酷使するというのはこういうことを言うのかも

悲しい夢を見たな。のどが少しだけイガイガするなー。おなかも少しまだ膨らんでるなー。肩がこってるなー。右足のかかとの皮が少しはがれそうだな。左足のふくらはぎが痛いな。というのが朝起きた時の感想。

だけど、なんとなく満足感を感じるんですよね。

なぜかって?だって、その前の土曜日が物凄く長い1日だったから。もちろん悪い意味でなくて、本当に長い1日だったんですよね。

起きていた時間でいうと朝の4時から、夜の11時半。この日のほとんどを起きていたっていうことになりますよね。普通は夜眠らなくてほぼ徹夜になったっていうのが一般的ですが、そこは健康優良児の僕ら。起きる時間が物凄く早いという状態。前日の夜は9時に就寝。なので、朝4時起きだったのですが、7時間はちゃんと眠れました。

朝4時に起きて、いったい何をと思うでしょ。話は前日の金曜日に戻ります。

10月にユリ君と僕は日本に行くのですが、そのメインイベントの1つでもあるのが熊野古道を歩くこと。1日では回れそうにないので、途中で1泊してのハイキングになるんですよね。地図を見る限りでは高低差はあるにしても距離的には1日20kmもないくらいなので、普段よく歩いてる僕たちにとっては問題ないかと。ただ、ユリ君がこの熊野古道の前に足を少し慣らすためにハイキングに行っておきたいと言っていて、じゃユリ君の友達も誘って来週の終わりに行こうかと計画をしていたんです。なので、今週末は本当は穏やかに過ごす予定だったので金曜日の午前中に10km走りに行った僕。ユリ君が帰ってきて、”ちょっと、変更がある。”とのことを言うんです。ハイキングに行く時に使う電車の一部の路線が来週は工事のためにバスサービスしかないとの事。すると、2時間移動時間が増すことに。

たった2時間と思うかもしれないのですが、問題はその移動時間の長さ。実は北ドイツってオランダと似たような地形で、海抜0mか、それより少し高いところしかない平地が多いんです。なので、標高差がある山を求めるとハルツ地方にある北ドイツ1の高さを誇るブロッケン山行くのが1番近いんです。近いといっても電車で片道5時間。なので、これにあと2時間足すと7時間。往復14時間の移動時間に。これだと長すぎるので、来週のハイキングは中止に。けど、それでも行きたそうなユリ君だったので急遽、ハイキングを強行することに。それだったらば10kmも走らなかったのになーとは思いつつ眠りにつきました。

まだ暗い4時。お茶を水筒に入れたり、途中で食べるチョコレートやサラミを入れて準備完了。電車を2回乗り換えてスタート地点に到着。今回ユリ君が選んだのは悪魔の道のひとつ。そう、悪魔の道なんです。ここブロッケンは悪魔や魔女が年に1度集まって集会を開くことで有名なところでもあるんですよね。その影響もあってこんな名前ですし、悪魔の道にふさわしい道のりでもあるんです。

ドイツは道すじの標識がいたるところにあるので便利なんですよ。悪魔の道もわかりやすいように、悪魔マークがついているでしょ。

 

この道、最初から急な登り。登り切ったと思ったら、また登りが。そしてその次にはなんと下りが。そしてせっかく下ったのに、また登るという、、、、。本当に悪魔の仕業の様です。しかもね、上の写真にあるように残り12kmってあるけど、この標識が3回ぐらいい同じ12kmで、”これも悪魔の仕業か!!”なんて思ってしまいました。

その後、落ち着いた道のりを進むと、大きなダムが。なんでもここは昔、水面の真ん中で西ドイツと東ドイツを分けていたそう。ダムの上ある道の途中にその標識が。歴史を感じさせてくれますね。東西ドイツが再統合されたとき、ユリ君は幼いながらもこの地に住んでいたと思うと何か不思議な感じ。僕はその時小学生低学年で、テレビの映像を今でも覚えています。あと、たぶんCMで使われたのか、カップヌードルとこの映像もリンクしてるんですよね。

近くには湧き水もあってそこで水分補給。冷たくておいしい!!水にうるさい熊本県民もこれは納得のおいしさ。

穏やかな景色を後にブロッケン山に道は登り始めました、

すると、まあ、のぼり、のぼり、のぼり、のぼり、のぼり。ひたすら上り坂。ものすごく急な坂を上り切って少し平らだなって思って角をまがるとまた急な上り坂。最初は、”いいね。いい運動になるね、このコース。”なんて気楽にしてたんですけど、途中で無言に。途中で眺めがいいところに写真を撮ったのですが、見えますかはるか下に先ほどの湖がみえるの。ここからもっと上がっていきます。

 

