喜界島を思う 歴史、人、言葉

昨日は金曜日だったのですが、残業が最近多かったらしいユリ君はお休みに。ドイツの働くシステムって良く出来てるなって、こんなところで思います。ユリ君の会社では基本労働時間は、1日8時間の週5回。ただ、何かがあって残業をしなければいけなかったりすると8時間以上働いた時間を残業手当でもらうか、その時間をためてほかの日をお休みにできる。素敵ですよね。

ドイツやイギリスをはじめ、休暇というものがちゃんと取れるという事は本当に大事なことだなって思います。残念ながら日本はそのようなところが遅れていますよね。僕の父もかなりの有給が余っているようだし、有給があるのに冠婚葬祭や、何かの特別な時にしか使えないというのはヨーロッパに住む身からすると驚き以外の何物でもないので。この有給って、国によって会社によって日数も違うのですが今ユリ君は30日。つまり、6週間分のお休みですね、

今回の旅ではユリ君は日本で2週間、その後帰ってからの数日を時差ぼけなどを仕事に復帰するまでになくすのに取りました。

長い休暇の後って仕事に戻るのが億劫ですよね。毎週の日曜日の夜にこんな気分になりませんか?”あーまた、仕事/学校だな。”って。なので、帰って来てからユリ君に聞いてみたんですよね、休暇の後に仕事に戻るのたいへんじゃなかった ?って。するとこんな返事が、”この3週間近く、仕事のことを一切考えずに過ごせたよ。また、新たな気持ちで仕事が出来てストレスもなくて、いいよ。”だって。

確かに、毎日同じように仕事をして、同じルーティーンで1年間を30年も40年もつづけるのって精神的にも肉体的にも大変なことですもんね。けど、そこに休暇とという物があれば、年に1ヶ月半は仕事を全くしない時期がある。そうするとちょうど仕事の中休みになってまた新たな気持ちで仕事を始められる。この息抜き間って大事だなって思います。

そんなユリ君は今はもう、次のホリデーを何にするか考え中。なんでも、新車のキャンピングカーを北アメリカ大陸横断を考えているようです。次の休暇を考えて、それまで頑張って仕事をするというのもまた、ありな考え方ですよね。

さて、話を日本での休暇に戻しますね。

奄美群島の中にある喜界島でのお話をもう少し。

この島は昔は中国の影響をも受け、第二次世界大戦後は一時は日本を離れてアメリカの管轄になったこともある島なんですね。太平洋戦争の時は、鹿児島から飛んできた特攻隊の人々が燃料の補給に止まったのもここ。喜界島。そしてここからアメリカの艦隊に突撃していった土地。そんな若き特攻隊の隊員が出ていく前に、島の女性たちが最後に花束を渡していたそうで。けど、どこへも持っていく場所のない特攻兵たちはその花を喜界島に置いて旅立っていき、その真っ赤な花が戦後70年以上経っても、彼らが最後に旅立った飛行場の周りには咲き乱れているそうなのです。そして、島の人たちはその花を特攻花と呼んでいます。

そんな歴史を持つからなのでしょうか、一昔前によくテレビに出ていた霊能力者の冝保愛子さん。彼女が一度、この島を訪れたことがあったらしいんです。その時に飛行機で来たらしいのですが、タラップから降りようとしない彼女。どうやらそこに無数の霊がいて、怖くて降りたくないといったのだとか、それでそのまま島に降りることなく帰ってしまったんだよと、笑いながら話すクレちゃん。”っそんな島に住んで生活してる私たちってね。どんだけ霊感がないんだろうね。”と明るい返し。けど、これがこの島で生きる人たちの性格だなとも思います。会う人会う人、笑顔で、話が面白くて、明るい。そして、外から来る人をものすごく優しくもてなしてくれる人情。

