自分の母国語で話さないということ

1週間がやっと終わりました。そう、まだ木曜日なのですが僕のドイツ語コースは木曜日なのでちょうど今一息ついているところなんです。最近授業内容が試験に向けてのものが多くて、毎日フル回転で頭を回らせているためか家に帰りつくころには結構、疲れているんですよね。意識が半睡しているような状態で、間違ってしまうと深い眠りに落ちてしまうような感じなんです。宿題や予習は電車を待つ間と、電車の中で。家に帰って来てからは、作文とリスニングをしてます。単語力がないのが悩みなのですが、テストまであと2週間ほど。単語帳を作ったりして覚えているよりかは教科書やリスニングなのでわからない意味の単語を推測してそれに対応していくのが一番かなと思ってます。そんな集中的に勉強しているためか、ドイツ語の脳みそが最近一気に活性化されたように思うんですよね。

語学学習をしている人は経験があると思うのですが、レベルの見えない壁みたいなのがあるんですよね。あるときはどんなに勉強しても自分の学力が伸びてないように感じて、まるで同じレベルにずっといる、または後退しているように感じる。だけどある日突然に、”あれ!結構自分の言いたいことを言葉にできてる!!”って気が付く時があるんです。それが見えない壁を越えた時。残念ながらその次にもまた壁が、そして次が来るんですけどね。この壁を乗り越えるとちょっと今まで見えた景色も違ってくるから面白い。これが語学学習の醍醐味の一つだと僕は思っています。

今はドイツ語を勉強しているわけで、家の中でも最近はドイツ語でしゃべることが多くなりました。けど面白いことに僕がドイツ語でしゃべってユリ君が英語で返すみたいなことが多々見られます。

ユリ君のおかげで僕は毎日のようにドイツ語を喋ることもできるし、毎日書く作文の添削もしてもらえます。本当に語学学習としては有難い環境。

ユリ君と一緒に住み始めてからもうすぐで1年。時に意見のぶつかり合いはありますが、ケンカは一度もないんですよね。特にユリ君とというわけでもこれはないのですが。ミニの時も僕たちはケンカしたことはなかったので。けど、僕たちの関係って面白いなって思います。僕の母国語でもない、ユリ君の母国語でもない言葉でお互いにしゃべってそこからお互いを理解していっているので。

ミニの時とはまた少し違うんですよね。ミニちゃんは英語が母国語なので、自分の心にある感情を母国語にすんなりと乗せればいいわけで。ただ僕たちの場合は自分の知っている英語の単語の中で自分の感情と近いものの言葉を選んでそれで気持ちを伝えることになる。そして勿論、そこには少しの誤差がでる。

その誤差が出ていくのは怖いなって昔は思っていたんですよね。だからイギリスで付き合うなら英語のネイティブのほうがいいなって。けどね、ユリ君と出会ってお互いの母国語でない言葉でコミュニケ―ションをとる時に相手の本当に言おうとしていることは何なのかを真摯に考えているなってことなんです。行間を読むというのでしょうか。そしてお互いの母国語ではないからこそ、相手がわかりやすく理解するにはどのような説明が一番かを考えているのも素敵だなって思えます。ユリ君には僕の価値観は持っていないのは当たり前、じゃ違った価値観の人にどのように、どの言葉を使って、どんなジェスチャーで、どんなボディーランゲッジで伝えるのが私費版いいかを日々考えて生活しているように思います。だから、ケンカもないのかなって。

どうですか?例えば日本人の自分の恋人に、”これぐらい日本人ならわかるでしょ。”って自分の価値観を押し付けてませんか?同じ国で生まれ育ったとはいえ、北海道と九州では生活習慣も変わってきますし、親の考え方でその価値観もかなり違うはず。だから僕は思うんです。同じ国で育っていても、自分の価値観と比べれば他人は誰でも外国人のようなものだって。そうやって接していけば意見が食い違っても、”違った考えで生きてきたんだからしょうがないよね。じゃ、どんな考えをしてるか教えて?”ってなれると思うんですよね。

まだまだ僕とユリ君の関係は謎に満ちていて、お互いに色々なものを心の奥に秘めているので、これからの関係が楽しみでなりません。

 

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