりたくなかったな、って。なぜかというと僕はこのクラスで新参者だし、そんなにたくさん喋れるわけではないんですよね。ほとんどのクラスメートがドイツに来て2-3年住んでいてボキャブラリーも豊富だし、よく喋れるのは事実。そしてその中の数人は結構自信をもってこのテストを受けていると思うので、ドイツに来て1年たつか経たないかの意味不明なドイツ語をしゃべっているような僕の点数が上だったとなるとね、、、、。何となく居心地が悪い。

どうなのかな、、、。運がよかったというのもあるお思うんですよね。詳しい解説は明日なのでわからないのですが、いまちょっと肩の荷が重いんですよね。

あくまでもこれは模擬試験なので、本番にミスしないように頑張らないとだし、苦手なスピーキングを頑張らないとね。ユリ君ともなるべくドイツ語でしゃべってはいるのですが、語彙が増えないんですよね。30代も後半だと覚えても、次の日には半分は忘れているといううね。ちなみに、スピーキングがこのテストで1番大事で他のジャンルでB1レベルの合格点が出てもスピーキングがB1レベルでないとB1合格には認められないのです。

点数にはもちろん満足なんですけどね、ちょっとだけクラスの中での微妙な立ち位置になちゃったなって。あまり気してもしょうがないですよね。頑張って勉強しよっと。