雪の中を散歩に

週末の初日ですね。オーストリアは外はマイナス6度ですが、雲一つない青空が広がっていて反射する雪が眩しいほど。1mほどの積雪ですが、さすが雪国。電車もバスもすべて平常に動いています。これがロンドンだったら交通マヒは免れないでしょうね。数年前に雪が10cmほど積もったことがあって、その時は電車もバスも動かなくて家に帰るのもままならない状態に。この前の積雪でも東京は大変だったみたいですしね。

小石が歩道には撒いてあって氷で滑らないような工夫がしてあったり、屋根には雪が一気に落ちてこないようにストッパーがついていたり、軒が長めに作られ1階から3階までの家の幅が同じだったりと雪国ならではの生活の工夫がいたるところに目に留まります。

今日はブログでよく登場する、ミニ、マーロン、Kちゃん、A君が僕たちに合流します。ロンドンから夕方の便でオーストリアのザルツブルクに到着予定。ユリ君がみんなを空港に迎えに行っている間、僕は次のホリデーアパートで夕飯づくりをしてみんなを迎えます。ちなみに今日の夕飯はユリ君直伝のボロネーズソース。

明日からユリ君が先生となって僕たち初心者5人にスキーを教えてくることになっていて、昨日と今日はユリ君は1人でスキーをしに出掛けています。なんでも2年ぶりのスキーなので張り切りようが違います。今日も朝一でご飯を済ませて8時過ぎの電車に乗ってスキー場に。昼過ぎにスーパーで合流することになっています。

という事で、昨日は僕ひとりの時間を過ごしました。午前中はショッピングリストや日記などを書いて過ごし、昼過ぎに太陽が顔を出してきたので散歩に出かけることに。前の日に川の横を走る歩道を見つけたのでそれをたどっていくことに。

目指すはこの奥に無得ている山のふもと。雪がいたるところにあるんですがこの歩道は雪がちゃんと踏み固められて歩くのも苦になりません。すれ違う人たちに挨拶をしながら進んでいくと途中でノルディックのスキーレーンが。何人かの人がこの自然美あふれるコースをスキーで移動していましたがみんな結構年配。散歩をしている人たちも60代ぐらいの人が多くて、元気の良さがうかがえました。

太陽が出ていると雪に囲まれてはいるものの結構な温かさになすんですね。途中でかぶっていた帽子を脱いで、ジャケットの前は開け放って冬の外気を取り入れました。

ここオーストリアのスキーリゾート地はおとぎの国から抜け出してきたような家々で溢れています。木をふんだんに使っているので日本人がなじみも持てるのではないでしょうか。

 

歩くこと2時間。ホテルに戻ってきました。大体のコースは事前に地図を見ていたので頭に入っていたのですが、困ったら携帯の地図で確認すればいいやと気軽な気持ちで出かけたこの散歩。至る所に道案内の標識がたっているので携帯を見る必要もなく、しかも予定したコースが日陰だったので途中で違うコースにして進んでいたら、うまい具合に僕たちの滞在するホテルに戻って来ることが出来ました。

この町、教会という名前が町名に入っていてそれも納得しました。だって、遠くから少し高台に建てられた教会が見えるんですから。その建物を頼りに戻ってこれました。

この詩をを基調に黄色と緑の色鮮やかなアクセントカラーを配色した建物が教会です。カトリック教会と思われ、なかなかの装飾です。

気が付くとそこは雪国

はやいもので1月も終わりなんですね。ほんの少し前に年明けだと思っていたのに。時間がたつのは年齢を増すにつれて早くなるというのは本当のようですね。けど、皆さんも週末を迎えてホッと一息といったところなんじゃないでしょうか。

そういえば、ドイツ語クラスの案内が送られてきましたよ。僕のレベル4クラスは3月5日から。という事は、あと1ヶ月ちょっと、それまでは自学で頑張っていこうと思います、

今窓の外を見ると、雪、雪、雪。積雪は1m以上かな。、、、っていつものドイツの風景ではない。そうなんです、今、オーストリアにいるんです。なので、ブログがこの数日間は書いていなかったのもそのため。

水曜日の昼過ぎに出発をしてドイツの日本として有名な都市、デュッセルドルフへ。この都市、総人口の1%が日本人なんですよ。すごいですよね。確かにホテル日航はあるし、日本の書籍を扱う本屋さんやスーパーも。同じドイツでも僕の小さな町とは大違いですよね。道を歩いていても日本語でしゃべる人たちもいて、”都会だなー。“って思ってしまいました。それに、英語が街で飛び交うのも多く聞こえて、ユリ君もこれにはびっくりしてました。僕の町では英語を聞くのも稀なので。ところ変わればですね。

夕飯は、おにぎり屋さんで食べました。確かここのお店、日本のテレビで紹介されていたんですよね。僕はおにぎりの梅と、天丼。ユリ君は大好きなカツカレーを。僕のはおいしかったのですが、あんまり浮かない顔のユリ君。なるほど、カレーの味が薄い。“カレーはTakのほうがおいしいね。”と決して不味いとは言わないユリ君にその人柄を感じました。それでもちゃんと食べきって偉い。