頂上は何かサンダーバードの基地みたいでしょ。東ドイツの頃はここはスパイ基地として使われていたそうです。ここで昼ご飯を食べて一息。特にすることもないので下山することに。この時に踵にちょっと痛みが。間違って普通の靴下を履いてきたからちょっと靴ずれみたいになったみたい。

帰り道は2つの選択肢があって、ゲーテの道(ゲーテはこの地方によく滞在したらしく、ここを散歩道にしていたらしいですよ。ちなみにブロッケンは彼の戯曲ファウストでも出てきます。)因みに詩人のハイネリヒ・ハイネもこの地方になじみが深い人の1人です。このゲーテの道はユリ君曰く、短いし素敵な景色があまりない。もう1つは距離は長いけれど川の横を通って素敵な景色が見れるよというので、後者を選んで進むことに。

先ほどの急な上り坂を今度は下ることに。最初は下りは楽だねって言ってたのですが、あまりの急こう配に膝への負担が大きい事。しかも僕のお腹がどうもおかしい。僕、おなかの調子が時におかしくなることがあるんですよね。ひたすらおなかにガスが溜まっていくということが起きて、今まで平らだったおなかが段々、身籠ったかのように少しづつ膨らんでいくんです。最初はそこまで気にしないで歩いていたんですが、後半はもう足も痛いし、肩は荷物でくい込み痛いし、おなかは膨らんで死にかけの状態に。それでも時に素敵な景色が。ユリ君も滝の横で一休み。

 

 

ようやく帰り着いた時には夜の11時過ぎ。もう、疲れたの一言。お腹のふくらみも治まって、シャワーを浴びた後の爽快感が心地よくてベッドに。疲れたけれども達成感のある1日なりました。

 

歩いても、歩いても

秋雨が降るドイツの北西部。空気もひんやりで、物静かな午前を迎えています。と思えば、世界では穏やかでないことばかり最近は起きていますよね。北朝鮮の脅威は言うこともなく、自然災害の多さもまた耳に痛い。メキシコでの大地震に、ハリケーンの来襲、日本も台風が季節がら多く通過していますもんね。自然災害は起きてしまうもので、それをどうすることもできないのはわかっているのですが、ニュースで悲惨な状況を見ると胸が痛みます。去年まで、水害、地震、火山の爆発と大きな自然災害に見舞われて僕の地元の阿蘇は今年は今のところ穏やかな一年を過ごしているようです。

さて、昨日の夕食は日本のカレーを作りました。僕、日本のカレーが物凄く(母親が作ったもの)好きなんですが、カレーのルーがこの田舎町には売っていないので長い事、食べていなかったんですよね。それで昨日、夕飯に何を作ろうかと考えていて家の中にある材料をみて考えられたのが、カレーだったんですね。”ルーは、どうしよう。”と考えたのですが、今のネットが普及した時代、日本のカレーのルーのレシピも探せるだろうと調べるとありました。タマネギをあめ色になるまで炒めて、ジャガイモと人参もたくさん入れてゆっくりと煮込むこと1時間半。母の味とまではいかないのだけれど、おいしいカレーが出来上がり。ユリ君にも好評で、これから僕の新しいカレー粉レシピとして重宝しそうです。しかも、多くに作ったので今日の昼ごはっもカレーが食べれる幸せ。

話をユリ君との両親との旅に戻しますね。

島に到着した金曜日は散歩をして、浜辺のレストランで夕飯を取って終わり。次の日の土曜日は、朝からあいにくの雨。ハイキングにも行けないから、折角のスポーツ施設を使おうという事に。まずは4人で体育館へ。その2階にジムがあるんですよね。僕は普段のトレーニングは自重トレーニングなので、機械が沢山あることに興奮。走るマシーン、ボート漕ぎマシーンで体をあっためて、胸筋、腹筋を主に機械でいじめました。その後、どうしても階下にあるバスケット場で遊びたくてユリ君とバスケットを。ただ、ボールの空気が少なくて弾みが悪いので、卓球をその後することに。ユリ君の両親も加わって卓球大会を開催。お母さんがスポーツ万能で、スマッシュとかも打ってくるほど。僕とお母さんの時はお母さんのサーブミスのおかげで、まさかの勝利。ユリ君と僕の試合はお互いにふわー、ふわーっていう柔らかなラリーが続いていい勝負に。ただ、肝心なところでユリ君がいつもミスをして僕の勝ち。結果僕の優勝という事で幕が下りました。

その後、雨もやみハイキングへ。海辺をずっと歩いて島の反対側まで歩きます。

ちょっと日本にはない感じの海辺。こんな風に草がたくさん生えていて、その向こうに浜辺が。静寂や晩秋の雰囲気が似合う浜辺ってはじめてかも。

それから島の中に進むのですが、何せ小さい島ですし、最高の標高は6m。だから、いろいろなところから海を見ることが出来るんですよね。

地面も黄の色が入って、秋模様。これ、ユリ君の両親なのですが歩くのが早い早い。僕とユリも歩くのは早いほうですが、気を抜いているとあっという間に二人に置いて行かれます。

