穏やかな月曜日の朝を迎えているドイツ北西部。木々の葉も赤色が入って秋の気配がそこら中に漂っていて、夏の気配はどこにもありません。けど、秋の日差しは肌に温かくて運河を渡る風は少し肌寒い程度なのでその雰囲気は情緒的でいいんですけれどね。
そんな穏やかな朝をと思っていたら、仕事に行く前のユリ君から指令が。今日は何でも紙のリサイクルの日なので、結構たまった段ボールを出しておいてほしいとの事。確かに、結構大きな段ボールが玄関先に。紙専用のリサイクルボックスには入らないからその横においておけばいいよ。って言われて、ユリ君が去ったのちに置きに行くことに。すると、1階に住むおじさんが出てきた何やらドイツ語で話しかけられます。このおじさん、ちょっと曲者だどユリ君から聞いていたんですよね。”あー。来たな。”って思いながら聞いてると、どうやらごみ箱に入らないからそのまま置いておくな、向かいにある大きな黒いゴミ箱に入れろってこと。
そのごみ箱、確かに向かいにあるけれどユリ君から”あれは、私的に使うものではなくて、公的なものだから使っちゃダメなんだよ。”って言われてたんですね。それでも、あそこに入れろと言うおじさん。なので、つたないドイツ語で、”あそこはユリ君が使っちゃダメ。”っていってたので出来ない。”というと、”じゃ、自分の地下の部屋にしまっておくんだね。”と言われ地下にもっていくことの。
このことをユリ君に言うと、”彼のことは無視して、置いておけば大丈夫だよ、”とのメッセージが。ユリ君曰く、昔住んでいたところではリサイクル資源は箱に入っていなくても持って行ってくれたとのこと。イギリスでは基本的には箱に入れなきゃいけないので、ドイツ流の判断が僕には出来ないので困ったもの。しかもこのおじさん、結構監視しているっぽいんですよね。今日も、僕が共同玄関で出ようとしたときに出てきて咎められたので、、、。また、彼が出てきてすべて理解できないドイツ語を浴びせられて、それに返答することもできずにだけど箱だけ置いておくのって難しい、、、。それをユリ君に正直に伝えると、”じゃ、僕が後で話す。”とのこと。この箱について、どちらが正しいかわからないし、これで近所の仲が悪くなっても困るのしね。ほかの国に住むと言葉もそうだし、その土地のルールもあるのでそこが難しい。
さてさて、週末は悲しいニュースが。
ユリ君の両親はユーラシア犬を2匹飼っていて1匹はまだ1歳半ぐらいで、もう1匹はもうすぐ12歳。この前遊びに行った時も仲よく遊んだのですが、年寄りの方のサミーが亡くなったとの事。もう、年を取って散歩に行く足取りも遅かったサミー。死ぬ前日に出かけてその時は元気で、帰って来てからちょっとぐったりで休んでいたそうなんです、そしたらそこから立つことができなくなって。獣医さんにあとできてもらったのですが、”安楽死を勧めます。”と。それで翌日に安楽死したそうなんです。
この前別れ際に、”今度はクリスマスに会おうね。それまで、頑張ってね。”って伝えたんですけど、老体には無理だったのかな。
サミーとは出会ってほんの数回だったんですが、ものすごく親近感を持っていたんですよね。去年のクリスマスも僕の横にいてずっとなでる僕の手を嫌がらずにいたサミー。そんなサミーがいなくなったんだなって思うと泣けてきました。
悲しいとか、辛いとかの感情とはまた違って、サミーの歩いてる姿や、僕の横にいた姿を考えてたら涙が止まらなくて。本当はもっとサミーと時間を過ごしたユリアンのほうが泣きたいだろうに、僕って困ったものです。
死に際して、やっぱり一番つらいのは残される者ですね。いつまでもいなくなった人の亡霊のような思い出がふと時によみがえっては、ここにはもういないのだなと実感させられるあの時の空虚な気持ちほど胸を締め付けるものはないですよね。
サミーは今頃、幸せな場所にいることでしょう。そして、日本の家にいて、今は天国にいるアングル君やサラちゃんと出会っていたのならいいなって思います。