なぜデュッセルドルフに立ち寄ったかというと、ここの駅からオーストリアに向けて夜行列車が出ているんです。これに乗って僕たちは国境越えをすることに。実はね、車で頑張って運転したほうが圧倒的に早いんですけどね。夜行電車に車を乗せる前についてからのナビをセットしたんですが、デュッセルドルフから休みなしで運転すれば目的地のホテルまでは7時間ほど。夜行列車だと到着が翌朝の9時なので12時間ほど。だけど、電車の中で泊まれるというのは楽しみだし、僕は初めてなのでそれだけで旅気分も増量。

 

いざ乗り込んだ車両。僕たちの部屋を見つけてはいると、“結構な狭さだね。”という狭さ。座って足は延ばせない、、、。それでも、スパークリングワインや水、タオルやスリッパなどのウェルカムバッグがあったり、お湯が出る洗面台もある。あとで、係の人がベッドを作ってくれたら、そのほうが空間を有意義に使えてよかったです。ベッドだと足を延ばして二人で座れるし、2段ベッドだからほかにもスペースができるので。ただ、眠るのはいくらベッドでも動く電車だと難しいんだなって思いました。浅い眠りで何度も何度も起きてしまったので。

ミュンヘン駅で止まって、その後少し行くと電車が予定外の駅で止まってしまいました.なんでも線路に異常があったらしくしばらく待たないといけないとの事。ちょうど朝ごはんが支給されたところだったので、揺れる電車の中で食べるよりは楽だねと言い朝食終了。けど、動かず。結局、2時間と少し遅れて到着駅に。

 

2時間遅れたのですが、悪いことばかりではなさそう。なんでもEU内の法律で2時間以上の遅延の場合は支払った50%の料金が手続きをすれば戻って来るそうなので。

 

オーストリアに入る前から少し前から雪があちらこちらに見え始めました。けど、オーストリアに入ってどんどん進むとその雪の量も増えるのですが、美しい山、山、山。未定ながらマグリットのの描く山に似てるなと思いました。日本にはない感じの山なんですよね。雪と岩のコントラストが素晴らしくてじっと車窓から見入っていました。

1月10日だけど、年明けの話。

昨日ブログを書いた後、ちゃんと走りに行ってきましたよ。けど、寒かった!!特に走り始めは、”なんでこんな寒いのに、外で走っているんだ!!”なんて自分に悪態をついていたのですが、のど元過ぎれば熱さも涼しで、途中からはニット帽を取って頭の周りに涼しい風を通しながら走りました。寒いので汗をかきにくいのは冬のランニングの利点ですね。

今回は運河沿いの道を9kmほど走ったのですが川や運河などの動いている水はいつものままでしたが、ため池や道路わきの水たまりは完ぺきに凍っていました。カモやガチョウなどは寒いからなのか水の中にはおらず運河沿いのあぜ道や氷の上で休んでおり、その氷も厚さ5cmほど。寒いですね、やっぱり冬は。けど、天気は良かったので走っている間、暖かな太陽光を全身に感じることができました。

そして引っ越し。土曜日にアパートの見学に行けることになりました。どうなることやら。僕の頭の中ではどんな家の雰囲気にするかは決めているんですが、ユリ君に言っても大体の回答がわかるので自分の中に秘めていることにします。不動産の間取り図とか写真を見るのって多分僕の趣味なんだなって思います。探していない地域でも、”参考になるかも。”って見始めて普通に2時間ぐらいていられるので、、、。ここに住んだら、こんな気持ちになるんだろうなとか、こんな家具を買いたいなとか、この部屋のこの部分を僕専用の読書スペースにしたいなとか。本当に妄想の世界。それが楽しいので、これも趣味の1つなのかな?

さてさて、クリスマスと年越しの話が途中でしたよね。もう新年が開けて10日が経っているというのに、、、、。これで最後にしますね。

ユリ君の両親の家に1週間滞在したのちに、車を運転すること4時間。ドイツ中部の山の中に移動をしたのが12月30日。なぜ山奥に?実はユリ君の親友の一人であるD君が結婚を去年して、新居をこの山の中に買ったからなんですね。もともと農家だったそうで、昔の農家の納屋も家に併設されているし、見渡す限り所有地という広さ。ここを5年くらいかけて改築するのだそう。

大みそかの日はチーズフォンデュをすることになっちたのですが、午後のお茶をD君の両親の家に飲んで、フォンデュ用のチーズもそこで切ろうという事に。犬2匹、赤ちゃんひとりと大人4人で小さな山を越えて徒歩で向かいました。片道1時間くらいなのでそんなに遠くはないのですが。

僕の住んでいるドイツはどこまでも平らな土地なので、日本で山育ちだった僕にはこの山のある風景がとても懐かしく思えました。

D君の家に来たのも初めてですがD君の両親に会うのも訪れるのも初めての僕。最終ゴールがわからないまま、ただひたすらみんなについていくだけ。そんな時に4階建てほどの家がどうやら3つ繋がっている建物があって、”うわー。こんな家には何人ぐらいの人が住んでるんだろうね、ユリ君?”って質問すると僕の質問には答えずに、”D君、何人だっけ?”って聞くではありませんか。なるほどね、ユリ君が前にD君の両親の家は素敵だったと話していて、その時は庭からの良い眺めの写真だったので見晴らしがよいのだと思っていたのですが、豪邸ってことだったんですね。