途中で、カフェで休憩。カフェでは、お父さんがカプチーノ、お母さんがビール、ユリ君と僕がプラムケーキとミルクシェークというその個人がうかがえるような注文でみんなで笑いました。途中で、空港も発見。飛行機や船が好きなユリ君は磁石に引き寄せられるかのように飛行場へ。本当に小さな飛行場で、プロペラ機が1機。小さいので、飛行場の真横に子供の公園があるほど。もちろん、僕はそこで遊びましたよ。”飛行機と一緒に取ってあげる。”とユリ君が撮影。僕も、プロペラ機もどちらが主役かわからないくらいの微妙な写真に。

夕飯をレストランで食べて、ホテルに着いたんのは午後8時過ぎ。ユリ君のアプリを見ると21km歩いたことになっていました。天候はそんなに晴れ間はなかったのですが、僕の頬は少し日焼けをしたようでかすかな痛みが。

体を目いっぱいに動かした、楽しい一日となりました。

冒険の旅

今日は穏やかに、せかされずに平和な朝を過ごしています。実は昨日は少しだけあわただしい朝だったんですよね。なので、ユリ君との両親との旅については明日へと。

実は昨日朝早く電車に乗って出かけてきたんです。しかも一人旅。

ユリ君におんぶにだっこな日々なので、それを逸脱するにもいい機会だし、ドイツ語を家族以外の人に喋れるとおもい、出かけてきましたよ。

場所はここ。

ハンブルク。前に訪れたこともあるので、何となくの土地勘もあるし、電車の乗り方も知っているので少しは安心なんですよね。朝9時過ぎの電車でまずは2時間ほどかけてブレーメンへ。そこで30分ほど乗り換えの電車をまって、電車に揺られて1時間。無事にハンブルクに到着。

さて、なぜハンブルクに来たかと言うと、テイクアウェーで働いていた時にいつも仲よくしていたお客さんがいて、ちょうどハンブルクの友達を尋ねにきているからその時に会える?とのメッセージをもらっていたんですよね。そうなんです。僕を尋ねてドイツに来た第1号!

特に何をするでもなく市内をうろうろと歩いて、少し遅めの昼ご飯。インテリアがかわいいカフェが軽食も出しているのでここで決まり。パスタがあったのですが、温かいのかどんなパスタなのかを知りたいと友達がいうので、ドイツ語で聞くと”お!!通じた。”それでちゃんと温かなペンネのパスタをオーダーできました。その後もまたお茶を頼んだ時にも問題なく会話を出来て、ほっと一息。とはいっても完璧なドイツ語の文章ではないんだろうけど、僕の知っている語彙の中から何となく文章にしてみて、それが通じたといういうコミュニケーションの基本は”伝えたい気持ちなんだな。”って改めて思い知らされました。

友達との結局そのカフェに2時間ほどいて、今まではお客さんと店員だったものがお互いの今までの生活を話してもっと近くになれたように思います。あまりにも話が弾みすぎて乗るはずだった電車を見逃してしまったほど。最後には素敵なお土産までいただいてありがたい。

”今度は、あなたの住む町に遊びに行くわね。”との約束をされて帰路につかれました。

僕もそこからまた3時間半ほどかけて、駅に着いたのがゆるの8時40分。プラットフォームを歩いていると先の方に見覚えある人影が。ユリ君がわざわざ迎えに来てくれたました。

本当に僕の人生は素敵な人々で囲まれているなって思えた、そんな1日でした。

 

ちょっと海を渡って

気が付くと日の出の時間が午前7時過ぎになっている、ドイツの北西部。最近朝方にすっきりと晴れた日が少なかったのでいつの間にかに日の出の時間も7時台に。少しづつではあるけれど冬の準備が始まってきているように感じます。今朝6時半のきおんは9度。とうとう、10度以下に。そのためか運河はうっすらと霧がかかっていて風情ある景色に。

さて、数日間このブログを書いていなかったのですが、、、、。ちょっと海を渡ってあるところに遊びに行ってきました。前のブログでユリ君の両親が訪ねてくるという事を書いたと思うんですが。実は週末を一緒に過ごすためだったんですね。

去年のクリスマスごろに計画が持ち上がって、やっと今回達成できました。僕がドイツに来るまでみんなが待ってくれたというのが本当のところなのですが。

さてその場所と言うのが、、、。

ここです。と言って、この写真で分かった人がいたらビックリなのですが。ボルクム島。北海に面して7つの島からなる東フリースラント諸島の1つの島で、ドイツ本土からはフェリーで2時間ほどでつきます。小さな島で、今度10月にユリ君と訪れる奄美群島の喜界島よりも小さくて、この土地ならではの低い標高差。海抜最高6m。写真の様に引き潮の時には遠浅の砂地が顔を出し、歩くことが可能。ドイツ人、特に少し年を重ねた人たちに人気の休暇地となっていて、週末色々なところを歩いて回りましたが、アジア人はゼロ。後、白人以外見てないように思います、、、。