今回はもともと、クレちゃんのおばあちゃんの家に泊まる予定だったんですよね。広い家だし、部屋もあるから大丈夫だよって事で。それでそのつもりでいたら、島に行くフェリーの中で、”おばあちゃんの家でなく、ログハウスを借りました。’とのメッセージがクレちゃんから。あとで話を聞いてみると僕とユリ君が泊るという事を聞いて、”いいよ。いいよ。”と言っていたおばあちゃん。ただ、僕たち2人の事を女の子2人組だと思っていたそうで、見ず知らずの男性2人が泊っていたら、私は恥ずかしがり屋だし、夜眠れないかもしれないと心配になったそう。それで急遽、こんな素敵なログハウスにユリ君と2人で泊まることに。

かなり大きなログハウスで、6-8人は泊まれる大きさです。バルコニーはあるし、裏にはデッキングもあって島での穏やかな生活を送るにはいい場所だと。

そんな恥ずかしがり屋なおばあちゃん。驚いたのがおばあちゃんの話す言葉。クレちゃんのお父さんとおばあちゃんの会話を聞いて、何かを理解しようとするんですが一言だって何を言っているのかわからないんですよね。本当に。だって、東北弁とかって確かに理解するのが難しいけど、これって日本語だなって思えるでしょ、喜界島の言葉は、日本語ではないイントネーションで、しかも一つも聞き取れないんです、驚いたことに。まるで小鳥がさえずるような音程を持っているんです。しかもおばあちゃんが恥ずかしがり屋さんで僕たちには直接的に話してくることは少ないので、僕の中でおばあちゃんは日本語を話さないようなイメージがあって、突然に”ありがとうね。また来てね。”と言われて、”そっか、おばあちゃん日本語喋るんだよね。”っと思ったほど。もちろんおばあちゃんは僕が何をしゃべっているかはすべてわかるわけで、、、、。

そんなおばあちゃんの一番のお気に入りはユリ君だったように思います。

近くの島料理を出してくれるレストランにクレちゃん家族全員と夕飯を食べに行ったとき、いつもは夜8時には寝るというおばあちゃん。飲んで、食べて、しゃべってとしているといつの間にかに8時半過ぎ。ユリ君とおばあちゃんは似ていて、自分のペースでご飯を食べ、そんなにしゃべるわけでもなく、宴会の雰囲気に身を任せているといった感じ。なので、お父さんが気を利かせて、”そろそろ、おばあちゃんは先に帰ろうか。”と提案したところ、”いやいや、まだいたい。”と笑顔で返答が。そして、何かあるたびにテーブルの向かい側に座るユリ君に食べ物を勧めるおばあちゃん。今年87歳という年齢に見えない若々しさと、健康を備えていた素敵な女性でした。

そしてもう一つ島の言葉について驚いたことが。この前書いたようにこの島は車で走れば40分ぐらいで1周出来てしまう所なんですよね。その島で、実は言葉が違うらしいんです。おばあちゃんの住むのはこの島の一番栄えている、湾という地区。お父さんとおばあちゃんは島言葉をしゃべっているのですが、お父さん曰く、隣の地区のおばあちゃんぐらいの人たちが喋る島言葉は何を言っているのかわからないのだとか。その地区との差は距離にすれば数キロ。けど、もう言葉が違う。面白いですよね。興味深い島だとおもいませんか?

そんな喜界島。今、観光に力を入れているですが、クレちゃんいわく観光施設がそんなにないのが問題なんだとか。確かにガジュマルの木や、島で一番高い見晴らし台の百之台、ハワイビーチ、などあるのですが、確かに地味な感じの場所が多いんですよね。だけど、それがこの島の魅力だなとも思うので、あまりリゾート施設は作ってほしくないかも。島の生活に数日間、溶け込んでいくようなスタイルこそがこの喜界島にあった観光なのかと僕的には思うのですが。

この写真は百之台からの景色。吹き上げる風を使ってカラスがうまく飛んでいるさまが美しくて見入ってしまいました。

喜界島の温かさにふれて、この島の面白さを感じ、喜界島が僕の中で第2の日本での故郷に感じました。また、次回での日本帰国の際には遊びに行かないとな。

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