長年にわたって大きくしていったらしく、今は10人が3世代で暮らしているのだとか。最上階にある今からは街を一望出来て、”このままここに住んでもいいですか。”っていうほどの眺めの良さ。D君のお母さんが沢山のワッフルを焼いてくれたし、そこに住んでいるみんなとも会えて会話も楽しめました。

日が暮れかけ始めたのでまた、1時間かけて山道を歩いて帰ることに。途中で少し獣集がしたので、”猪かもしれない。大きい声でしゃべるのよ。そしたら大丈夫だから。”と、今年ハンターの免許を取ろうとしているD君の奥さんのNちゃんがいうので大声で懐中電灯の明かりだけを頼りに真っ暗な森の中を抜けて家に帰りつきました。

チーズフォンデュの後、モノポリーをしてその後にカウントダウン。その後は何もない田舎なので、すぐに就寝。

次の朝はかわいらしい生まれて3か月半の赤ちゃんの写真と家族写真を撮って僕たちは帰路につきました。

 

 

 

今更ながらのクリスマス

昨日の天気とは打って変わって、嵐な天気が窓の外には広がっています。昨夜にユリ君が、”明日は嵐だから家の中にいたほうがいいよ。”と言われ、今朝起きたときには青空も見えたので疑っていたのですが、ちゃんと到着したようで家の前の木々が大きく揺れています。雨は時折強く降るほかは穏やかなのですが。この地域は冬に嵐が多いのかもしれませんね。

僕たちがユリ君の両親にいたときにも嵐がやってきました。風が大きな音を立てて庭を吹き抜けて、低地の土地が大きな湖になっているところも。多分日本とは違った”嵐”なんですよね。鉄砲水が発生することもないし、土砂崩れも起きることも少ないんです。日本だと台風がよく上げられますよね。それで、台風が来るときは風が強いし、一旦いなくなれば台風一過で青空が広がって、”台風は通り過ぎたんだね。”ってわかりやすいのだけれど、どうやらここの嵐は数日の単位で途切れもなく、時に収まりながら時に激しく続くようで。風がそこまでない日にユリ君が”今日も嵐だって。”っていうので、新しいのが来たんだね。と返答したら不思議な顔をして、”え。前からの続きだよ。”って言われてしまいました。嵐って言葉をきょつうはしているけれど、その細かな事は僕とユリ君では少しだけ違うみたいです。

特に嵐における被害名はいのですが、よくあるのは倒木。

台風やハリケーンがないこの土地では少しの強風で恐ろしいほどの木が倒れます。土の中の水分が飽和になって根が風に持ちこたえれないのも原因かもしれませんね。本当に畑の境界線の木が数本一気に根っこごとなぎ倒されているんですよね。多分今日もまたそれが起きるのでしょうね。今日は静かに家の中に待機することにします。

さて、話をクリスマスに戻します。皆さんは最後のお正月気分を味わっているというのに、話を去年まで戻してしまうのは心苦しいのですがお付き合いを。

23日の夕方にユリ君の両親の家について、4人だけの夕飯に。イギリスは25日のクリスマスの日に大事な昼食兼夕食がありますが、ドイツは24日のイヴの方に重きが置かれます。今回はユリ君の両親の家に集まれたのは僕達と、ユリ君のお兄ちゃん。お兄ちゃんは知的障害があって普段は施設にいるのですが、この日には帰ってきます。今回は僕とユリ君がお迎えに行くことに。車で40分ほどのところに。今までお兄ちゃんが道中に色々と困らせたことがある経験談を他の兄弟から聞いていたのでいったいどうなることやらと心配したのですが、大人しく家に着くまでしてくれていました。

お兄ちゃんは家族の中で一番大きいんですよね。ユリ君と僕が183cmで、それよりも大きいから190cmぐらいあるのかな。僕とは前に一回あったことはあるのだけど、覚えているかは微妙な感じ。話は聞き取れるみたいですが、喋るのは少しの単語だけ。それでも、ユリ君の両親がクリスマスに毎年恒例に行う歌を歌う会には参加。ユリ君がピアノ、お父さんがギター、残りの人は歌です。もちろんドイツ語で聞いたこともない歌なので、僕は何となく歌ってる感じを出してその場をしのいでいるのですが。歌詞カードもちゃんと用意されています。

夕飯はお父さん手作りのサーモン。スモークサーモンっぽい感じで、いろいろなハーブにつけてあるようです。これを北欧では絶対的なマスタードと多分ディルの入ったものをつけて食べました。お母さんは普段はデザートを作らないのですが、年に一回だけこの日のアーモンドのケーキを作ってくれます。これが絶品なんですよね。今年は参加者が少ないから僕達でたくさん食べれました。