フェリーってそんなに乗ったことがないので、船酔いになるかなって不安があったのですが、心配に及ばず無事に島に到着。そこからはかわいい電車に乗って宿に。今回はユリ君の両親が宿をとったのですが、スポーツ施設が併設されたホテルで、ジム、バスケットボールコート、テニスコート、ビーチバレー場、サッカー場、100mのトラックなどが敷地内にあるものでした。

最初の日はついて海岸を4人で散歩。その後、海の見えるカフェで温かなワインを飲んで、レストランへ。夕暮れから夜になる景色を見ながらの夕飯と言うのも僕にとっては非日常で素敵なもととなりました。

ドイツから、こんにちは

突然のドイツ引っ越し。ブログや、メールで励ましのメッセージをたくさんもらってうれしい限りです。じつは、僕はサヨナラを言うのが得意ではなくて、ロンドンに住んでいる友達にもほとんど詳しい日程も言わずに引っ越してしまったんすよね。

なんでだろう?周りの人をしんみりさせるのがにがてだからかな?日本に休暇で帰るときもそうなんですが、地元の友達には何も言わずに帰るんですよね。小さな町だし、僕の交通手段は徒歩か自転車なので帰って数日後には誰かには見つかって、そこから家に電話があるのでそれでいいかなって思っているんですが、、、。だめかな、、、?スナフキンのように、今までここにいたのに、次の日にはいなくなっている、そんな所に憧れがあったりするのかな、、、。

ちょっと、このブログを書くまで時間が空いてしまったのは、ドイツには水曜日には着いたものの、そのままユリ君の家には行かずにハンブルクと、ほとんどデンマーク近くにあるユリ君の両親の家にいたんですよね。昨日の日曜日の夜9時過ぎに家に帰ってきたための、今のブログアップとなりました。

今日はまず、ハンブルクでのお話から。

今回は5時間の遅れもなく、30分の遅れでブレーメン空港に到着。そこからユリ君のお買い物に付き合って、少しお腹がすいていたので最後にいつ行ったのかと思い返しても思い出せないマクドナルドへ。ユリ君は時に利用するようで、すべてお任せ。今はカウンターで注文しないんですね。タッチパネルのマシーンがあってそこでどんなものが頼みたいか、どんなソースがいいかとかも選べちゃうんです。そして番号札をもって座っていると座席まで運んでくれるんですよ。ビックリ!!訪れた時間が忙しくなかったためか、ポテトも出来たててで熱々だし、バーガーも写真の様に完璧に作られているしで、今まで持ってい負のイメージが払しょくされました。やっぱり固定観念っていけないなと反省。

その後、ユリ君の車でブレーメンからドイツで2番目に大きいハンブルクへ。その前の晩には友達の家に泊まっていて話が盛り上がりすぎしかも、朝の4時半起床の睡眠時間1時間半という短さのために車で眠りの世界に。気が付くとハンブルク市内に。

僕のドイツ生活は基本的には田舎なので、都会の中心街のドイツの光景に目を見張る僕。やっぱり都会は多国籍の人が住んでるなとか、レストランがどの通りにいってもあるなとか、落書きだらけの壁でいっぱいだなとか。もちろん、ロンドンも同じことなんですがドイツという国に来ると何となくロンドンとは違う雰囲気があって。心がどきどき。

ユリ君の車のいいところ、どれはハイブリッド車なんです。なので、そんなに多くはないけれどハイブリッド、電気自動車専門の駐車スペースがあったりするんですよね。そしてそこには充電する機会も。このマシーン、場所によっては充電無料というところも。なので、時にものすごく便利。エコを推し進めるドイツならではですよね。

充電した車を残して、ユリ君が決めたホテルへと。じつはこのハンブルクでの滞在、僕の遅めの誕生日プレゼントでもあったんです。

電車に揺られて、いくつもの国境を越える

ドイツは穏やかな朝を迎えています。最近ものすごく早起きな生活をしていて目覚めが日の出という健康生活。だけど、朝早く起きると空気は澄んでまだ冷たいし、いろいろなことを沢山できるのでこの生活スタイルが気に入ってもいるんですよね。

僕のロンドンのフラットは朝日の感じはわかるんですが直接的に日が差し込んでくるのは午前10時ぐらいなので、このユリ君のフラットのように朝日が昇ってくるその時の大きな光みたいなのはないんです。だからその太陽の明るさと暖かさを感じられるのは嬉しいことです。