今回僕は阿蘇で買ってきた一輪挿しをお父さんとお母さんにプレゼント。お父さんとお母さんからは僕とユリ君を週末のカヌー旅行にご招待というプレゼントをもらいました。

前までは英語で語りかけてくれていたお母さんも、”あら、ドイツ語喋れるようになってきたわね。じゃ、ドイツ語で。”とゆっくりとわかりやすいドイツ語で話しかけてくれて勉強になりました。ただ、どうしてもわからないときは英語で説明をくれるんですけどね。お父さんはほとんど英語を口にせず、時にドイツ語でぼそぼそって聞かれて”いったい今のは何かな?”ってかなり周りの状況と聞き取れた単語を頭の中で整理して、”たぶん、夕飯のドリンクは何を飲むかだな。”と自分なりの答えを出してから、答えていました。いつも頭がフル回転のために、毎夜ぐっすり眠れたのは言うまでもありません。

今回ユリ君のクリスマスのテーブルに敷かれていたクリスマスのマット。かなり大きめなのですが、素敵だったんですよね。

刺繍が施されていて、手作り感があふれているし、この光の表し方が芸術的だなって思えて。この写真を撮っていたらお母さんが、”これはね、私のおばあちゃんが手作りしたものなのよ。おばあちゃんが無くなったのが40年前ぐらいだからかなり前に作られたものなんだけどね。”と教えてくれました。あまりにも僕が感心していたので、”実はまだ色々とその季節ごとにあるのよ。このクロス。よかったら持って帰る?”と言われもちろん首を縦に振りました。

上のとは違ったクリスマス柄のものを一つと、春の小花を散らした紫がメインのものを一つ譲り受けてきました。

僕たちの家には今のところこれを敷けるダイニングテーブルはないのですが、将来は特別な行事の時に使おうかなって考えています。

真冬と雪だるまとクリスマス

このブログを1週間ほど休んでいた間に、一気に冬の度合いが増したヨーロッパ。本当に極寒とういう言葉がふさわしいような真冬の日々。風も強いのもあってその寒さが増して感じられます。

皆さんは元気に過ごしていますか?風邪とか、体調崩していませんか?師走の忙しさに何かと自分の体調がおざなりになってしまうこの季節、ご自愛ください。

さて、昨日ロンドンから帰ってきました。帰りは飛行機の時間が1時間遅れたり、自分が乗ろうとするその目の前で無情にも電車の扉が閉まって寒いホームで次の電車を1時間待つなどありましたが、どうにか午後の4時には家に帰りつきました。ほっと一息。

ロンドン滞在中は歯医者さんに行ったり、確定申告をしたりと何かと忙しい日々で途中でブログを書こうと思っていたのにそれもできないままに、、、。

実はイギリス、僕がいる間に大雪に見舞われて。前の夜まで雪など1つもなかったのですが起きたら一面の銀世界になっていました。

これ、ロンドン郊外のミニの家から景色なんです。かなりの積雪でしょ?一番積もったところでは30cmだったのだとか。ミニの町は15cmぐらいだったかな?真っ白の音のない世界がいつもある日常の景色を様変わりさせる面白さが、雪の日にはありますよね。

この上の写真をよく見てもらえるとわかるのですが、庭の真ん中に何かがあるのわかります?そう!雪だるま。

ミニ、マーロン、僕の3人で朝から頑張って作りました。最初は寒さが気になったけど、体があとからはポカポカと温まってかなり熱中して作り上げました。ミニが一番張り切って、”等身大の雪だるまを作る!!”と言ってこの作品が出来たのですが。どうだろ、150cmくらいあるのかな?3人ともやることが子供でしょ?けどね、これは本当に楽しかった。童心いつまでも持っておいて悪いものではないなって思いました。

ミニの家もクリスマスの雰囲気がたっぷり。今年はクリスマスのディナーをミニの妹家族を呼んでするそうで、大きなクリスマスツリーも購入してましたよ。生の木なので、香りもしてクリスマスの雰囲気を盛り上げていました。

そんな雪の中、KちゃんとA君が遊びに来ました。あまりの雪のためにミニとマーロンは、2人を駅に迎えに行ってきました。途中で買い物もしてきたようで、手には大きな荷物が。じつはミニの家に着くには最後に心臓破りの急な坂を上らなくてはいけないんですよね。普段でも息が上がるその坂に雪、、、、。僕は家でのんびりとお留守番。

かなりの時間、帰ってこないので外を見ながら待っていると帰ってきました。

道路も何も見えなく来の雪の量。ミニの足の間にはKちゃんとA君の愛犬ハニーの姿も。

その後はみんなで楽しい昼ごはんと、確定申告を終えてあとは穏やかに過ごしました。

やっぱり、イギリスに帰ってくると心落ち着きますね。

今回の旅の一枚を決めるなら

昨日の夜はまるで小学生の低学年のような就寝時間でした。午後8時45分。最近の子供は夜にベッドに行く時間が遅いのでしょうか?日本に帰った時に小学4年生の甥の学校の生活記録のようなものがあって、”夜10時までに就寝したら、マルを付ける。”ってあってビックリ。しかも、それをもあまり守られていない甥にもびっくりしたんですが、、、。ヨーロッパは基本的に子供は早く寝るようにしつけをされるので、この様に子供が遅くまで起きているのは信じられないんですよね。”悪い親。”のレッテルを貼られてしまうほどに。アジアは少し違うのかな?

そんな愚痴はともかく。なぜ、8時45分だったのか。実はユリ君がハンブルクで会議に出席をしなくてはならず、朝6時9分の電車に乗らないと10時の会議に間に合わない。そうなると、朝起きる時間は5時15分。それでもって、眠りの浅いユリ君はきっちりと8時間半以上は眠りたい。という事での8時45分だったわけです。僕も一人で起きていてもつまらないし、ユリ君の眠りを邪魔もしたくないので一緒に眠りました。

なので今日は朝の5時過ぎから1日を開始。朝のうちに色々な事を終えられてこれも時には良いのかっておもちゃいました。

さて、長らくの僕の日本帰省時の旅日記を読んでいただいて、ありがとうございました。今回の旅に関するブログ記事は今回が最後です。長々と申し訳ないのですが、あともうひとつだけお付き合いください。

旅の時ってどうしても荷物が邪魔になりますよね。ホテルで預かってもらったりとか、宅急便で送ったりとかしたりしても、それでも荷物になる。特に僕はカメラを持ち歩くのでそれだけで重くて。カメラもレンズも重くて、片手にずっしりと感じるほどなんですね。今、気になって量ったら2kgを少し超えてました。

写真を撮るタイミングって対象物にもよるのですが、”あ!今、この光!!”って思ってカバンからカメラを出して、セッティングを合わせてってしている間にベストンタイミングって消えていたりするもので。なので、基本的にどちらかの手に持ちながら歩いています。もちろん肩からのストラップもかけていますが、ぶら下がってるだけという事はほとんどないですね。これは保険みたいなものだから。

確かに重いし、急な坂と岩場は慎重にならなくてはいけないのだけれども、これも筋トレだなって思って自分言い聞かせてます。

今回の旅は一ヶ月ほどで、撮った写真は450枚ほど。という事は1日に15枚ですね。その中から自分の好きな写真だけを編集するので、それに残るのは100枚ぐらいでしょうか。ほとんどが最初は、”うん。なんとなくいいな。”っていう物でそこからどのようにこの写真を料理していこうかと考え、時にはものすごくいい雰囲気の写真になったり、またその逆にあまりぱっとしないときもあります。

例えばこの写真、最初はパッとしなかったんですが暗さを前面に押し出したら紅葉の色が一気に冴えたんですよね。モノトーンとカラーの混ざりあいなのも面白いなと思って気に入りました。

ただ中には、コンピューターにアップロードした時から、”うわ!!いいのが撮れた!!”っていうのがあるんですよね。けど、こんな感情に出会えるのは本当に何十回に一回ぐらいの割合で。だから、今回の旅でそんな一枚を手に入れることができて本当にうれしかったんです。

それがこの一枚。

殆ど加工せずにこの発色が出たことと、この浮世絵的な枝ぶりがいいなって。奥行きの在り方も好きだし、手前のピンク、中央の赤と黄、そして奥の薄いみどりが幹の苔むす黒さとコントラストをはしていて、僕は本当に好きな一枚です。

人によって好き嫌いがありますから、”え、そう?”って思われるかもしれないのですが、今回の僕のベストはこれだなって思います。

 

晩秋のくじゅう山

朝の9時前だというのにリビングに差し込んでくる光の量は少なく、薄暗い。こんな時に冬がもうまじかに迫っているんだなと感じられずにはいられません。今まで、部屋の明かりなんていらなかったのにね。自然光が好きな僕としては少しだけ残念。外の天候も風が強く、雨が横殴りに降っていて今日は穏やかに家の中で過ごしたほうがよさそうですね。

晩秋って言葉がありますよね。文字のごとく秋の晩、終わりという意味ですが、この言葉ってどうしてこうも哀愁を感じるんでしょうね。

そういえば高校生の頃にビデオ屋さんに晩秋って映画があったよなと思って調べてみたら、89年制作のアメリカ映画で、スピルバーグが監督をした作品。両親の介護をするために帰郷した仕事日筋の男と、その両親の物語だそうです。多分僕はこの映画見ていないと思うんですよね。けど、面白かったのが原題”DAD“(親父)。これは絶対に邦題のほうが雰囲気がありますよね。晩秋が人生の終わりを表したりをもするから、この晩秋と言う言葉にもの悲しさを感じてしまうのでしょうか。

確かにこの時期に山を彩る紅葉も、葉の最後の変身ですもんね。温度差があればあるほど色が変わる、その自然の美。

そんな紅葉を実は少しだけ今回の日本滞在で見ることができたんです。幸運にも。

10月の終わり、僕とユリ君は僕の故郷である阿蘇のいました。特に何をするわけでなく、散歩に行ったり、僕の子供のころのアルバムを見たりと、ゆったりとした時間を過ごしていたんですね。そんな時にトレッキング好きのユリ君のことを知っていた父が、”くじゅうに登らないか?”と誘ってくれました。もちろん、承諾。

くじゅう連山は阿蘇からも近く、隣の大分県にある山々です。九州本土ではここの中岳山頂が一番高く標高が1791m。天気も上々で、母に3人分のおにぎりを昼ごはんとして作ってもらって出発。