さて今日は時間を少し戻して、僕がドイツまで旅してきた道のりについての話を書こうと思います。

普段はロンドンから飛行機でドイツに飛んでそこから電車で2時間というのがお決まりのパターンでったのですが。今回は僕の街からユリ君の街まで電車で行こうというものに。飛行機チケットがこの時期高かったのと、電車だと持ち込み荷物の規制がゆるいし沢山持っていけるのもあってこの旅程に。

朝の5時11分の電車ででかけてユリ君の街につくのが午後5時半。イギリスとドイツには時差が1時間あるので11時間ほどの電車の旅なのです。順番としては僕の街からロンドン中心地の駅であるセイントパンクラス駅に行き、そこでユーロスターに乗り換えてベルギーの首都ブリュッセルに。15分の短い乗り換え時間で今度はドイツの新幹線であるICEにのって大聖堂でも有名なケルンで乗り換えてユリ君の街まで。

ちなみに電車のチケットはウェブサイトで購入。自分で印刷して持っていくだけなんです。

見てわかるようにただのコピー用紙です。そこに乗客の名前とQRコード、そしてロンドンからの乗り換えの電車の名前や駅名が書いてあるだけの簡素なもの。

ロンドンでの出国手続きも簡単でした。荷物検査の向こうに小さなデスクがあってそこがイギリスの出国デスク。その10歩先にもう1つのデスクがあってここがフランスの入国デスク。その後はユーロスターに。ユーロスターって僕が学生の頃にイギリスとフランスを結ぶ海底トンネルができてそこを走るってニュースになっていたのを思い出させます。多分中学生かな?テストの問題に出た気がするんですよね。イギリスに住んで10年以上もたつのに実はこれがユーロスターに乗るのは初めてなんです。車内は旧型だったのか少し古いなって感じで。乗り心地は悪くはありませんでしたよ。

ブリュッセルの乗り換え時間が15分なので駅に着く少し前に席を立って降車口で待機。ただ、乗り換え用の通路があって余裕をもってICEに。こちらはドイツの新幹線とあって車内もきれいだし、携帯を充電で切るようにコンセントも完備。残念ながらこの快適な電車は2時間足らずで下車。

ケルンでは1時間半ほどの乗り換え時間があるので駅になるベンチに座って読書をすることに。ここで気が付いたのが物乞いの人の多さ。しかも本を読んでいる僕に近寄ってきていろいろな言い訳でお金をねだられるんです。僕はすべてNOで通して次の電車のプラットフォームへ。

これが最後の電車なのですが、4時間という長丁場。ユリ君から僕が乗るこの時間の電車は旧型だからと言われていたのですが、乗って納得。昭和時代を感じさせるレトロな特急。僕はボックス席を予約していてそこは3人1列で対面の6人掛け。幸運なことにも混んでいなかったので最後の駅まで3人だけ。座席の上には網棚とその下には長方形に長い鏡があって空間を広く見せる工夫が。テーブルもガチャリと倒す感じの旧式で、けどそこが味わい深いなって思いながらのスタート。

走り始めて40分。突然に電車が止まりそこから15分ぐらい動かず。車掌さんが行ったり来たりしていて、何かが起きた模様。アナウンスが流れるもドイツ語のみ。すると、真向いの中年の女性が英語で何が起きているのか教えてくれました。どうやら前を走っている電車に不備が起きて同じ線路にいる僕たちはそのせいで足止めを食らっているのだとか。

それがきっかけで4時間の長い旅の間ときおりこのおばちゃんと話すことに。おばちゃんは最終駅でフェリーに乗りかえてある島に行き、そこであるコンサートを見に行くんだとか。しかも1週間という休暇もかねて。車掌から流れる景色で面白いものがあると、”ここは造船業が盛んで、小さな町だけれども行政は潤っているのよ。”とか、”このレンガ造りの建物は少年院よ・”など。僕のいく街の名前をいったら、”数日前の新聞にマチェス<ニシンの塩漬け>が今は旬で、その街に有名な製造所があるって書いてあったわよ。”など親切に教えてくれました。

結局、電車は40分遅れでユリ君の街に到着。それでも、この遅れがあったからこそこの女性と話すこともできたわけだし。よかったなって思いました。

長い旅ってその旅程でいろいろな人に会えるからいいですよね。今回も素敵な旅の始まりとなりました。

そして家路につく ヨークシャー最終日

土曜日の昼間にこの前のパーティーで知り合った子が遊びに来るというので、朝から少し散らかり気味の自分のフラットを掃除。その後買い出しに出かけると約束の3時前に。本当は友達の到着前にデザートを午後のお茶用に作ろうと思ったのですが、間に合わず、、、。お茶を入れて話しながら作ることに。こんな時ってオープンプランって便利ですよね。