標高の高いくじゅうの山では10月の終わりにもかからわず木の葉が色づき始めていました。ただ、登山をするにしては半袖で問題ない気温でもありました。

最初はコンクリートの登りで、”これは嫌だね。”ってユリ君と話していたのですが、途中からコンクリートもなくなって土と岩の道に。標高が上がるにつれて景色も開けてきます。

ね、あちらこちらにオレンジや赤、黄色の色が。手前のもう葉がない低木とのコントラストも素敵ですよね。そして、登山道はだんだんと厳しさを増していきます。

 

そうそう。途中で僕たち3人ではなく、ひとり仲間が加わりました。フィンランドの女性。なんでも日本を3週間一人旅。この時は旅の終わりで、あと数日後にはフィンランドに戻るとの事。せっかくだからとその後下山するまで一緒に行動をする事に。登山をしてると挨拶をすることが多いので、時に物凄く仲良くなれたりしますよね。今回も、そんな例のひとつ。

真ん中にいるのは僕の父です。60歳過ぎとは思えない体力で、僕たちの一番前にたって歩いてくれました。後ろを見てもらえれば分かるように、この時は雲が多くなって来ていたんですよね。本当に山の天気とは変わりやすいものです。フィンランドのか彼女は軽装でしょ?登山をするつもりではなかったのだけど、天気も良かったし急に登りたくなったのだとか。カモシカのように跳ねるように岩の道を登っていきます。

雲が近くにあるとものすごく幻想的な景色になりますよね。幸運なことに雲がすべてを覆うことはなく、中岳に着いた時にはまだ景色がよくここで昼食をとることに。やっぱり、おにぎり。これが最高ですよね。僕の一番好きな具は梅干しです。

くじゅうは連山なので一つ登って終わりと言うわけではなく、隣の山、そしてまた隣と行くことができるんですよね。調べてみるとどうやら10個。そんなにもいけないので今回は2つだけに。それでもかなりの距離を歩きました。

まだ残り8。次回の日本への帰国の際にはユリ君の両親をも誘って再度挑戦しようかと思っています。トレッキングって本当に面白いですよね。

 

ただいま、故郷 阿蘇

最近はドイツ語の勉強に毎日力を入れているんです。実は地域学校に申し込みをした時に、”では次回はクラス分けのテストをするから、そのときね。”と言われているからなんですね。クラスは6つのレベルに分かれていて、全くの初心者な僕は多分一番下かその一つ上。人によって授業料が無料か有料かがあって、僕は無料の対象には入らないので、ユリ君曰く少しはドイツ語理解できてるんだから少し上のクラスに入れるように頑張りなと言われて目下勉強中。言語を学ぶことは好きなので、苦ではないのいいことです。

ただ、言語って毎日、練習したり使ったりしていないといつの間にか消えてしまうものでもあるんですよね。ミニも昔は日本語を結構理解して、喋ってもいたんですが最近はどうも難しくなってきたみたい。大人になって覚えるほうが習得するのに時間はかかりますが、忘れていくのもゆっくりなのは得かなって。逆に子供は物凄い速さで言語を習得しますが、忘れるのもものすごく速いんですよね。

アメリカにいたときに普段は日本人の母親と喋る時以外は英語の4歳児の子供がいて、その子が家庭の理由で日本に三か月滞在することになったんですよね。日本滞在の間はもちろん、日本語だらけ。最初は戸惑ったようですが、底は適応能力の早い子供。すんなりと日本語をしゃべるようになったんだとか。そしてアメリカに帰って、アメリカ人の父親と再会。ただ、英語で話す父親の英語が最初は理解を出来なかったようなきょとん顔だったらしんです。もちろん、その後英語の環境に戻って喋れるようにはなったんですけど。

僕も日本に1ヶ月滞在していて、その間にドイツ語の勉強を怠ったのでまた最初から頑張ってやり直しています。基礎力が言語習得では大切ですからね。

そんな1ヶ月の滞在のほとんどは僕の故郷の阿蘇で過ごしました。阿蘇に帰ってくるのは2年半ぶり。その間に洪水があったり、阿蘇山が噴火したり、地震があったりと厄年のような阿蘇。いろいろなところに自然災害の爪痕がまだ残っていました。

それでも、自分の地元はいいものですよね。

僕は車の免許を持っていないので、阿蘇での移動手段は徒歩か、自転車。だけど、田舎の町で歩いている人なんて本当に少ないんですね。

阿蘇も色々な商業施設や、建物が建って僕が昔過ごした町の雰囲気は薄れてしまっていて何となく物悲しくなってしまいました。小学校に行ってみたら、もう使われていなくて雑草が山のように生えている中に廃墟のように建っていて。子供がいない学校と言うのはこんなにも悲しいものなのかと感じました。寄り道ぎみの通学路を歩くとすべてが小さくなっててびっくり。もちろん、道路が、家の塀が、ゲートボール場が小さくなったのではなくて、僕が大きく成長しすぎてしまっただけなんですけれどね。

自分の家の周辺を色々と歩いたのですが、何かが違う。僕の子供の頃の思い出の阿蘇とは違う所のように感じる、、、。人の心の中で思い出って美化されてしまいますしね。時代とともに人も物も、空気も変わってしまうのかなとおもって、自転車に乗って山のふもとへ。

そこで、突然に出会ってしまったんです。僕が子供のころを思い出させてくれる空気と、風景が。

昔ながらの横長の平屋の家、家の近くにある小さな畑。コンクリートではない石を積んだ川べり、農作業の人々がその日の取れた野菜を自宅用に泥つきのまま家に持って帰るその姿。どこかで燃えているであろう焚火の匂い。

しかも、道路で子供たちがサッカーをして遊んでいたんです。ゲームに夢中で外で遊ばなくなった21世紀の子供たちとは無縁のように、楽しそうにボールをけっていて。そのうちの一人の子が挨拶をしてきて、”ここだと車は来ないのかな?”と聞くと、”来るときもあるけど、その時は一時中断すればいいから。”との返答が。確かに、僕もそうやって遊んでいたなって。車どおりの少ない道が昔は遊び場だったなって。

景色が、そして空気が忘れ去った自分の思い出をこんなに喚起してくれるとは。あまりにもの懐かしさに目がしらが少しだけ熱くなったほど。

いつまでも、いつまでもこの景色が変わらずにいてくれたならと思わず願わずにはいられませんでした。

僕の知っている阿蘇がまだここにはあって、それにこうして出会えたことは本当に幸せな事でした。

 

旅の楽しみのひとつ、宿

今日は朝から忙しく動いていました。いつも通り6時15分に起きてユリ君と朝ごはんを食べて、7時前に仕事に出かけるユリ君を見送った後は床の掃き掃除と、拭き掃除。

日本って大掃除と言ったら大みそかの日でしょ?ヨーロッパは日にちは決まっていないのですが、春の訪れの時に大掃除をします。新しい年を迎える時のほうがきれいな環境でいいじゃんって異本育ちの僕は思っていたのですが、最近は確かに春にしたくなるのわかるかもとも思うんです。

いつもブウログで書いている通り、冬のドイツやイギリスは暗い、暗い。朝焼けが今は8時過ぎで太陽が昇ったのかなと思えるのが9時過ぎ、この太陽も夕方の4時過ぎにはいなくなるので。そしてその間も薄暗い曇りの空。それに、ドイツやイギリスって間接照明のほうが多いんですよね。なので、ほこりや汚れが目立たないという事が多くて。時に晴れた日があったりすると、”うわ!!いつの間にこんなに汚くなっていたんだろ!!”って驚かされてしまいます。

だから、日差しが長く晴れた日が続く春のはじめになると冬の間に見えなかったほこりや塵が突然に目につき始めて、大掃除へと至るわけなんですね。おもしろい。

その国の文化、季節の移ろい方、気候によって考え方も、価値観も習慣も変わってくるというのは興味深い事です。

その1つに家などの建築も上げられますよね。今回は建築や、それを彩るもののお話。

島根県の出雲大社を訪れたときに宿泊したのが、明治10年に出雲大社を参拝する人のために始まった竹野屋。ここ、竹内まりあさんの実家としても知られる旅館ですよね。本館のこの木造建築は昭和4年に建てられたのだとか。僕の祖母とほとんど同い年なんですね。

この雰囲気が素敵だと思いませんか?まるで千と千尋の神隠しの世界を彷彿させるなと思ったのが第一印象。日本の旅館にユリ君を泊まらせたい、せっかくなら素敵なところにしたいと少しお値段は張りましたが、ここに泊まることに。ちなみにこの写真に写っている男性、個々の従業員さんで働いて数週間目でしかも昔ドイツに住んでいて、ドイツ語を喋れり人だったんです。礼儀正しくて、好青年でした。

僕たちの泊まった部屋はシンプルな和室。ここにはトイレとユニットバスもあります。けどね、旅館にきたので大浴場でお風呂に入りたいじゃないですか。そんなにも大きくはないのですが、3回(夕飯前、寝る前、朝)大体において一人貸し切り状態でした。この部屋は新館で一番値段の安いお部屋です。それでも、十分。夕飯と朝ごはんもついてきますしね。

昔ながらの旅館は細微にも色々と手が込んでいるのが魅力じゃないですか?欄間とか、障子の模様だとか。特にエントランスの部分は物凄く美しくて、15分ぐらい見物してました。

こんなお花とか書だとかがダウンライトで照らされているのっていいですよね。ここが特別な空間になる気がして。

確かに安くはないけれど、これだけのおもてなしと、おいしい食事に、旅館自体が持つ雰囲気を考えれば高くないなと思います。この旅館の中を流れている空気が外とは違った穏やかなもので、その異次元的な体験をするだけでもその値段を払う価値があるかと思いますよ。

さて、次のお宿は熊野古道で泊まった古民家。

ね。こちらも趣深いでしょ。オーナーが自分の手で改装したこの古民家は手作りの温かさが存分に感じられます。しかもね。細部にもこだわっていらっしゃるんですよ。

玄関のたたきには黒い玉砂利が引いてあります。こんな小さなな事が嬉しいんですよね。

寝室。ただの畳の間とも見えますが、照明器具が明治大正を思わせるデザインだったり、左側の仕切りや右側のベッドサイドランプが凝っていると思いませんか?