おやつにはラズベリーとストロベリーをグラスにまず入れ、その後ホワイトムースをピスタチオの砕いたものを振りかけたもの。これがあんたんだし、美味しくて作った自分もびっくり。夕飯はフランスパンの上にバルサミコ酢で軽く味をつけたロケットとブルーチーズにプロシュートを乗せたものが前菜で、メインにはエビをマスカルポーネと赤ワイントマトピューレで作ったソースを絡めたパスタに。

話に花が咲き、気がつくと開けたワインが4ボトル。しかも朝の3時半。即眠ることに。

僕は朝の9時に起き、ゲストは11時過ぎまで寝ていて昼ごはんを食べて午後の3時に帰って行きました。これ、長期滞在するユリ君や日本から来た友達を除けば最長記録かも。

そして今日曜日の夜は静かに音楽を聴きながらこのブログを書いているところです。週末ってどうしてこんなにも早く過ぎてしまうのでしょうね。

僕たちのヨークシャーでの休暇もまさに今週末のようにあっという間に過ぎて行きました。

最終日。ネットで予約した時にはチェックアウトが午前11時だったんですよね。ただ、僕たちのロンドンへ帰る電車が午後の3時すぎで、それまで街中でも散歩してもいいけど、荷物がね。っていう悩みが。このホリデーコテッジのオーナーから”何かあったらメールをしてね。”と言われていたので、午後の3時ぐらいまで荷物だけ置かせてくれないかと前日に送ると凄返信があって、”荷物だけと言わず、チェックアウトを3時30分にしてあげるよ。”との素敵な回答が。だからそれに甘えて、ゆったりとした朝を過ごしました。

何をするわけでもなく、ただベッドに寝そべって過ごす穏やかな時間。これってものすごく贅沢だなって。小さな窓から差し込む光の中で、大好きな人が隣にいて、何をしなくてはいけないと焦ることもなく、ただ寝そべっているというこの時間。幸せってこんなところにあるんだなって気づかされますよね。

結局、街中へは出かけずにコテッジに午後の3時までいて、その後は駅に。駅って別れと出会いが交差するましょだから、なんとなく不思議な感覚に包まれません?特に自分が旅人として訪れる場合は。

4日間のヨークシャーでの時間がものすごく有意義で、しかもホテルでなく、ユリ君との自炊の生活。いつもお互いの家に行って過ごすことはあるけれど、自分たちの見ず知らずの土地で生活を4日間でもするというのは新鮮でした。新しい暮らしが始まったそんな面白さを感じさせてくれて。

そんなメランコリーな気持ちを抱えて電車に。

ロンドンへと着いたのは午後5時半。ラッシュの時間帯で人で溢れかえる駅。街の中にも人が、ものが、車があふれて数時間前の風景がまるで夢物語のように。

せかせかと忙しく歩く人々。もしかしたら、僕は穏やかな生活を求めているのかもしれません。

2番目の頂点 ヨークシャー紀行3

金曜日はダメですねー。魔物が住んでいて。

そう、睡魔という魔物が。夕飯食べて、ちょっとソファーで横になってラジオでもと思ったのが間違い。気がついたら夜の11時半。寝ている間に天候も変わったようで雨が降っていました。空いていた窓からひんやりした空気が流れ込んできているのが目覚まし時計代わりになって先ほど如何にか起き上がりました。

起き上がったはいいものの、料理したままの台所での洗い物が。これって嬉しくないですよね、、、、。”もう、ベッドで寝ようかな。”とも思ったのですが、ちゃんと片付けましたよ。それで少し頭が冴えたので、ブログもと思い今書いているところです。

さて、昨日の続き。

ハイキング2日目の後半ですね。最初の頂点を極めて、次の山へ向かうのですがかなり遠く。

雲の向こう、遠くに見える高い山が見えますか?あれが次の山。遠いでしょ。最初の頂上からは下り坂で、途中で2つの道に分かれます。1つは2003年にできたちゃんと砂利が敷かれた道。もうひとつは道なき道で獣道のようなところを手探りで探していくような感じのところ。僕たちはどっちを選んだでしょう。

答えは、後者。実はこの上の写真、最初の頂上から分かれ道に入って撮ったものなんです。写真中央よりも少し右側に少しだけ色が濃いところがあるでしょ?こんな感じで人か動物が作った道を行く感じです。途中で湿地帯化したところもあるのでここはハイキングブーツが必須。途中で小川の流れの横で昼食に。今回もサンドイッチ、ゆで卵、とうもろこしに今日はご褒美でマフィンも。

この石造りの小屋が度しても気になって収めた1枚。なんとなくもの悲しさが感じられませんか?

 

その後また歩き続けてやっと人のいるようなところに出ました。見て、かわいい橋でしょ。”ユリ君、写真撮ってあげるから、橋の上に立ってよ。”というとアマノジャクのユリ君、わざわざ川の中をざぶざぶと入り橋を使わずに渡って行ってしまいました。

2番目の頂上に行く前に素敵なものがあるんですよね。僕がなぜこのハイキングコースにしたか、それはひとえにこの建築物があるからなんです。なんとなくハリーポッターの映画の魔法学校への列車の旅に出てきそうじゃないですか?

ここから第2の頂上に登っていくんですが、ユリ君が足が痛いとの訴えを。ここ、上りはそこまできつくないのですが下がキツイそう。ユリ君の足は物凄く痛むわけでなく、急な下り坂が痛みが強くなるとのことで2番目をパスして、3番目に登ることに。

 

3番目の山が、これ。なんとも面白い形をしているでしょ?どちらかというと最初の山の形に似てますよね。2段型というか、台形型が面白いですよね。大好きなニューメキシコのメサの形をなんとなく思い出します。

だんだんと近くなってくる第3の山。そして今回もまた近くになるにつれてある疑問が。標高は上がっているんだけど上がり方がそこまで急じゃない。”じゃ、いつあの山に着くんだろう?”って思っていたら、、、、。ものすごい急な登り、というか断崖絶壁のような岩場を上がっていくという感じだったんです。この時点で高所恐怖症の僕としてはもう気が気じゃなくて。

ユリ君にどれくらいの急斜面か写真を撮ってもらったのですが、アングルが悪くてあんまり高く見えないんですよね。多分次の写真の方がどれだけ高いかわかるかも。

この時、半分死にかけてます。ユリ君が、”もっと笑ったがいいよ。”って言われて笑ってるつもりだけど、引きつった笑顔でしょ。写真の左上に灰色のまっすぐなラインが見えるでしょ?あれがもうひとつ前の写真で撮った道なんですよ。もう、途中で何度も”怖くない、怖くない。”って自分に言い聞かせて頑張りました。もうね、頂上についたけども精神的な疲れの方が大きかったです。

その後帰り道はまだ穏やかな下りだったのでユリ君の足も悪化せず、僕も高所恐怖症に悩まされることなく朝着いた駅まで戻ってくることができました。

朝の10時に出発して駅に着いたのが午後の7時。9時間のハイキングで歩いた距離は32km。よく頑張りました。

 

 

まずは軽く1つ目を ヨークシャー3日目

朝から素敵な青空だったので、半袖で眺めのフードつきベストを着て出勤。最近、形的にはスリムだけど、丈が長めの洋服が好きなんですよね。イギリスではこのオーバサイズが昨年から流行っているんですけど、日本ではどうなんでしょうね。

そんな夏の格好で出かけたのですが、半日の仕事が終わって帰る頃には雨が降り出してきて気温もグーっと下がってちょっと失敗。けど、厚着をするよりかは薄着はなので、しょうがないか。

さてハイキングの1日目を終えて迎えた2日目は、電車の移動から始まりました。あの可愛い駅から北に一駅だけ。駅に早めについてチケットを買おうと思ったら自動券売機にお年寄りが2人。結構待つけどチケットを購入までいかない、、、、。電車の時間がせまり来るので、代わりに操作をして無事に電車に間に合いました。イギリスって色々な切符があってどれを選べかいいか迷う人が多かったりするんですよね。

今日のハイキングコースはこの地域で有名な3つの山の頂上を目指す3Peaks Challenge。ただ、3つとも制覇するには12時間かかるんです。ここを走る電車は田舎のローカル線で、朝は6時、次は10時と本数がものすごく少ないんですよね。僕たちの乗った電車は10時着なので3つとも登ったら夜の10時で無理なので、そのうちの2つにチャレンジすることに。走行歩行距離、32km。

まずは最初の山。真正面の遠くにあるのがそうなんです。この右側の急斜面のところを登って左側に下がっていきます。

 

先日のように平坦なところは少なく上がったり下がったの連続。もちろん最初は登りばっかりでした。けど最初は牧草地なのでそこまで難しくはないんですよね。

昨日も話題にしたんですが、人間と自然とのコラボレーション的な風景が本当に見事な調和で心奪われてしまいます。この自然に出来た階段とその横の一つ一つ石を積み上げて作られた石垣。その勾配にうまく馴染んでまるで龍の背中のようですよね。

ここから岩場が多くなって登りが急になってきます。

始まりから見えるこの最初の山。いつも視界に入るのですがあるけどもあるけどもなかなか近づかないんですよね。かなり登り歩いて、少しづつその岩肌が見えています。

ね。なんとなくもう少しのところまで近づいてきてるでしょ。

この下の写真の時はご覧のように笑顔で、”あともう少しだね。”って余裕だったんですけど、登っていくにつれてある疑問が。

 