あと、少し前まではあった障子の擦りガラスの紋様・懐かしさもありますが、これって素敵なデザインと思いませんか?だってモミジがその向こう側にある色で黄色になったり、赤になったり、緑になったりと季節を感じさせてくれるようになっているのだから。

日本建築の美をも堪能できた今回の日本帰省でした。

国が譲られた浜辺を求めて 出雲

一昨日まで今日は晴れの予想が出ていたのですが、残念ながらまた雨と暗い雲の1日となりそうです。イギリスもそうですが、ドイツも天気を予想するのが難しいみたいですね。明日はちなみに晴れの予報なので走りに行こうかなと思っています。

走れない日は家で筋トレやストレッチをするようにしています。機械を持っていないので殆どが自重トレーニング。ヨガのマットをしいてそこで腕立てや腹筋などをしたり、少しは体が柔くならないかとストレッチをしたり。僕の、子供のころから本当に体が硬くて、、、。年齢を重ねてくると色々なところが痛みを伴ったり思うように動かなかったりしますよね。転ばぬ先の杖で、今から基礎体力をつけておこうかと。

日本の武道で良く使われる心技体。精神、技、体力を鍛える。この年になって、この言葉の美しさと、そのバランスの難しさを感じています。若い時は勢いだけでどうにかなりますものね。そんな、精神を鍛えてくれそうな場所にも今回の旅で行ってきました。

和歌山県の熊野古道での一泊二日トレッキングを終えて、次に向かったのは島根県の出雲大社。

近年では縁結びの神様として人気があり、若い女性の観光客を魅了している場所ですよね。僕が興味をひかれたのは少し前に僕が日本の神話に興味を持っていて、その時に登場するのがこの出雲の国。

日本の始まりって神話では世界は最初、形をも持たない混とんとしたところ。その状況は長い事続きますが、ある時に天と地に分かれそこに最初の神様となる人物が現れます。その人自体は特に何をもするわけではないのですが、その後いろいろな神があらわれて世界は天界は高天原、地上は葦原の中つ国、冥界は黄泉の国と分けられます。神が増えるにつき高天原は活気を帯びてきますが、地上の中つ国は海があるだけ。そこである二人の神様を地上に送り、島を作ることに。これが日本の始まりですね。最初に作ったところがよく言われるのは淡路島。そして、四国、隠岐、九州を作りその後数個の島を作って最後に本州の番になります。地上が生まれると、その地に根差した神さまなども生まれます。ですが基本的に懇意本を納めていたのは天界の高天原の神様。しかし、いろいろな出来事を経てその主権をこの中つ国の神様に譲る事になるのです。それを“国譲り”と言うのですが、それが行われた場所こそ、出雲大社から徒歩で15分で歩いて行ける稲佐の浜の沖合だそう。

ね、面白いでしょ。神話には想像力ゆたかなお話が多くて好きなんですよね。神学はもちろん、哲学にも科学にも通じているようなところがあって興味を掻き立てられます。だから、どんな場所か見てみたいなと言うのがあったんですね。

紀伊田辺からは途中で新大阪と岡山で乗り換えをして島根に電車で向かいました。朝の8時過ぎに出て着いたのは午後3時ごろだったかな。特急やくもの乗車時間が長かったので、、、。だけど、中国山地を越えて、右側に川の流れを見ながら行くのはとても素敵でした。昔ながらの農家の家々や、野生のイノシシの親子も車窓から見ることができました。

これが国譲りが行われたと言われる稲佐の浜ですね。素敵な風景でしょ。あと毎年10月には日本国中の神様がこの浜に海から上陸して出雲大社に集まるのだとか。だから10月は別名を神無月っていうでしょ?あれはすべての神様がいつものところを離れて出雲に行ってしまっているからなんです。ただ、出雲は他のところは逆で神さまだらけなわけで、なのでここでは10月は神在月と言うそうですよ。面白いですね。

出雲大社は僕は好きでした。確かに神社の周りは観光化されて、お土産屋さんだとかが多くありましたが統一性があり、出雲大社の敷地内は本当に落ち着いた雰囲気でそれが心地よかったですね。

ただ、一番惹かれたのはその周りの環境だったかなとも思います。少し道を外れるとそこには、ここに住み人々の生活が感じられて、そして神への信仰や敬いがその生活を美しく混ざり合っているバランス。そこに一番の魅力を感じました・

出雲大社から歩いて数分のところににある、住宅地の奥にある小さなお社。地元の人が朝早くから綺麗に掃除をなさっていました。

昔ながらの門構え。なんて美しんでしょうね。こんな門構、今では見なくなりましたよね。見るとしたら、郷土博物館の中とかじゃないです?それが今もなお生活の一部として機能しているというのは素敵な事です。

出雲への道のりは長いものでしたが、そこで触れたものは大きくて遠回りしてよかったなとおもえました。皆さんもどうぞ、いかれてみてください。