石畳の道が途中で消えてる。しかもそのあとにほぼ垂直のような岩場、、、、。もしかして横がかなり急勾配で転げ始めたら何も止めることなく下まで真っ逆さまなところを歩くのか、、、、。という思考が。

僕のブログを読んで知っている人も多いと思うのですが、僕は高いところが苦手なんです。そう、高所恐怖症。木登りとか屋根の梯子とか、極端に高い飛行機とかは大丈夫なんです。だけど、中途半端に高くて自分のコントロールではどうにもならないような高さがものすごく怖くて。あと、その高さに風が吹くともうダメ。飛ばされてしまうって思うんですよね。

頂上に近づくにつれて、、、、。僕の持った通りの岩登り。右側は緑の急斜面、岩場で登れそうなところをかなりの前傾姿勢になりながら登りましたよ。

 

これ、岩を登り始めた最初の方。この後はもう、カメラで写真を撮ったり、手に持ったりしている余裕がなくて生き抜くのに必死でした。無事に頂上についてホッと一息。熱いお茶が美味しかったです。

明日は第2の頂上について書きますね。お楽しみに。

2日目は肩慣らしならぬ、足慣らし

あー。労働とは疲れるものですね。あと2日頑張って働きます。そんな仕事が終わったのがいつもより少し遅くて午後7時15分前。疲れたと思いながら駅のホームで携帯を見るとメッセージが。ブログで仲良くしてくれている人からのメッセージで、”本当に急なんだけど、ロンドンで今やっているミュージカルのチケットがあるから一緒にどうですか?”っというもの。送られてきたのが5時半で、メッセージを見たのが7時15分。ミュージカルの開演が7時半だから、そんなに遠くはないのだけれどどうしても間に合わない、、、、。このミュージカル、結構気になっていたので”行きたい!!”って思いを抑えて、”ごめんね。”と返信。もう少し、こまめに携帯をチェックしなきゃな。残念。

さて、話をヨークシャーにある町、セトルに戻しますね。

セトルという町に決めたのには理由があって、ロンドンからのアクセスが便利なのと、ハイキングにすぐに出かけられるということ。本当に町の東側には小高い丘があってハイキングを開始できるようになっているんですよね。

4日間の滞在で1日丸々使えるのは2日間。なので、この2日間はハイキングをメインに。そんな最初のハイキングデーは、足慣らしにそこまで歩かず15km。

ウェブサイトなどでハイキングのルートの情報を得て、その情報をまとめたり、印刷して準備も万端。

まずは町の西にある川を上流に向かい上がっていきます。

このように川の横を歩くんですけど、もちろん舗装もされてませんし、家畜である牛、馬、羊がそこら中にいるんですよね。だいたいはゆっくりと道を開けてくれるんですが、時々この動物たちの中に僕たちに興味を示すものもいてちょっと冷や汗。

春なので子羊がたくさんいました。元気に駆け回るのやら、お母さんの影に隠れているのやら、どれも可愛かったですよ。ここはちょうど湧き水が出ていて、それでたくさんお羊が集まっていました。

そんな牧草地と牧草地を次から次へと動いていくのですが、”動物が他の敷地内に移動をしてしまうのでは?”って思われるでしょ。ゲートなどは開けっ放しにしていく人もいるので実用的でない。そんな生活の知恵から考えられたのがこれ。

素敵ですよね。あとは、木の梯子だったりと周りの風景に混ざりあえるようなデザイン。もちろん、こんなにおもしろいものがあれば写真も撮っちゃいますよね。

 

川沿いの旅が終わると今度は石畳の急な道を登り始めます。春の花であるブルーベルが道脇に咲き誇って綺麗でしたよ。

 

そして登りあがると視界が一気に開けて、ヨークシャーの田舎の風景が目の前には広がります。

人間と自然が作り出した共同的な景色。このハーモニーとバランスがいいなって思います。

 

これから道はさらに厳しくなりますよ。ユリ君のバッグには温かなお茶、水、お昼ご飯用のサンドウィッチ、ゆで卵、とうもろこしが。

 

この道なき道を入って舗装道路に出て、次に目指したのが小高いところに位置する洞窟。Victoria Caveと言われて何でも貴重な洞窟なんだとか。この中から太古の象やサイの骨が出てきたり、ローマ人がイギリスへと出兵した時には神聖な場所として使われていたそう。

そこから南に足を進めると山の標高が上がってきます。今回は山の上には登らずにその周りをぐるっと回ることに。

ここはイギリスっぽくなくて、中央アジアの国みたいじゃないですか?木も生えずに草原だけで、ゴツゴツした山肌が印象的でしょ?

 

家に帰り着いて夕飯を作って、そそくさと眠りについたのは言うまでもありません。本当に自然の中に溶け込んだハイキングを楽しめました。

そして次の日は今までで一番長いハイキングとなりました。それについてはまた、次回。